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「大きな仕事がようやく終わった」目ざめよ! 1998 | 11月22日
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「大きな仕事がようやく終わった」
今から50年前,ある優しい顔つきの老婦人の堂々たる発言を,世界の人々が聞きました。1948年12月10日,パリでのことです。建設されたばかりのシャイヨー宮で開かれていた国連総会の席上,国連人権委員会の委員長である女性が立ち上がって発言したのです。元米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトの未亡人で,長身のエリノア・ルーズベルトは,集まっていた人々にしっかりした声でこう語りました。「国連にとっても人類にとっても歴史的な大事件といえる出来事が今日まさに起きようとしています。それは,国連総会による世界人権宣言の承認です」。
ルーズベルト夫人がその前文と30か条の力強い文句を読み上げたあと,国連総会は同宣言を採択しました。a そして,出席者は夫人の並外れた指導力をたたえるために一斉に立ち上がり,“世界のファーストレディー”という愛称で知られていたこの女性に拍手喝采を送りました。その日の終わりに,夫人はこう書き留めています。「大きな仕事がようやく終わった」。
さまざまな意見を一つの宣言にまとめる
その2年前の1947年1月,国連人権委員会の活動が始まるとすぐに,人権に関して,国連加盟国すべてが賛同できるような文書を起草するのは大変な仕事であることが明らかになりました。最初から深刻な意見の不一致があり,18人の委員たちは論争に明け暮れることになりました。中国代表は条文に儒教の精神を盛り込むべきだとし,カトリック教徒である委員はトマス・アクィナスの教えを奨励し,米国はアメリカの権利章典を支持し,ソ連はカール・マルクスの思想を含めたいと考えました。これらは,出された強い意見のほんの一部にすぎません。
委員たちの絶え間ない論争はルーズベルト夫人の忍耐を試すものとなりました。1948年,パリのソルボンヌ大学での講義の中で夫人は,大家族を世話することで忍耐を極限まで試されたと思っていたが,「人権委員会の委員長を務めるのに,それを上回る忍耐が求められた」と述べて,聴衆を沸かせたと伝えられています。
それでも,母親としての夫人の経験は役立ったようです。ルーズベルト夫人が委員たちを扱う様子について,当時ある人は,「しじゅう騒がしく,始末に負えないこともあるが,根は優しい男の子,時にはき然とした仕方でたしなめられる必要のある男の子が何人かいる大家族を預かる」母親を思わせた,と書いています。(「エリノア・ルーズベルト ― 公私にわたる生活」[英語])しかし夫人は,き然とした中にも優しさを示すことにより,反対者を敵に回すことなく目的を達成することができました。
その結果,2年間にわたって会合を重ね,幾百もの修正を加え,幾千もの意見を考慮し,ほぼすべての語や節について1,400回も投票を行なった末に,同委員会は,世界のあらゆる場所ですべての男女に与えられるべきであると信じる人権を列挙した文書を作り上げました。それは,世界人権宣言と名づけられました。こうして,時には不可能と思われた使命が達成されたのです。
大きな期待
抑圧という城壁がこの最初の角笛の音によって崩れると期待されていたわけでないことは言うまでもありません。しかし,世界人権宣言の採択によって,期待は高まりました。当時,国連総会議長を務めていた,オーストラリアのハーバート・V・エバット博士はこう予言しました。「世界中の数え切れないほど多くの男女子供が,たとえパリやニューヨークから遠く離れていても,この文書に助けや導きや感化を求めるようになる」。
エバット博士がこの言葉を語ってから,50年の歳月が流れました。その間,確かに世界中で多くの人が同宣言を指針とし,人権尊重の度合いを測る尺度にしてきました。そのようにして,どんなことが分かったでしょうか。国連加盟国はこの尺度にかなっているでしょうか。今日の世界において人権はどんな状況にありますか。
[脚注]
a 賛成は48か国,反対はゼロでした。しかし今日では,1948年に棄権した国々を含め,185の国連加盟国すべてがこの宣言を承認しています。
[4ページの囲み記事]
人権とは何か
国際連合の定義によれば,人権とは「人が生まれながらに有する,人間として生きるうえで欠くことのできない諸権利」のことです。人権は,「人類共通の言語」とも呼ばれてきましたが,それは適切なことです。言語を話せるようになる能力は人間を人間たらしめる生得の特質ですが,それと同様に人間を地上の他の生物と異ならせる生得の必要や特質はほかにもあります。例えば,人間には知識や芸術的表現や霊的な事柄に対する必要があります。これらの基本的な必要が満たされないでいる人は,人間以下の生活を余儀なくされることになります。人間をそうした状態から守ることを目ざして,人権問題を扱うある法律家はこう説明しています。「わたしたちは,『人間の必要』の代わりに『人権』という語を使う。『必要』という語は法律的には,『権利』ほど力のある語ではないからである。それを『権利』と呼ぶことによって,人間の必要が満たされることを,すべての人間が道徳的にも法律的にも享受してしかるべき事柄へと高めているのである」。
[5ページの囲み記事/写真]
世界人権宣言
ノーベル賞を受賞した作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンは,世界人権宣言を,国連がこれまでに作成した文書の中で「最も優れた文書」と呼びました。その内容に目を通すと,同感する人の多い理由が理解できます。
同宣言の基本的信条は第1条にこう規定されています。「すべての人間は,生れながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である。人間は,理性と良心とを授けられており,互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」。
この宣言の起草者たちはこれを土台にし,人権を二つのグループに分けて保障しています。第1のグループの大要は,第3条にこう述べられています。「すべて人は,生命,自由及び身体の安全に対する権利を有する」。この条文は,第4条から第21条に挙げられている,人間の市民的および政治的権利の基礎を成しています。第2のグループは第22条に基づいています。その条文の一部によると,すべて人は「自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない」諸権利を実現する権利を持っています。この条文を論拠としている第23条から第27条は,人の経済的,社会的,文化的権利をはっきりと説明しています。世界人権宣言は,この第2のグループの諸権利を基本的人権の中に含めた最初の国際文書です。また,「人権」という語を使った最初の国際文書でもあるのです。
ブラジルの社会学者ルーティー・ローシャは,世界人権宣言が言わんとしていることを分かりやすくこう説明しています。「人種も性別も関係ない。言語も宗教も政治上の意見も出身国も家系も関係ない。富んでいようと貧しかろうと関係ない。世界のどの地域の人であろうと,出身国が王国であろうと共和国であろうと,関係ない。これらの権利と自由はだれもが享受すべきものである」。
世界人権宣言は,採択されて以来,200を超える言語に翻訳され,多くの国の憲法に含められてきました。一方,今日,一部の指導者たちはこの宣言を改訂する必要があると考えています。しかし,国連事務総長のコフィー・アナンは意見を異にしています。ある国連職員は事務総長が次のように語ったと述べています。「聖書やコーランを改訂する必要がないのと同じで,世界人権宣言を調整する必要はない。調整する必要があるのは,世界人権宣言の原文ではなく,その信奉者の言動である」。
[写真]
国連事務総長コフィー・アナン
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29階から見えるもの目ざめよ! 1998 | 11月22日
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29階から見えるもの
ニューヨーク市の国連ビルの29階でエレベーターを降り,小さな青い案内表示に従って進むと,人権高等弁務官事務所(OHCHR)があります。この渉外担当事務所は,スイスのジュネーブに置かれた,国連の人権活動の中心であるOHCHR本部の出先機関です。ジュネーブのOHCHRの責任者は人権高等弁務官のメアリー・ロビンソンで,ニューヨーク事務所の所長はギリシャ生まれのエルサ・スタマトプルです。今年の初めごろ,スタマトプル夫人は「目ざめよ!」誌の執筆者の一人を快く迎え,50年にわたる人権活動を振り返って話してくださいました。以下はインタビューの抜粋です。
問: 人権の促進にどのような進展があったと思われますか。
答: 進展の例を三つ挙げますと,まず第一に,50年前であれば,人権の概念が国家間の議題に上ることなどありませんでしたが,今ではあらゆる場で協議され,影響を及ぼしているということです。数十年前には人権について聞いたこともなかった諸政府が,現在では人権について話し合っています。第二に,現在では,数々の規約から成る国際的な法典,つまり法律集があって,国民に対する義務を書面で政府に教えているということです。[7ページの「国際人権章典」という囲み記事をご覧ください。] この法典をまとめるには,多年にわたって骨の折れる作業をする必要がありました。わたしたちはこの法典をたいへん誇りに思っています。第三の例は,今日,人権運動に参加し,人権問題について雄弁に意見を述べることのできる人がかつてないほど増えたことです。
問: どんな障害がありますか。
答: 国連人権プログラムに17年間携わってきましたので,挫折感を覚えるような問題が幾つかあることはもちろん十分に理解しています。最大の問題は,諸政府が往々にして人権を人道的な問題ではなく政治的な問題とみなすことです。政治的な脅威を感じて,人権条約を実行に移そうとしないことがあるのです。そうなると,人権条約は死文になってしまいます。国連が旧ユーゴスラビアやルワンダ,最近ではアルジェリアなどの土地で生じた甚だしい人権侵害を防げなかったことも後退の一つです。国連がこれらの国で生じた大虐殺を防止できなかったのは大失策でした。人権擁護の手だては整っていますが,だれかがそれらを作動させなければなりません。だれがそうするでしょうか。諸国家の有力な人々や団体は保護を与えることのできる立場にいますが,自らの存在が危うくない限り,政治によって人権侵害を阻止しようという意欲がないのが普通です。
問: 将来の見通しをどうお考えですか。
答: あらゆる人の人権保障に至る道には,脅威と希望があると思います。心配なのは,経済の国際化から来る脅威です。経済が国際化することにより,大企業は労働力の安い国で操業するようになります。今日わたしたちは,必要であれば,政府に人権侵害の責任を問い,圧力をかけることができます。しかし,多国間の貿易協約によって政府から世界規模の経済勢力へと権力の移行が進むなら,だれに人権侵害の責任を問えるでしょうか。わたしたちはそうした経済勢力をコントロールしているわけではないので,国連など,政府間レベルの組織の立場は弱くなります。人権に関して言えば,そうした傾向は有害です。今や,人権運動という船に民間部門を乗り込ませることはきわめて重要なのです。
問: では,その希望というのは何ですか。
答: 地球規模の人権文化の発展です。つまり,わたしたちが教育を通して,人権に対する人々の意識を高めてゆかなければならないということです。もちろん,それはかなり難しい課題ではあります。というのは,物の見方を変化させることが関係しているからです。そういうわけで,国連は10年前,人々に自らの権利を,諸国家にその責任を教える世界的な広報活動に着手したのです。さらに,国連は1995年から2004年を,「人権教育のための国連10年」としてきました。うまくいけば,教育によって人々の思いと心が変わるかもしれません。まるで福音と同じだと思われるかもしれませんが,こと人権教育に関しては,わたしは本当に信じています。次世紀には人権文化が世界のイデオロギーになると思っているのです。
[7ページの囲み記事]
国際人権章典
世界人権宣言のほかには,国際人権章典もあります。この二つにはどのような関係があるのでしょうか。
国際人権章典を5章からなる一冊の本に例えるなら,世界人権宣言はその第1章と言うことができます。第2章と第3章は,「市民的及び政治的権利に関する国際規約」と「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」です。そして,第4章と第5章にはそれぞれ,「選択議定書」が収められています。
世界人権宣言は倫理的価値があると考えられており,諸国家がなすべきことを述べていますが,これら四つの付け加えられた文書は法的拘束力を有し,諸国家がしなければならないことを述べています。これらの文書を作成する作業は1949年に始まりましたが,すべてが実施されるまでには数十年かかりました。今日,これらの四つの文書は,世界人権宣言とともに,国際人権章典を構成しています。
この国際人権章典のほかにも,国連は80以上の人権関係条約を批准してきました。「だから,国際人権章典中の人権条約がより重要だと考えるのは間違いです」と,ある人権問題の専門家は述べています。「例えば,1990年の児童の権利条約は国連の最も広く批准された世界的な文書ですが,国際人権章典には含まれていません。『国際人権章典』という語は,正式な概念としてよりも,むしろ宣伝の目的で作り出されたものです。そして,確かに覚えやすい文句だということには同感なさるでしょう」。a
[脚注]
a 書かれた時点で,191か国(国連の加盟国183と,非加盟国8)が児童の権利条約を批准しました。批准しなかったのはソマリアと米国の2か国だけでした。
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今日の人権侵害の実情目ざめよ! 1998 | 11月22日
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今日の人権侵害の実情
人権を擁護する人々は最近,偉業を成し遂げました。まず,60か国の1,000を上回る団体を団結させ,地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)と呼ばれる運動を展開し,これらの武器を禁止する国際条約を通過させたのです。その後,ICBLとその不屈の代表者であるアメリカ人活動家ジョディー・ウィリアムズは,1997年度のノーベル平和賞を受賞しました。
しかし,これらの偉業には身の引き締まるような注釈が付いています。「人権監視団 世界報告 1998」(英語)が述べているように,人権の普及はいまだに「攻撃を受け続けて」います。しかも,責任を負うべきなのはお粗末な独裁政権だけではありません。「主要大国は,経済的また戦略的な利益に不都合であると分かった場合,人権を無視する傾向を著しく示した。こうした憂慮すべき事態はヨーロッパや米国で普通に生じている」と,その報告は述べています。
世界中の非常に多くの人々にとって,人権侵害は無視できない問題です。いまだに差別,貧困,飢え,迫害,レイプ,児童虐待,奴隷的拘束,横死などで日常生活を台なしにされているのです。被害者たちにとって,幾多の人権条約の中で約束されている希望に満ちた状態は,自分たちの知っている世界とはまるでかけ離れています。実際,人類の大半にとっては,30か条から成る世界人権宣言に列挙されている基本的権利でさえ,約束だけでまだ実現していないのです。その例として,同宣言に述べられている崇高な権利の幾つかが日常生活の中でどれだけ実現しているかをちょっと考えてみましょう。
すべての人間は平等?
すべての人間は,生れながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である。―第1条。
世界人権宣言の第1条の初期の草稿は,「すべての人(men,「男性」という意味もある)は……平等である」となっていました。しかし,起草委員会の女性メンバーたちは,女性を除外するものと受け取られないようにするために,この言葉を変えるべきだと主張しました。その意見が通り,「すべての人(men)は……平等である」が,「すべての人間(human beings)は……平等である」になりました。(下線は本誌。)しかし,この条文の言葉遣いを変えることによって,女性の地位は変わったでしょうか。
1997年12月10日の人権デーに,米国大統領夫人ヒラリー・クリントンは国連に対し,世界は相変わらず「女性を半人前の市民として扱って」いると語り,幾つかの例を挙げました。全世界の貧しい人たちの70%が女性であること,全世界で学校に通うことのできない子供たち1億3,000万人のうちの3分の2が女子であること,全世界の非識字者9,600万人のうちの3分の2が女性であることなどです。また,女性は家庭内暴力や性的暴行にもひどく苦しめられており,それらはいまだに「世界で報告件数が最も少なく,最も広く見られる人権侵害の一つ」である,と付け加えました。
女性であるがゆえに,生まれる前でさえ暴力の犠牲となる場合があります。特にアジアのいくつかの国では,女の子よりも男の子を欲しがり,胎児が女の子だと中絶してしまう母親もいます。男の子のほうが望まれるので,性別を選択するための遺伝子検査をする商売が急成長している所もあります。性別判定を行なうある病院が出した広告は,今のうちに38㌦(約5,320円)で女の子を中絶するほうが,後になって3,800㌦(約53万2,000円)の花嫁料を払うよりもましとしています。そうした宣伝には力があります。アジアのある大きな病院で行なわれた調査によると,女の子であると分かった胎児の95.5%は中絶されていたことが明らかになりました。男の子のほうを望む傾向は世界の他の地域にも存在します。米国のボクシングの元チャンピオンは,子供は何人もうけたかと尋ねられ,「男の子が一人,失敗が7回」と答えました。「女性と暴力」(英語)と題する国連刊行物は,「女性に対する人々の態度や考え方が変化するには長い時間がかかるだろう。多くの人は,少なくとも1世代かそれ以上はかかると考えている」。
子供時代を過ごすことのない子供たち
何人も,奴隷にされ,又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は,いかなる形においても禁止する。―第4条。
書類の上では奴隷制度は廃止されています。諸政府は奴隷制度を非合法とする数々の条約に調印してきました。しかし,世界で最も歴史の長い人権擁護団体として知られている,英国のアンチ・スレイバリー・ソサエティーによると,「今は,かつてないほど多くの奴隷がいる」とのことです。現代の奴隷制度にはさまざまな人権侵害が含まれています。児童強制労働は現代の奴隷制度の一形態と言われています。
南米のデリヴァン少年は,その痛ましい例です。『その小さな手は,マットレス作りに使うサイザルアサのごわごわした葉を扱うので擦りむけている。仕事で,貯蔵室にある葉を拾い集め,90㍍ほど離れたところにある加工処理機まで運んでいるのだ。1日12時間の労働が終わるころには,1㌧もの葉を運ぶことになる。デリヴァンは5歳で働き始めた。現在11歳である』― ワールド・プレス・レビュー誌(英語)。
国際労働機関の推計によると,今日,5歳から14歳の子供たち2億5,000万人が働いています。幼い労働者たちは,ブラジルとメキシコの人口を合わせたのと同じほどの大部隊となっているのです。これらの子供の多くは,子供時代を過ごすことなく,炭鉱で石炭の詰まった箱を引きずってせっせと働いたり,泥の中を重い足取りで歩きながら穀物を収穫したり,織機の前にかがみこんでじゅうたんを作ったりしています。3歳,4歳,また5歳の幼児でさえ,数人一組にされて,明け方から夕暮れまで畑を耕したり,種をまいたり,落ち穂を拾ったりしています。「子供たちはトラクターよりも安くつき,牛よりも賢い」と,あるアジアの国の地主は言います。
宗教の選択と改宗
すべて人は,思想,良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は,宗教……を変更する自由……を含む。―第18条。
1997年10月16日,国連総会は,「あらゆる形態の宗教的不寛容の撤廃に関する中間報告」を受けました。この報告は,人権委員会の特別報告者であるアブデルファタ・アモールが作成したもので,第18条の継続的な侵害を列挙しています。同報告は広い範囲にわたる国々に言及し,『いやがらせ,脅し,虐待,逮捕,拘留,失踪,殺人』の数多くの事例を引き合いに出しています。
米国民主主義・人権・労働局が編集した,「1997年 人権報告書」(英語)も同様に,民主主義の伝統の長い国々でさえ,「本質的な違いのある少数派の宗教グループを十把一からげに“カルト教団”として,その自由を制限しようとしてきた」ことを指摘しています。そうした傾向があるのは憂慮すべきことです。ブリュッセルに本部を置く団体,「国境なき人権」の代表者であるウィリー・フォートレはこう述べています。「宗教上の自由は,ある特定の社会で人間の自由が一般にどの程度認められているかを示す最善の指標の一つである」。
背中は痛むが財布は空っぽ
勤労する者は,すべて,自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け……ることができる。―第23条。
カリブ海沿岸諸国でサトウキビを刈り取る労働者は,1日に3㌦(約420円)稼ぎますが,家賃と道具の支払いをしなければならないので,プランテーションの所有者にすぐ借金をすることになります。加えて,賃金は現金ではなく小切手で支払われます。また,労働者たちが行ける所にある店はプランテーション内の売店だけなので,食用油や米や豆はそこで買わざるを得ません。しかし,その売店は,労働者たちの小切手を受け取る手数料として,小切手の額面の10%から20%を差し引きます。法律家人権委員会の副会長,ビル・オニールは,国連のあるラジオ番組で次のように述べました。「何週間も何か月も背中が痛くなるほど働いたのに,収穫期の終わりになっても手元には金が何もない。一銭の蓄えもない。その収穫期を生き長らえられたにすぎなかった」。
すべての人のための医療?
すべて人は,衣食住,医療……により,自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利……を有する。―第25条。
『リカルドとヒュスティナは南米で細々と農業を営んでおり,住んでいる所から最寄りの都市までは約80㌔あります。赤ちゃんのヘマが病気になった時,二人はその子を近くにある個人病院に連れて行きました。しかし,リカルドに費用を払えないことが明らかだったので,病院の職員に追い返されてしまいました。翌日,ヒュスティナは近所の人から金を借りて公共の交通機関を使い,はるばる都市まで出かけてゆきました。ヒュスティナと赤ちゃんはやっとのことでその都市の小さな公立病院にたどり着きましたが,ベッドが空いていないので,明日の朝また来るようにと言われました。その都市には親戚もおらず,部屋を借りるお金もなかったので,ヒュスティナは市場のテーブルの上でその夜を過ごしました。彼女は赤ちゃんを抱きしめ,あやしたり,幾らかでも守ろうとしたりしましたが,何のかいもありませんでした。その夜,幼いヘマは死にました』―「人権と社会事業」(英語)。
全世界の4分の1の人は,1日1㌦(約140円)でやっと生活しています。そうした人々はリカルドとヒュスティナが経験したのと同じような生死を左右するジレンマに直面します。個人経営の医療は利用可能でも手が届かず,公共の医療は手が届いても利用できない,というジレンマです。残念なことに,世界の10億人を上回る貧しい人々は,『医療を受ける権利』を与えられてはいるものの,いまだ医療の益にあずかることができていません。
人権侵害の恐ろしい例を挙げればきりがありません。上記のような状況は数知れず生じているものと考えられます。人権擁護団体が多大の努力を払っているにもかかわらず,また,世界中の男女子供の逆境を改善すべく,無数の活動家たちが文字通り命懸けで献身的な働きをしているにもかかわらず,すべての人の人権が保障されるというのは依然として夢にすぎません。それはいつか実現するのでしょうか。確かに実現します。しかし,その前に幾らかの変化が生じなければなりません。次の記事ではそのうちの二つを考慮します。
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人権の保障 ― 全世界で実現!目ざめよ! 1998 | 11月22日
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人権の保障 ― 全世界で実現!
「人権侵害の根本原因は何ですか」という問いに,長年人権問題を扱ってきたある法律家はこう答えました。「貪欲です。それも,政治力と経済力に対する貪欲です」。そして,貪欲は人の心から生じるので,人権侵害は結局のところ心の状態を反映していることになります。もう一つの原因は国家主義です。自国第一主義は人権侵害をあおります。ですから,人権が保障されるのは,『強制手段を取る立場にある世界政府が出現する場合』だけだろうと,オランダの法律と経済の教授ヤン・ベルカワーは述べています。
言い換えれば,人権が世界中で保障されるようになるには,少なくとも二つの事柄がまず生じなければなりません。それは心の変化と政府の変化です。これらのことが生じると期待するのは現実的でしょうか。
二重の理由で変化が必要
「人権教育のための国連10年」は5年目を迎えようとしていますが,ある国際的な民間教育プログラムはすでに何十年にもわたって成果を上げており,何百万もの人の心を変化させています。結果として,現在,それらの人々は仲間の人間を尊厳をもって扱っています。エホバの証人の実施しているこのプログラムは,230を超える国や地域においてその役割を果たしています。なぜうまくゆくのでしょうか。
一つには,この世界的な聖書教育プログラムは,人権の起源に関する人々の理解を広げます。世界人権宣言によると,人間は理性的かつ道徳的な存在であるがゆえに人権を有しています。
人は理性や良心といった能力をより高い源から与えられたに違いありません。(13ページにある,「人権の源」という囲み記事をご覧ください。)このより高い,神という源を認めるならば,仲間の人間に敬意を示す強力な理由ができます。そうすれば,良心に促されるためだけでなく,もっと大切なこととして,創造者に対する敬意と愛から,その創造物を尊厳をもって扱うよう動かされるので,他の人を尊厳をもって扱います。この二重の取り組み方は,「あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」と,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」というイエス・キリストの言葉に基づいています。(マタイ 22:37-39)創造者に深い敬意を払う人は,仲間の人間の人権を決して侵害しません。人権は神から与えられた相続財産だからです。人権を侵害する人は,相続財産を盗んでいることになります。
違いをもたらす教育
エホバの証人による,この聖書教育プログラムは,人権侵害を減らす上でどれほど効果を上げているでしょうか。この疑問に答える一番良い方法は,このプログラムの成果を見ることです。イエスも,「知恵はその働きによって義にかなっていることが示される」と言われたからです。―マタイ 11:19。
ニューヨーク市の国連広場の壁には次のような有名な言葉が刻まれています。「彼らはその剣を打ち変えて鋤となし,その槍を打ち変えて刈り込み鎌となし,国は国に向かいて剣を上げず,もはや戦いのことを学ばざるべし」。国連はジェームズ王欽定訳聖書のイザヤ 2章4節のこの言葉を引用することによって,大規模な人権侵害を減らすおもな方法を示しています。その方法とは,戦争を終わらせることです。ある国連の刊行物が述べているように,結局のところ,戦争は「人権とは正反対のもの」です。
エホバの証人による教育プログラムは,イザヤの言葉を石の壁に刻むというアイディアをさらに一歩進めたものです。それはイザヤの言葉を人の心に“書く”ことです。(ヘブライ 8:10と比較してください。)どのようにですか。人種に対する聖書の見方,つまり,人類という一つの人種しかないことを教えて,人種や民族の障壁を取り除き,国家主義の壁を崩すのです。(使徒 17:26)このプログラムに参加する人々は,「神を見倣う者となり」たいという願いを培います。聖書はその神についてこう述べています。「[神は]不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」。―エフェソス 5:1。使徒 10:34,35。
聖書に基づくこうした教育を受けた結果,今日,何百万もの人々が「もはや戦いのことを学(んで)」いません。思いと心の変化は確かに生じました。そして,そうした変化は一時的なものではありません。(14ページにある,「平和の教育」という囲み記事をご覧ください。)現在では,1日に平均1,000人を超える人々がエホバの証人の司会する基礎的な研究課程を終え,平和を求めるこの世界的な団体の隊伍に加わっています。
この思いの変化はどの程度のものでしょうか。また,思いの変化に伴って行なわれる,参戦拒否によって人権を尊重するという決定は,どれほど確固としたものでしょうか。それは揺るぎないものです。一例を挙げますと,第二次世界大戦中,特にナチ・ドイツにおいて,エホバの証人たちの徹底した人権尊重の立場は厳しく試されました。歴史家のブライアン・ダンはこう述べています。『エホバの証人はナチズムと相いれなかった。ナチが彼らに反対した理由の中でも特に重要だったのは,エホバの証人の政治的中立の立場であった。それは,信者であればだれも武器を取ることはできないという意味であった』。(「大虐殺に対する教会の反応」[英語])ポール・ジョンソンは自著「キリスト教の歴史」(英語)の中で,「多くの人々は兵役に就くことを拒否したため,死刑を宣告されるか……さもなくばダハウや精神病院で最期を遂げた」と述べています。それでも,彼らは堅く立ちました。社会学者のアンナ・パベルチンスカはこれらエホバの証人たちを,『恐怖政治を敷く国家のまっただ中に浮かぶ孤島のように,衰えることのない抵抗を示した』と描写しました。
今日,すべての人がこうした立場を取り,『戦争のことをもはや学ばない』なら,世界中で人権侵害がどれほど劇的かつ速やかに減少するかを想像してみてください。
世界政府 ―『夢のまた夢』?
『人の心を変化させるのは生易しいことではないが,世界政府を作ることなど夢のまた夢』と,ある国連職員は述べました。確かに,諸国家が国連などの機関に主権をゆだねたがらないという事実は,この結論を強調しています。それでも,ベルカワー教授に言わせれば,世界政府という考えを退ける人々には,「世界の諸問題を解決する他の手段を提示する道義的な責任があるが,代わりとなる解決策など得られない」のです。人間による解決策については,そう言えます。しかし,人間の域を超えた解決策ならあります。それは何でしょうか。
聖書は,人権の根底をなす能力の源が創造者であることを示しているだけでなく,その方が人権を保障する世界政府の源であることも教えています。この天的な政府は目には見えませんが,実在します。実際,数え切れないほど多くの人は,一般に主の祈りと呼ばれている次のような言葉を唱える時,恐らくそれとは知らずにこの世界政府を祈り求めているのです。「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」。(マタイ 6:10)神によって任命された,その王国政府の頭は,平和の君なるイエス・キリストです。―イザヤ 9:6。
この世界政府は,とりわけ戦争を永遠になくすことによって,真に世界的で永続する人権文化を作り出すことに成功します。聖書はこう預言しています。「神[創造者]は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる。神は弓を折り,槍を断ち切り,もろもろの車を火で焼かれる」― 詩編 46:9。
このことが地球的規模で起きるのはいつでしょうか。エホバの証人が提供している聖書研究プログラムには,この疑問に対する満足のゆく答えが含まれています。あなたもこのプログラムについてお調べになるようお勧めします。a 人権について関心をお持ちでしたら,きっと満足なさることでしょう。
[脚注]
a この聖書教育プログラムについてもっと多くの情報を得たい方は,本誌の発行者か,ご近所のエホバの証人と連絡をお取りください。このプログラムは無料で提供されています。
[13ページの囲み記事]
人権の源
世界人権宣言の第1条には,「すべての人間は,生れながらにして自由であり,かつ,尊厳と権利とについて平等である」とあります。したがって,人権は生まれながらに有する権利,つまり,川の流れが岸辺の生物を潤してゆくのと同じように,親から子へと代々伝わってゆくものとされています。では,人権の流れはどこに端を発しているのでしょうか。
世界人権宣言によると,人間は『理性と良心とを授けられている』がゆえに人権を有しています。ある国連刊行物はこう説明しています。「人は理性的かつ道徳的な存在であるから,地球上の他の生物とは異なり,それゆえに他の生物が享受していないある種の権利と自由を受けるに値する」。(下線は本誌。)要するに,理性と良心を持っていることが人権を有する根拠となっているというわけです。そうであれば,人間の理性と良心の源は,人権の源でもあります。
人権運動の活動家で進化論を信じている人は,人権が理性と良心に結びついているという点に当惑を覚えるかもしれません。進化論を支持する,「上りゆく生命」(英語)という本は次のことを認めています。「過程[進化]から,美や真実さへの愛,他への思いやり,自律性,なかんずく拡張性の高い人間精神といった特質がどのようにして生じてきたのかを考えると,当惑させられる」。それも当然です。結局のところ,人間の有する理性や良心といった能力が人間より下等な,理性も良心も持たない祖先からのものであるとするのは,水のない井戸から川が流れ出していると言うようなものです。
人間の理性や良心といった能力が人間より下等な源からのものということなどあり得ないので,それらの能力は超人間的な源から来ているにちがいありません。人間だけが理性や良心といった,人権と結びついた特質を有しているのは,人間が動物とは違って,神の「像」に創造されたからであると,聖書は説明しています。(創世記 1:27)したがって,「人権 ― 正当化と妥当性に関する小論集」(英語)という本が述べているように,「人間は本質的価値あるいは尊厳を有しており,……神の子供なのである」というのが,人々が道徳的な権利を有しているのはなぜかという疑問に対する妥当な答えです。
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平和の教育
数年前,戦争がバルカン諸国を引き裂いていたころ,ブランコはボスニアのクロアチア側にある診療所の警備兵を務めていました。b そこで働いていた医師の一人はエホバの証人と聖書を研究しており,ある夜,自分がその研究から学んだことをブランコに話しました。ブランコは聞いた事柄に感動して,武器を捨てました。しばらくして,ヨーロッパの別の国に移り住んだブランコは,エホバの証人の集会に出席し,そこでスロボダンと出会いました。
スロボダンもボスニア出身で,ブランコと同じ戦いに参加したことがありましたが,なんと敵方でした。スロボダンはセルビア人の側に立ってクロアチア人と戦っていたのです。二人が出会った時には,スロボダンはすでにエホバの証人になっていました。そして,かつては敵だったブランコに自分と聖書研究をするよう勧めました。研究が進むにつれ,ブランコは創造者であるエホバをいっそう愛するようになり,まもなく,エホバの証人の一人になる決心をしました。c
スロボダン自身も,かつて敵だった人の助けでエホバの証人になっていました。どのようにですか。スロボダンはボスニアの交戦地帯を離れた後,ムーヨの訪問を受けました。ムーヨもボスニア出身でしたが,育った時の宗教的背景はスロボダンの場合とは大いに異なっていました。ムーヨはすでにエホバの証人になっていました。二人はかつては敵同士でしたが,スロボダンは,わたしと聖書を勉強しませんかというムーヨの申し出を受け入れ,後にエホバの証人になりました。
これらの男性が根深い民族的な憎しみを克服し,敵同士から友人の間柄へと変化したのはなぜでしょうか。聖書研究を通して,エホバへの愛を培ったからです。そしてその後は,「互いに愛し合うべきことを神から教えられ」るのをいといませんでした。(テサロニケ第一 4:9)ヴォルチェク・モジェレスキー教授がエホバの証人全般について述べているように,「彼らの平和的な態度のかぎは,聖書に示されている原則に今すぐ従うという考え」なのです。
[脚注]
b この囲み記事に登場する名前はすべて変えてあります。
c 後日ブランコは,最初に話しかけてくれた医師もエホバの証人になったことを知って喜びました。
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