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  • ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届ける
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    • ジャワ島で伝道する

      エンジンの修理が終わると,ライトベアラー号はポートモレスビーを離れて,オランダ領東インド諸島(現在のインドネシアのほぼ全域)にあるジャワ島を目指しました。必要な物資を調達するために何度か寄港しながら,1935年7月15日,バタビア(現在のジャカルタ)の港に入りました。

      到着すると,乗組員のチャールズ・ハリスはライトベアラー号を下りてジャワ島に滞在することにし,そこで熱心に伝道し続けました。b チャールズはこう話します。「当時の伝道は主に,聖書文書を配布して次の町に移動する,というものでした。私はアラビア語,中国語,オランダ語,英語,インドネシア語の出版物を持っていきました。みんなが喜んで文書を受け取ったので,1年で1万7000冊も配布できました」。

      帆をいっぱいに張っているライトベアラー号

      帆をいっぱいに張っているライトベアラー号

      チャールズの熱心な伝道はオランダ人の役人たちの目に留まりました。ある役人が,ジャワ島で伝道していた別のエホバの証人に,チャールズがいる東ジャワで伝道しているのは何人かと尋ねました。「1人だけです」と兄弟は答えます。「そんなことがあるか!」と役人は大声で聞き返します。「おまえたちの文書がどこにでもある。1人でそんなに配れるわけがない」。

  • ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届ける
    アーカイブから
    • スマトラ島で伝道する

      乗組員はペナンからマラッカ海峡を渡り,スマトラ島(現在のインドネシアの一部)のメダンに向かいました。エリック・ユーインスはこう振り返ります。「メダンでの滞在はとても楽しく,大勢の人が良い知らせに耳を傾けました」。兄弟たちはそこで3000冊ほどの文書を配布しました。

      ライトベアラー号は南下していき,スマトラ島の東側にある主要な港町で伝道しました。1936年11月,船はシンガポールに戻り,兄弟たちはそこでエリック・ユーインスと別れます。数週間後,エリックはシンガポールに住んでいたエホバの証人アイリーン・ストラウスと結婚し,2人はスマトラ島で開拓奉仕を続けました。ライトベアラー号には新たな船長が必要でした。

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