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    目ざめよ! 2001 | 7月8日
    • ローマのさまざまな顔

      イタリアの「目ざめよ!」執筆員

      「ロムルス[西暦前753年にローマを創建したとされる神話上の人物]は,ローマがいつの日か強大な帝国の中心地になるという神からの暗示をそもそも最初から受けていたに違いないと,わたしには思える」。―キケロ,西暦前1世紀のローマの雄弁家・政治家。

      何千年もの歴史を持つ都市の例に漏れず,ローマにもさまざまな顔があります。歳月と共に変化していった表情が名残をとどめているのです。それをご覧になりたいと思われますか。今はちょうどよい時です。2001年8月10日から12日まで,ローマ,バーリ,トリノ,ミラノで開かれる,エホバの証人の大会の一つに招待されている方にとっては特にそうです。

      では,ご覧になりたいのはどのローマでしょうか。古代ローマ,共和政ローマ,帝政ローマがありますし,さらに時代を下ると,中世ローマ,ルネッサンス期のローマ,バロック時代のローマ,そして現代ローマがあります。もっと詳しく見たければ,教皇のローマ,一般大衆のローマ,貴族のローマもあります。この大都市には,至るところに発見の驚きがあります。

      古代の都市

      西暦前8世紀よりもはるか前,最古の部落,鉄器時代の小集落が,ローマの幾つもの丘の上にできたようです。それらの丘に囲まれた地域はかつてはくぼ地で,近くにテベレ川の古代の渡り場がありました。昔はその地域を囲む高台を容易に見分けることができたため,ローマは七つの丘の上に建てられたと言われていました。その七つの丘とは,クィリナリス丘,ウィミナリス丘,エスクィリヌス丘,カエリウス丘,アウェンティヌス丘,パラティヌス丘,カピトリヌス丘です。市内の幾つかの地区には,今もそうした名前が残っています。

      ローマを訪れることに決めたなら,正確なガイドブックと地図を忘れずにお持ちください。約2,000年前の古代ローマではどんなものが見られたのか,想像できるかもしれません。

      フォルムに行ってみましょう

      「フォルムは,古代ローマにおける政治・商業・司法の中心地であった」と,あるガイドブックは述べています。この区域の正面入口はフォーリ・インペリアーリ通りに面しており,地下鉄や路線バスで行くことができます。

      この区域内の最も有名な遺跡の一つは,帝政時代のシンボル,フラウィウス円形劇場としても知られるコロセウムです。高さは約48㍍で,現代の建物では16階建てに相当します。長径約190㍍,短径約155㍍で,入口が80か所あり,5万5,000人もの観客を収容できました。西暦72年にウェスパシアヌス帝が命を下し,建造されたものです。コロセウムの近くに立ったら,こう考えてみてください。もしこの壁が物を言えるとしたら,と。

      最近の発見によると,この円形劇場は,ローマ軍が西暦70年のエルサレム滅亡を最高潮とするユダヤ遠征で勝利を収めて戦利品を持ち帰ったおかげで,完成したようです。(マタイ 24:1,2。ルカ 21:5,6)この円形劇場では,何世紀もの間,剣闘士による残酷な試合が行なわれました。とはいえ,一般に信じられていることとは違い,ここで殉教したクリスチャンはいなかったようです。a

      コロセウムの近くには,ユダヤ遠征を記念して建てられたティツスの凱旋門があります。凱旋門の内側には,ユダヤ人の捕虜や神殿から運び出した神聖な備品を誇示する凱旋行列の様子が彫られています。捕虜となったユダヤ人は,まさにこの場所を通ったのかもしれません。

      別の有名な古い記念建造物で,保存状態が良く印象的なのが,パンテオンです。かつてはすべての神々に献じられた異教徒の神殿でしたが,現在は中にカトリック教会があります。ローマの工学上の傑作と言えるこの建物は,英国北部に防壁を築いたことで有名なハドリアヌス帝(西暦76-138年)によって,西暦118年から128年までの間に建てられました。丸屋根のあるこの円筒形の建物の高さと直径は全く一致しており,共に43.4㍍です。

      キルクス・マクシムスや,パラティヌス丘,その他さまざまな史跡や記念物を見ていると,遠い昔に思いをはせるよう誘われます。聖書中の歴史に登場する第六世界強国の栄華と威光をしのばせるものとしてはほかにも,トラヤヌスの記念柱やマルクス・アウレリウスの記念柱など,古代のオベリスクや浮き彫りの施された柱が,今も市内のあちこちに立っています。

      使徒時代のローマ

      使徒時代のキリスト教は,背教したキリスト教世界に間もなく取って代わられたとはいえ,今でもここローマでは,初期クリスチャンの生活にまつわる出来事をうかがい知ることができます。例えば,アッピア街道を訪れるなら,使徒パウロがクリスチャンの兄弟たちに伴われてこの都市までやって来た時のことが思い浮かぶに違いありません。(使徒 28:14-16)ただ,言い伝えをうのみにしないよう注意しなければなりません。一例として,フォルムの近くには,使徒ペテロが幽閉されたと伝えられる,いわゆるマメルティーノの牢獄があります。しかし,ペテロがローマを訪れたという聖書的な証拠はありません。

      アッピア街道まで来たなら,有名なカタコンベを訪れたいと思われるかもしれません。カタコンベは,埋葬所として使われた数百キロに及ぶ地下道です。そこでは,死者と殉教者に対する祭儀に関係した物が見つかっており,魂の不滅という思想が見られることから,この古代の共同墓地を使った人々がもはやイエスの本来の教えに本当に従ってはいなかったことが分かります。b

      ルネッサンスでローマはどう変わったか

      ローマはルネッサンス期(14世紀から16世紀)以降,教皇の権力と勢力が増大したこともあって大きな変貌を遂げました。教皇の宮殿には,芸術家,建築家,工芸家などが招かれました。中でも有名なのはミケランジェロです。ミケランジェロの傑作の幾つかはバチカン市に保存されており,システィナ礼拝堂にある「最後の審判」や,その礼拝堂の天井のフレスコ画がよく知られています。この礼拝堂には,バチカン美術館から入ることができます。注目に値するのは,「最後の審判」が煉獄を描いていないという点です。

      サン・ピエトロ・イン・ビンコリ聖堂で見ることができるモーセ像も,ミケランジェロの作品です。ミケランジェロの影響は,サン・ピエトロ大聖堂内の幾つかの細かな装飾にも見られます。この教会には,ミケランジェロの「ピエタ」像を含め,名作が幾つもあります。「ピエタ」は,亡くなったキリストを腕に抱く母親を表現しています。

      この大聖堂には神の名エホバを表わすヘブライ語のテトラグラマトンの文字が幾つか見られることにエホバの証人は関心を持つでしょう。クレメンス13世の墓碑や奉献(プレゼンタツィオーネ)の礼拝堂でテトラグラマトンを探してみてください。

      壮麗なバロック時代のローマ

      ローマの表情で最も壮麗なのは,恐らくバロック時代のものでしょう。バロック様式は「スケールが大きく,印象的な細部装飾で満ちている」とある百科事典は述べています。16世紀末に現われたバロック様式は,18世紀までにはもう少し落ち着いた雰囲気のロココ様式になりました。バロック時代の名作の一つは,ベルニーニの制作した教皇アレクサンデル7世の記念碑で,サン・ピエトロ大聖堂にあります。ベルニーニは教皇の寵愛を受けた芸術家で,ローマの教会,宮殿,彫像,噴水などの外観を一変させました。ベルニーニ作の壮麗な柱廊に囲まれた,サン・ピエトロ大聖堂前のピアッツア(広場)や,「ローマの中心部に通じる大きな左右対称形の控えの間となっている」ピアッツア・デル・ポポロで周囲をご覧になってください。至るところにバロックやベルニーニが見られます。トレビの泉や,ナボナ広場にあるフォンタナ・デル・モーロ(ムーア人の噴水)やベルニーニのフォンタナ・デイ・フィウーミ(四大河の噴水)などの噴水があたりの風景に及ぼす効果も見逃さないでください。

      現代の都市

      今日,都市計画の新機軸が打ち出されることはめったにありません。1930年代に,ローマ万国博覧会(EUR)の会場が建設されて以来,大きなプロジェクトは実施されていません。その博覧会は,ファシズムを称揚するためにムッソリーニ政権下で計画されたのです。

      市の行政当局は今,ローマの貴重な芸術遺産を保護し,ふさわしく評価することに力を入れています。そうした芸術遺産は,街路や広場だけでなく,市内に100か所以上ある博物館でも鑑賞できます。とはいえ,博物館や記念建造物や遺跡を訪れるつもりなら,出かける前に,インターネットのしかるべきサイトや良いガイドブックで開場時間を調べておくとよいでしょう。

      ローマはバチカンで知られているとはいえ,宗教の多様性も見られます。ローマにはエホバの証人の支部事務所や大会ホールがあります。首都圏には,130ほどの会衆や群れに1万人近くのエホバの証人がいて,イタリア語と他の12の言語で集会を開いています。あなたも,どこであれサラ・デル・レイニョ(王国会館)にいらっしゃれば,歓迎されるでしょう。

      では,さまざまな顔を見せるローマのどんな面をご覧になりたいにしても,ぜひローマにおいでになるようお勧めします。ドイツの作家ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテも書いているように,「ローマにいなければ,ローマの良さを知ることはできない」からです。

      [脚注]

      a 「目ざめよ!」誌,1991年4月8日号,24-27ページをご覧ください。

      b 「目ざめよ!」誌,1995年8月8日号,16-20ページをご覧ください。

  • ローマのさまざまな顔
    目ざめよ! 2001 | 7月8日
    • [14ページの図版]

      ティツスの凱旋門。エルサレムの神殿からの奪略を描写した浮き彫りが施されている

      [14ページの図版]

      コロセウム

      [15ページの図版]

      マルクス・アウレリウスの記念柱

      [15ページの図版]

      アッピア街道

      [15ページの図版]

      パンテオン。かつてはすべての神々のための異教徒の神殿だったが,現在はこの中にカトリック教会がある

      [16ページの図版]

      システィナ礼拝堂にあるミケランジェロ作「最後の審判」の細部

      [16,17ページの図版]

      ベルニーニ作,四大河の噴水

      [17ページの図版]

      エホバの証人の支部事務所

      [17ページの図版]

      トレビの泉

      [17ページの図版]

      伝説によると,ローマの神話上の建国者ロムルスとレムスは雌オオカミに育てられた

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