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ハンガリー1996 エホバの証人の年鑑
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それから4年後,さらに二人の聖書研究者が米国から帰国しました。二人は,ラッセル兄弟が行なう公開講演に何度か出席して,神と神の目的に関する真理を学んだ人たちでした。ラッセル兄弟は講演の後,聴衆の中にそれまで何回か見かけた出席者がいると,その人に近づいて,「どこからいらっしゃいましたか。国籍はどちらですか。親族のところへ戻って,真理を伝えたいと思いませんか」と尋ねるのが常でした。
この二人の聖書研究者のうちの一人,カローリー・サボーは,当時ハンガリーにあったマロシュバーシャールヘイ(現在はルーマニアのトゥルグムレシュ)の町へ戻りました。もう一人の兄弟,ヨーゼフ・キスは,サボー兄弟と一緒にその町の周辺で文書を配布する奉仕をした後,故郷の町アバラ(現在はスロバキアのオボリーン)へ戻りました。二人の活動は成果を生みました。サボー兄弟の家族は真理を受け入れ,後にはその地域のさらに多くの人々が真理の側に立場を定め,良いたよりを宣べ伝える業に加わったからです。
北アメリカにおけるハンガリー人の畑
アンドラシュニー・ベネデク,カローリー・サボー,ヨーゼフ・キス,それにカナダから来た教授は,北アメリカで真理を学び,良いたよりを宣べ伝えるためにハンガリーへ戻った大勢の人のうちのほんの少数にすぎません。
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ハンガリー1996 エホバの証人の年鑑
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後にカローリー・サボーは,ラッセル兄弟にあてて次のような手紙を書きました。「ハンガリーでの活動は,アメリカでの活動よりもはるかに困難です。わずかな例外を除けば友なる兄弟姉妹たちは非常に貧しく,宣べ伝える業もずっと小規模に行なわなければならないからです。……現在のところ,さまざまな郡に42の小さなクラスがあります。5月の11日と12日に小規模な大会が開かれ,100人ほどの人が出席しました。……
「種々の宗派の牧師や司祭が,法的な手段でわたしたちの活動を阻止しようとしてきました。法廷へ引っ張り出されたこともありますが,今までのところ,自分たちの行動を擁護することができています」。
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ハンガリー1996 エホバの証人の年鑑
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サボー兄弟が投獄される
キス,サボー両兄弟や,他の兄弟たちの熱心な働きをエホバが祝福されたおかげで,第一次世界大戦が勃発した時には,首都周辺のいろいろな町に研究グループが生まれていました。例えば,ハンガリー東部のハイドゥーベーセーメーニやバガメールやバルマズーイバーロシュ,ハンガリー北部のナジビシュニョーなどです。マロシュバーシャールヘイに群れが一つあっただけでなく,コロジュバル(クルジュ)にも一つの群れがありました。両市とも現在はルーマニア領内にあります。
僧職者たちは,キス兄弟やサボー兄弟の熱心な活動にいらだちを覚え,兄弟たちに対して何らかの処置を取るよう政府をあおりました。兄弟たちは二人とも逮捕され,禁固5年の刑を言い渡されました。しかし,1919年に起きた革命の際に二人は釈放され,直ちに諸会衆の間の交流を強めることに取りかかりました。しかし,1920年のトリアノン条約の締結によって,この仕事はますます難しくなりました。この条約でハンガリーの領土の多くが取り上げられ,周辺諸国に割譲されたからです。
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ハンガリー1996 エホバの証人の年鑑
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クルジュへ到着してから数日後,ヤーコプは,ハンガリー,ルーマニア両国での業を再組織するため,カローリー・サボーに,その後,ヨーゼフ・キスに会いました。兄弟たちは,事務所にふさわしい場所を探しました。ルーマニア,ハンガリー,ブルガリア,ユーゴスラビア,アルバニアにおける良いたよりを宣べ伝える業は,この事務所の監督下に置かれました。
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