鶏舎から「羊」の集うホールへ
東海道新幹線の豊橋駅から東京寄りの山側に,新幹線を見下ろすような丘陵地があります。開拓農家として入植し,養鶏の仕事を始めた一人の人は,そこに自分の城を築くことを夢見て長年労苦してきました。仕事に追われる毎日からは,本当の意味での達成感は得られませんでした。しかし,聖書研究により人生の目的を見いだして,自分の土地を是非とも聖書教育に役立てたいと思うようになりました。当時,東海地方のエホバの証人は,1,500人以上の人が集まる大会を開催するホールを自前で持ちたいと考え,土地を探していました。この豊橋の土地を含め様々な候補地が挙がりましたが,建設の準備に当たっていた委員たちはどの土地にするか決めかねていました。
そのころ,ものみの塔協会は,ティルト・アップ工法の採用に踏み切っていました。これは,建設現場で建物の壁面コンクリート・パネルを作製し,それをクレーンで吊り上げて壁面を建て上げる工法です。この方法だと,堅ろうな建物が比較的に安く建てられます。1988年に海老名市の同協会の敷地で初めて,この工法によるパネルの建ち上げが行なわれましたが,東海地方の大会ホール準備委員たちも現場を見学に行きました。その晩,委員たちは関西地区で計画されている2番目の大会ホールの模型を見せられました。そのホールは段差のある丘陵地に建てられます。段丘にあるため,豊橋の候補地に大会ホールを建てることをためらっていた委員たちは心を動かされました。こうして,豊橋の候補地が推薦され,日本支部およびエホバの証人の統治体の承認のもとに,大会ホールが建設されることになったのです。
建設が始まる
最初の大きな仕事は,鶏舎の取り壊しと撤去作業でした。1989年5月に始まった解体作業は,現場で働く自発奉仕者に手強い挑戦となりました。長年使用された鶏舎の天井をはがすと,鶏の羽根やほこりが舞い降りてきました。むせかえるような鶏糞のにおいとも闘わなければなりません。運ばれた鶏糞は2トンダンプで400杯ありました。シャワーを浴びても取れないようなにおいでしたが,聖書の真理を広めるホールを建てたいという願いで結ばれた無給の働き人たちは,暑い夏に,9月までかけて撤去作業を完了させました。
10月には建設が本格的に始まりました。千葉県では,もう一つの大会ホールの建設が進められていましたが,そこでティルト・アップ工法の訓練を受けた十数人の奉仕者たちが豊橋の建設現場へやって来ました。溶接・かた枠作製・コンクリート仕上げなどに携わる熟練した働き人です。ティルト・アップ工法に欠かせない機械類も送られて来ました。豊橋での工事が終わると,それらの奉仕者も機械類も関西第二大会ホールで活躍するでしょう。
この建設は次第に国際的な色彩を帯びてゆきました。ものみの塔協会の国際建設部門から派遣された5人の国際建設自発奉仕者が豊橋の現場でティルト・アップ工法に関するノウハウを伝授しました。韓国からは,同工法の技術を身に着けるために3人の若い奉仕者がやって来ました。きれいに打ち上がったパネルを建て起こす日には,韓国と台湾省のものみの塔協会の代表者も豊橋の現場を訪れました。どちらの支部もこの工法で新しい建物を建設することになっていたのです。
去る6月27日と28日の両日に行なわれたティルト・アップの作業は順調に進み,予定通り外壁が出来上がりました。7月には大型の波型鉄板の屋根が取り付けられ,内装工事が始まりました。この雑誌がお手もとに届くころには,東海大会ホールは完成へ向けて最後の仕上げ工事に入っていることでしょう。聖書の中で神の民は「羊」になぞらえられていますが,完成した大会ホールには「羊」が群れをなして集まることでしょう。