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    2005 エホバの証人の年鑑
    • 収穫のための働き人が増える

      1947年,良いたよりの伝道における新しい時代が幕を開けました。ギレアデを卒業した2人の宣教者が初めて到着したのです。2人ともデンマーク出身で,そのうちの1人はレオ・ラルセンでした。1948年12月,さらに2人の宣教者がやって来ました。デンマーク出身のイングバト・イェンセンと,イングランド出身のオリバー・マクドナルドです。それら収穫の新たな働き人たちはリンダル兄弟の業に加わり,大量の文書を配布しました。冬の間はレイキャビクとその周辺で奉仕し,短い夏の間は海岸沿いの田園地帯で働きました。イェンセン兄弟は,ある伝道旅行のことを特によく覚えていて,こう書いています。「アイスランドに来て最初の夏のこと,もう1人の宣教者と一緒に田園地帯に出かけました。たいてい,区域まではバスか船を使い,自転車,テント,寝袋,文書,食糧などを持っていきます。ある晩,西海岸にあるスティッキスホールムルという町に船で向かい,翌日の午後に到着しました。計画では,町のすべての家を訪問した後,100㌔ほど離れたボルガルネスという町まで自転車で行くことになっていました。その町からはレイキャビクまでのフェリーが毎日運行しています。旅の出だしは上々でした。6月中旬で,日も照っていました。最初の晩,私たちは町の一部での奉仕を終えて,寝袋に潜り込みました。ところが,一晩中寒くてしょうがありません。翌朝になって理由が分かりました。夜の間に雪が10㌢も積もったのです。船は1週間先までないので,旅を切り上げることは不可能でした。それで計画どおりにその町で奉仕し,自転車で山道を越えて,途中にある農家を訪問しながら次の町にたどり着きました」。

      2人は,みぞれや雨,そして風速30㍍にもなる強風の中を自転車で進み,4日後にようやくボルガルネスに着きました。とはいえ,道中で訪ねた農家の人たちが必ず家に招き入れてコーヒーや食べ物を出し,手厚くもてなしてくれたので,悪天候のつらさも幾分埋め合わせられました。イェンセン兄弟は1日に8回ないし10回も食事をしたことを思い出し,こう述べています。「親切な申し出を断わると家の人の気分を害するのではないかと思いました。それに,樹立されたエホバの王国について徹底的な証しをする機会にもなりました」。

      兄弟たちはアイスランドにおける宣教者奉仕の最初の3年間で1万6,000冊余りの文書を配布しました。しかし,それに比例して再訪問と研究が増えたわけではありません。人々は喜んで文書を受け取りましたが,音信にはこたえ応じなかったのです。ラルセン兄弟と妻のミッシー(兄弟と結婚するため1950年にデンマークからやって来た)の場合もそうでした。2人は東海岸に行き,ヘブン,エスキフィヨルズル,ネースケウフスターズル,セイージスフィヨルズルといった町々で奉仕しました。この旅行は大変でしたが,300冊の本と,それとほぼ同数の小冊子を配布することができました。どの本にも,聖書に基づく短いメッセージとレイキャビクの宣教者の住所とを印刷したしおりが入っており,文書を受け取った人は皆,真理に関する情報をさらに得るために手紙を書くよう勧められていました。しかし,実際にそうした人は1人もいませんでした。

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    2005 エホバの証人の年鑑
    • ところが1972年,マックとバレリーは宣教者として任命され,アイスランドに遣わされました。マックは支部の僕として奉仕し,後に支部委員会の調整者になりました。マックとバレリーはアイスランドで7年間過ごした後,宣教者としてアイルランドに割り当てられ,

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    2005 エホバの証人の年鑑
    • 1947年: ギレアデを出た最初の宣教者たちが到着する。

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