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    聖書に対する洞察,第1巻
    • ヤラベアムは一致した崇拝が民を結合させることを認めていたので,離脱した部族が崇拝のためエルサレムの神殿に赴くのを阻止するため,二つの金の子牛を首都にではなく,イスラエルの領土の両端に,つまり一つは南のベテルに,もう一つは北のダンに据えました。さらにヤラベアムは,金の子牛とやぎの形をした悪霊の両方の崇拝においてイスラエルを導き教えるために,非レビ族の祭司職を任じました。―王一 12:28-33; 代二 11:13-15。

      エホバの目から見て,これはヤラベアムが犯した非常に大きな罪でした。(王二 17:21,22)もしヤラベアムがエホバへの忠実さを保ち,そのような大それた偶像礼拝に転じなかったなら,神は彼の王朝が続くことをお許しになったでしょう。しかし,結局のところ,ヤラベアムの死後2年もしないうちにその子ナダブが暗殺されて,ヤラベアムの家は王位を失いました。―王一 11:38; 15:25-28。

      イスラエル国民は支配者が歩むように歩みました。ティブニ(王一 16:21,22)を除いて19人の王たちが西暦前997年から740年まで統治しました。自分の子に跡を継がせた王はわずかに9人,4世代に及ぶ王統を築いた王はたった一人でした。イスラエルの王たちのうち7人は2年以下しか支配しませんでした。わずか数日だけの王もいました。一人は自殺し,他の4人は早死にし,6人は野心家たちに暗殺されました。それらの野心家たちは殺した相手に代わって王座に就きました。全体を通じて最も良い王であったエヒウは,アハブとイゼベルが助長した,いとうべきバアル崇拝を除き去ってエホバを喜ばせましたが,それでも「エヒウは,心をつくしてイスラエルの神エホバの律法にしたがって歩むよう注意し」ませんでした。国中でヤラベアムの子牛崇拝が続くのを許したのです。―王二 10:30,31。

  • イスラエル
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 北と東に位置する他の十部族から成るイスラエルは,ヤラベアムを自分たちの王に選びました。―王一 11:29-37; 12:1-24; 第1巻,947ページの地図。

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