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  • 僧職者による支配 ― 解決策となるか
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 9/1 3–4ページ

僧職者による支配 ― 解決策となるか

世界の至る所で人々は,不正,圧迫,政治の腐敗にうんざりしています。人々が政治指導者の交替を図るのは,事態の改善を望んでいる証拠です。しかし,新しい指導者が現われても,人々を満足させることは滅多にありません。

中には,僧職者が支配すれば政治はもっとよくなると考える人々もいます。そのような人々は,僧職者であれば政治に敬虔な特質を反映させてくれると信じています。1988年の米大統領選の有力候補であった僧職者のマリオン・(パット・)ロバートソンは,そのことを念頭に置いていたのか,「敬虔な人々」が政権を獲得できるようにと祈りました。しかし,そのような方法が,より良い支配者の必要を満たす真の解決策となりますか。

僧職者がヨーロッパを支配した時

中世の僧職者は並外れた世俗の権力を有していました。何と教皇は,王を立てることも廃することもできたのです。教皇レオ3世は,西暦800年にフランク族の王シャルルマーニュを神聖ローマ帝国の皇帝として立てました。同帝国は千年にわたって教会と国家の結合を象徴する存在であり,その間に僧職者は,程度の差こそあれ,俗権をほしいままにしました。

11世紀になると,教皇制度はヨーロッパで指導的な役割を担うようになりました。ジョン・ガラティー,ピーター・ゲイ共編,「コロンビア 世界の歴史」という本には,「教会はヨーロッパ最大の政府であった」と記されています。同書はさらに,教会は「西洋の他のどんな政府よりも強い政治力を行使」できたと注解しています。では,僧職者の支配を受けた人々はどんな状態にありましたか。

自分勝手な崇拝をしたり,僧職者と対立する意見を述べたりすることはだれにも許されていませんでした。僧職者のこうした不寛容は,ヨーロッパ全土に恐れという風潮を生みだしました。教会は,あえて異なる意見を抱く者たちを根絶するために異端審問所を設けました。異端者とみなされた人々は審問官の前に連れて行かれ,自白を求める拷問にかけられました。有罪とされた人々は大抵,火あぶりにされました。

スペインにおける僧職者の支配について,「コロンビア 世界の歴史」はこう述べています。「戦争および十字軍のイデオロギーにより,正統的かつ俗物的な貴族政治と,国家の権力を一手に握る聖職者とが密接に結び付いた。知的な生活は,公式の神学や国家の政策に抗議するどんな者にも用いられてきた検閲と異端審問によって損なわれた」。

ウィル・デュラントは,自著「信仰の時代」の中で,「歴史家に求められることとクリスチャンに許されていることを十分に考慮するとき,我々は異端審問を,戦争や現代の迫害と並んで,どんな獣にもない残酷さを如実に示す,人類史における最大の汚点の一つとしなければならない」と述べています。中世において,僧職者による支配は個人の自由が踏みにじられることを意味しました。

プロテスタントの宗教改革者であるジャン・カルバンは,カトリックの僧職者とは異なっていたでしょうか。では,スペインの僧職者による迫害を逃れて,スイスのジュネーブで捕らえられたミゲル・セルベトに生じた事柄を考えてください。ジュネーブでカルバンは一つの地域社会を確立し,聖職者たちと共に絶大な支配権を行使していました。セルベトが三位一体を否定したため,カルバンは,異端審問所でもなされていなかった事柄を実行しました。セルベトは異端のかどで死刑を宣告され,火あぶりにされたのです。こうしてカルバンは,カトリックの僧職者と同様の不寛容さを示しました。

世俗の政府に対する僧職者の支配は,ヨーロッパの人々にとって平和を意味しましたか。いいえ,全く意味しませんでした。彼らは平和を享受するどころか,僧職者が唆した戦争を何年も耐え忍ばねばなりませんでした。教皇ウルバヌス2世が第1回十字軍を起こし,200年にわたる一連の戦争が始まりました。そればかりではありません。異端者とみなされた人々に僧職者が戦いを仕向けた結果,幾千幾万もの男女子供が命を失いました。

僧職者の支配によって,腐敗は排除されたでしょうか。少しも排除されませんでした。R・R・パーマー,ジョエル・コルトン共著,「現代世界の歴史」という本は,「教会の生活は金銭によってますます腐敗した。賄賂をよしとする者は一人もいなかったが,(当時の多くの世俗の高官と同様)賄賂が通用する高位僧職者は少なくないということをだれもが知っていた」と述べています。僧職者の腐敗に対する不満は広く見られました。

僧職者による支配によって,一般の人々に思いやりが示されたでしょうか。決してそうではありません。例えば,フランスのリシュリュー枢機卿がルイ13世の治世中に政治を牛耳るようになったとき,どんなことが生じたかを考えてください。ヘンリー・カボット・ロッジ編,「諸国民の歴史」という本は,リシュリューの「政策は,フランスの自由の崩壊を基盤としていた」と述べています。

17世紀のメキシコでは,インディオの町はしばしば僧職者によって支配されました。レスリー・シンプソン著,「多くのメキシコ」という本によれば,僧職者はむち打ちを加える際に人を縛りつけた柱を,「世俗的な違反行為を罰するためばかりでなく,クリスチャンの美徳を植え込んで保つためにも不可欠な助け」とみなしました。

このように,歴史書を通して,何世紀にもわたる僧職者の支配についての記録を調べることができます。そのような記録からどんなことが分かりますか。一般の人々の幸福,福祉,それに自由が甚だしく軽視されています。実際,僧職者による支配は,耐え難いまでの専制政治となってきました。「人類が被った最悪の災いは,聖職者による専制支配である」と,ダニエル・デフォーは自著「生っ粋の英国人」の中で述べています。

ですから,より良い政府を必要とする人類にとって,僧職者による支配が解決策とならないのは明らかです。では,だれに望みを託すことができますか。その解決策は,すべての人の身近なところにあります。ご一緒に調べてみましょう。

[4ページの図版]

プロテスタントのカルバンは,カトリックの僧職者と同様の不寛容さを示した

[クレジット]

Courtesy of the Trustees of the British Museum

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