ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • ミラノとトリノ ― 見どころのある楽しい都市
    目ざめよ! 2001 | 7月22日
    • ミラノ ― イタリアの本当の首都?

      商工業の点から言えば,イタリアの本当の首都はミラノとみなされることが多いのですが,古代の遺物や芸術の面ではミラノは,イタリアのほかの都市と比べてあまり知られていません。ミラノでは,現代様式が古代の様式を圧倒しているようです。それでもミラノには,遠い昔を物語る見事な美術品や建造物が幾つか残っています。

      西暦前600年ごろ,この地域にはガリア人,つまり現在フランスとして知られている地域から来た古代ケルト人が移住しました。西暦前222年,ローマ人はこの都市を征服し,ラテン語風にメディオラヌム市と呼びました。今ではミラノ市と呼ばれています。その後,何世紀にもわたって,イタリア半島は分割され,征服されるところとなり,19世紀の後半にようやく独立しました。したがって,ミラノは相次ぐ侵略者たちの標的となりました。この地方を占拠した民族の中に,北欧から来たと思われるロンバルディア人がおり,この名にちなんで,ミラノを州都とするロンバルディア州という名称が生まれました。

      ミラノへお越しください

      イタリアのほかの所と同様,ミラノ市の歴史においても,カトリック教会が支配的な位置を占めています。ですから,同市のドゥオモつまり大聖堂がヨーロッパで3番目に大きい教会で,世界でも最大級のゴシック建築の教会堂であることは少しも不思議ではありません。全長約150㍍。建物は,多くの尖塔や3,000体以上の立像,ガーゴイル(屋根の樋口)などで装われています。1385年に着工され,完成までに500年かかりました。今日,イタリア人は,時間がかかりすぎてなかなか仕事が完成しないと,“大聖堂を建てている”みたいだ,とよく言います。

      聖書を読む人にとって,その大聖堂の正面の高いゴシック様式の窓に,「ヤハベ」という語形で書かれた神のみ名を見るのは興味深いことでしょう。正面の外側は,聖書中の数多くのエピソードを描いた壁画で飾られています。

      スフォルツァ城もミラノ市のシンボルの一つとされている建造物で,15世紀にスフォルツァ家,つまりミラノ公国の君主たちによって建てられました。今日,その城内には美術館が幾つかあります。その一つの有名な部屋には,名高い画家であり,科学者でもあったレオナルド・ダ・ビンチの作とされるフレスコ画が収められています。

      レオナルド・ダ・ビンチの最もよく知られている壁画の一つは,サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の15世紀ルネッサンス様式の修道院にあるフレスコ画です。それは普通,「最後の晩餐」として知られる,イエスを描いた壁画で,ルネッサンス絵画中,最も有名な壁画の一つとされています。もう一つのブレラ美術館には,ベリーニ,ラファエル,ティントレット,カルバッチョといった有名な画家の絵画を集めた,イタリア最大のコレクションがあります。

      聖書研究者たちには,図書館と絵画館であるアンブロジアーナ(または,アンブロシウス)館が面白いでしょう。その図書館では,ラテン語で書かれたクリスチャン・ギリシャ語聖書の目録,ムラトーリ断片を見ることができます。それは西暦2世紀末のものとされる断片で,“新約聖書”の正典がどのように成立したかを確認するのに役立ちます。a

      この同じ図書館に,西暦9世紀末のものとされるアンブロシウスO 39 sup. と呼ばれる写本が収められています。この写本では神の名が,ヘブライ語の方形文字で記された四文字語<テトラグラマトン>で表わされています。「新世界訳聖書 ― 参照資料付き」の中で指摘されている通りです。b さらに,この図書館には,聖書の他の古代訳や,レオナルド・ダ・ビンチの残した素描や研究ノート2,000点余りのコレクションである「アトランティコ手稿」が収蔵されています。

      訪問者のために役立つ提案が一つあります。美術館や図書館は多くの場合,昔の建造物の中にあるということを覚えておいてください。華麗さは申し分ないのですが,昨今は観光客が増える一方なので,たちまち満員になってしまいます。大抵の場合,見学者は入館を予約しておかなければなりません。入館の時間を制限している所もあります。

      音楽の好きな人は,旧市街を後にする前に,世界でも指折りの有名なオペラハウス,スカラ座を一目見たいと思うかもしれません。たとえオペラは鑑賞できなくても,音楽家や有名な声楽家の記念の品々が展示されている美術館を訪ねてみたいかもしれません。c

      ヨーロッパで最も裕福な都市の一つであるミラノの,超高層ビルや競技場などのある近代的な地区を見物すれば,市の全体像を把握でき,長い歴史を持つミラノの多様性に富んだ美しい風物を楽しめるでしょう。買い物や見物の好きな訪問者なら,ガラス張りの巨大なアーチ型天井のあるビットリオ・エマヌエレ2世アーケードに行ってみたいかもしれません。

      ミラノに来てよかった,とあなたはきっと思うことでしょう。さて,今度はイタリアの西の方に進んで,趣の全く異なる別の大都市を訪ねてみましょう。

  • ミラノとトリノ ― 見どころのある楽しい都市
    目ざめよ! 2001 | 7月22日
    • イタリアのエホバの証人を代表する支部事務所は1年余りミラノにありましたが,1948年にローマに移転しました。1947年には,戦後最初の大会がミラノの市立劇場で開催され,イタリアの各地から700人が出席しました。1963年には,「永遠の福音」国際大会が,当時ではヨーロッパでおそらく最も有名だったビゴレリ競輪場で開催されました。

      現代のエホバの証人はミラノにおける伝道活動で大きな成果を収めてきました。現在,ミラノ市には57の会衆があり,4,000人余りの福音宣明者が活発に奉仕しており,市立劇場を改装した大会ホールも一つあります。

  • ミラノとトリノ ― 見どころのある楽しい都市
    目ざめよ! 2001 | 7月22日
    • [24ページの図版]

      ミラノ大聖堂

      [24ページの図版]

      ミラノでは,現代様式が古代の様式を圧倒している観がある

      [25ページの図版]

      ミラノのスカラ座(上)とビットリオ・エマヌエレ2世アーケード(右)

      [25ページの図版]

      レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」

      [クレジット]

      Scala/Art Resource, NY

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする