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ご存じでしたかものみの塔 2010 | 1月1日
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アッピア街道という名称は,西暦前312年にその建設を始めたローマの政治家アピウス・クラウディウス・カエクスに由来します。火山岩の大きな敷石で舗装された,幅約5㍍ないし6㍍のこの道路は,最終的にはローマから南東約580㌔の所まで延長されて,東方への玄関口である海港都市ブルンディシウム(現在のブリンディジ)につながりました。旅人たちは,街道のおよそ24㌔置きにある休憩所に立ち寄って,必要な物を買ったり,睡眠を取ったり,馬や乗り物を換えたりしました。
パウロは,徒歩だったと思われますが,アッピア街道を約210㌔にわたって旅しました。その区間にはポンティノ湿地があります。古代ローマのある詩人は,そこを通ったとき蚊と悪臭に悩まされた,と述べています。その湿地のすぐ北に,“アピウスの市場”(ローマまで約70㌔の地点)と“三軒宿”(ローマまで約60㌔の地点にある休憩所)があり,
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ご存じでしたかものみの塔 2010 | 1月1日
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[11ページの図版]
アッピア街道
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