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祝福か,それとも呪いか ― 今日のわたしたちのための例ものみの塔 1996 | 6月15日
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7 どうすれば比喩的な心臓を保護することができますか。
7 わたしたちはどうすれば心の腐食を防止できるでしょうか。勤勉に神の言葉を研究し,その真理を思いと心に染み込ませることによってできます。(ローマ 12:1,2)もちろん,クリスチャンの集会に定期的に出席すべきです。(ヘブライ 10:24,25)消極的な態度で集会に出席することは,さびた箇所にペンキを塗ることになぞらえられます。それによってしばらくは元気づけられるとしても,根本的な問題は解決されていません。わたしたちはむしろ,予習し,黙想し,集会で活発に参加することにより,比喩的な心臓の奥底に残っているかもしれない腐食的要素を積極的に取り除くことができます。これは神の言葉に付き従うための助けになり,信仰の試みを耐え忍び,「すべての点で健全に」なるための力になります。―ヤコブ 1:3,4。箴言 15:28。
淫行に対する警告
8-10 (イ)コリント第一 10章8節にはどんな警告となる例が述べられていますか。(ロ)マタイ 5章27,28節のイエスの言葉をどのように当てはめて益を得ることができますか。
8 パウロが次に挙げた例の中で,わたしたちはこう諭されています。「また,彼らのうちのある者たちが淫行を犯したように,淫行を行なうことがないようにしましょう。彼らは一日に二万三千人が倒れる結果になりました」。a (コリント第一 10:8)使徒パウロは,イスラエル人が偽りの神々に身をかがめ,「モアブの娘たちと不道徳な関係」を持った時のことを述べていました。(民数記 25:1-9)性の不道徳は命取りになります。不道徳な考えや欲望を抱きつづけることは,心を“さびつかせる”ようなものです。イエスはこう言明されました。「『あなたは姦淫を犯してはならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな,すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」― マタイ 5:27,28。
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祝福か,それとも呪いか ― 今日のわたしたちのための例ものみの塔 1996 | 6月15日
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さびを取り除く必要があるのと同じように,自分の心から間違った欲望を除くために積極的な行動が必要
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