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  • 鑑16 132ページ–137ページ 1節
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  • 前進することを決意する
  • 2016 エホバの証人の年鑑
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  • スンバ島での非道な仕打ち
  • 「エホバの証人は釘のようだ」
2016 エホバの証人の年鑑
鑑16 132ページ–137ページ 1節
禁令下のインドネシアでの大会,一部の人は船の上で話を聴いている

禁令下での大会,一部の人は船の上で話を聴いている

インドネシア

前進することを決意する

禁令について知った兄弟たちは行動を起こします。ロナルド・ジャッカはこう語っています。「わたしたちは内密の記録や在庫文書や支部の資金を,ジャカルタ各地にある安全な場所に運びました。それから支部を秘密の場所に移し,以前の支部の建物を目立たないように売却しました」。

1977年から2001年までの伝道者と開拓者の数を表わしたグラフ

地元の兄弟たちの大半は恐れずに活動を続けました。禁令が始まる前から厳しい試練に耐えていたので,引き続きエホバを信頼しました。しかし,禁令によって不意を突かれた人もいます。幾人かの長老たちは恐れに負け,伝道をやめることに同意する書類にサインしてしまいます。会衆の成員の名前を明かしてしまった人もいました。支部は円熟した兄弟たちを派遣し,会衆を強め,妥協した人を援助しました。統治体の成員であるジョン・ブースもインドネシアにやって来て,父親のようなアドバイスを与えました。それは兄弟たちが大いに必要としていたものでした。

エホバが偉大な牧者として,ご自分の民を強め元気づけておられたことは明らかでした。(エゼ 34:15)長老たちは霊的な指導の任を一層よく果たすようになり,伝道者たちも新たな思慮深い方法で伝道を行なうようになりました。(マタ 10:16)多くの兄弟たちはインドネシア聖書協会から手ごろな価格の現代訳聖書を購入し,それを伝道で用いました。可能だと思うときには巧みな仕方で王国の音信を伝えたのです。わたしたちの出版物から発行者ページを取り除き,関心のある人に渡した伝道者もいます。大勢の開拓者たちは訪問販売のふりをしながら伝道を続けました。それは,ちょうど日本の占領下で兄弟姉妹たちが用いたのと同様の方法でした。

ノルベルト・ハウスラーと妻のマルガレーテ

ノルベルト・ハウスラーと妻のマルガレーテ

1977年,宗教省が別の攻撃を仕掛けます。エホバの証人の宣教者がビザを更新しようとした際に,それを拒否したのです。宣教者の大半は他の国へ割り当てられました。a 北スラウェシのメナドで妻のマルガレーテと共に奉仕していたノルベルト・ハウスラーはこう述べます。「何百人もの兄弟姉妹が空港まで見送りに来てくださいました。飛行機のタラップに向かって歩いている時,立ち止まって振り返ったんです。皆が手を振っていて波のように見えます。『ありがとう! 今までいてくれてありがとう』というみんなの声が駐機場に響きました。飛行機に乗り込んだわたしたちは,涙が止まりませんでした」。

スンバ島での非道な仕打ち

禁令の知らせがインドネシアの島々に広まると,インドネシア諸教会コミュニオンは自分たちの成員に,エホバの証人の活動に気づいたならどんなことでも当局に知らせるよう強く勧めました。それがきっかけとなり,多くの島々で逮捕と尋問の嵐が吹き荒れました。

スンバ島のワインガプでは,軍の地域司令官が23人の兄弟たちを地元の軍事キャンプに呼び出し,信仰を否認する宣言書にサインするよう迫りました。兄弟たちがそれを拒否すると,司令官は,一度帰って明日もう一度キャンプに来るよう命じました。徒歩で往復14㌔の道のりです。

次の日の早朝,兄弟たちが司令官のもとに出頭すると,1人ずつ前に進み出て宣言書にサインするよう命じられました。1人が進み出てサインすることを拒否すると,兵士たちはその兄弟をとげだらけの枝で打ちたたきます。兵士たちは逆上し,ある兄弟たちを気絶するまで殴打しました。その間,他の兄弟たちは自分の番が来るのを待っていました。ついに,モネ・ケリーという1人の若い兄弟が進み出て,宣言書にサインをしました。兄弟たちはがっかりします。ところが司令官は怒り狂いました。モネは,「わたしは永遠にエホバの証人であり続ける決意です」と書いたのです。モネは殴打され,傷だらけになり,最後には病院に担ぎ込まれましたが,霊的に打ち倒されることはありませんでした。

司令官は11日間にわたって兄弟たちの忠誠を打ち砕こうと躍起になりました。熱帯の強い日差しが照りつける中,一日中立っているよう命じたり,何キロも四つんばいで歩かせたり,重い荷物を背負って長い距離を走らせたりしました。銃剣をのどに突き付け,国旗に敬礼するよう命じても,兄弟たちはそれを拒みました。そのため司令官は兄弟たちをもっと殴打するよう命じました。

兄弟たちは毎朝,今日はどんな拷問に遭うのだろうかと考えながら重い足取りでキャンプに向かいました。道中,一緒に祈り,忠実を保てるよう励まし合いました。そして毎晩,あざができ血まみれの状態で足を引きずりながら家に帰りましたが,エホバへの忠実を保てたことを喜びました。

支部は兄弟たちが非人道的な扱いを受けていることを知ると,直ちにワインガプの軍司令官とティモールの地方軍司令官,バリ島の地区軍司令官とジャカルタの最高軍司令官,また他の政府の主要機関宛てに抗議の電報を送りました。ワインガプの軍司令官はインドネシア中に自分の卑劣な行為を暴露されてきまり悪く思い,兄弟たちへの迫害をやめました。

「エホバの証人は釘のようだ」

続く数年の間,インドネシアのエホバの証人のうち数えきれないほどの人が留置や尋問や暴行を経験しました。宣教者のビル・ペリーはこう述べます。「ある地域では,多くの兄弟たちが前歯を折られました。それでまだ前歯が残っている兄弟に会うと冗談めかして,『真理に新しい方ですか。それとも妥協したんですか』と言ったそうです。兄弟たちは迫害されても,エホバに仕える喜びや熱意を決して失いませんでした」。

「投獄を経験して,エホバにもっと頼ることを学びました。実のところ,そのおかげでわたしは霊的に強くなりました」

13年の間に,93人の証人たちが2か月から4年にわたる懲役刑を言い渡されました。こうした虐待を受けても,エホバへの忠実を保つという兄弟たちの決意は強まるばかりでした。ムサ・ラデは8か月の刑期を終えた後,自分がいた地域に戻り,伝道を続けるよう皆を励ましました。こう語ります。「投獄を経験して,エホバにもっと頼ることを学びました。実のところ,そのおかげでわたしは霊的に強くなりました」。兄弟たちを見ていたある人たちがこう言ったのも不思議ではありません。「エホバの証人は釘のようだ。打てば打つほど不動になる」。

マルク州のアンボンでの伝道に舟で向かっている伝道者たち

マルク州のアンボンでの伝道に向かっている伝道者たち

a 長年宣教者として奉仕していたピーター・ボンデルハーケンとレン・デービスは60歳を過ぎており,マリアン・タンブナン(旧姓ストゥーバ)はインドネシア人と結婚していたため,インドネシアにとどまることを許されました。これら3人の兄弟姉妹は禁令の間もずっと霊的に活発で,産出的な奉仕を行ないました。

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