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その4 ― 地の最も遠い所にまで証人となるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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イタリアの証人たちの数は1946年にはわずか100人ほどでしたが,3年後には,小さいながら勤勉に働く64の会衆がありました。僧職者たちは事態を憂慮しました。エホバの証人の宣べ伝える聖書の真理を論ばくできなかったため,カトリックの僧職者たちは証人たちの根絶を試みるよう政府当局者に圧力をかけました。そのため1949年に証人たちの宣教者は国外退去命令を受けました。
ローマ・カトリックの僧職者たちは,イタリアの証人たちの大会を中断または妨害しようと幾度も試みました。1948年にスルモナで大会が開かれた時には,やじを飛ばす者たちを使って大会を中断させようとしました。1950年ミラノでは,テアトロ・デラルテでの大会の開催許可を取り消すよう警察署長に圧力をかけ,1951年にも,警察にチェリニョーラの大会の開催許可を取り消させました。しかし,1957年,警察がミラノでの証人たちの大会に中止命令を出したところ,イタリアの報道機関が抗議し,問題は国会で取り上げられました。1957年7月30日付のローマの週刊紙「イル・モンド」は言葉を濁さず,その措置は「大司教[ジョバンニ・バティスタ・モンティーニ,後に法王パウロ6世となった人物]を満足させるために」取られた,と述べました。
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その4 ― 地の最も遠い所にまで証人となるエホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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[493ページの図版]
僧職者たちの反対にもかかわらず,イタリアで開かれた証人たちの大会に大勢の人が集まった(ローマ,1969年)
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