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イタリア聖書に対する洞察,第1巻
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パウロがフェストの前での審理に際してカエサルに上訴したのは,カエサレアでのことでした。次いでパウロは船でミラに連れて行かれ,そこで他の囚人たちと共に,アレクサンドリアからイタリアに向かう穀物船に移されました。(使徒 25:6,11,12; 27:1,5,6)その航海中に船が難破したため,一行はマルタ島で冬を過ごさなければなりませんでした。その後,恐らく西暦59年の春に,パウロはイタリアの“つま先”に当たるレギウムに着き,初めてイタリアの土に触れました。そして,その後まもなくポッツオリ(ナポリ)湾のポテオリで下船しました。ローマから160㌔余り南のこの地で,パウロは1週間,土地の会衆と共に過ごし,それからアッピア街道を通ってローマへ歩を進め,その途中「“アピウスの市場”および“三軒宿”」でローマから来た兄弟たちの出迎えを受けました。(使徒 28:11-16)パウロは,恐らくローマでの最初の投獄が終わろうとしていたころか,または西暦61年ごろの釈放の直後,まだイタリアにいた間に,ヘブライ人への手紙を書きました。―ヘブ 13:24。
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