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『王国を第一に求める』エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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必要な所ならどこでも喜んで奉仕する
全時間の奉仕者たちは,イエスが弟子たちに割り当ててくださった業を行ないたいと真剣に願っていたので,新しい区域,時には新しい国にさえ出かけてゆきました。フランク・ライスは1931年に,オーストラリアを離れてジャワ(現在はインドネシアの一部)で良いたよりを宣べ伝える活動を開始するよう依頼された時,すでに全時間宣教を10年経験していました。しかし今度は,新しい習慣と新しい言語を学ばなければなりません。店や事務所にいる人たちには英語を使って証言することもできましたが,他の人々にも証言したいと思いました。それで一生懸命勉強した結果,3か月足らずで家から家の伝道を始められる程度のオランダ語をマスターしました。それからマレー語の勉強もしました。
フランクはジャワに行った時,26歳の若さでした。ジャワとスマトラにいた6年間のほとんどは一人で働きました。(1931年の終わりに,クレム・デシャンとビル・ハンターがオーストラリアからやって来て仕事を助けました。彼らはコンビを組んで内陸部を旅行しながら宣べ伝えましたが,フランクはジャワの首都の中かその近郊で働きました。後に,クレムとビルも別々の地域に行く割り当てを受けました。)フランクが出席できる会衆の集会はありませんでした。時には非常に寂しくなることもありました。あきらめてオーストラリアに戻ろうという考えとも再三闘いました。しかし,彼はくじけませんでした。どうしてでしょうか。「ものみの塔」誌に含まれている霊的な食物によって力を得たからです。1937年には,インドシナの任地に移りましたが,そこでは第二次世界大戦後の激しい動乱の時期をかろうじて生き延びることができました。そのような進んで奉仕する精神は1970年代になってもまだ衰えていませんでした。彼はそのころ,家族全員がエホバに仕えていることの喜びについてしたため,妻と一緒にもう一度オーストラリアの必要の大きな所に移る準備をしていると述べました。
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『王国を第一に求める』エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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[287ページの図版]
フランク・ライス(右に立っている),クレム・デシャン(フランクの前に座っている。彼らの隣にいるのはクレムの妻ジーン)と,仲間の証人たちや新しく関心を持った人々を含むジャワの人々
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