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エホバからたくさんの「良い贈り物」をもらいましたエホバの証人のライフ・ストーリー
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ベテルで一緒に奉仕していたイラリア・カスティリオーニ(右)と,1959年
1958年1月,私はベテルに入りました。その頃,ベテル家族は10から12人ほどしかいませんでした。私は支部にいた2人の翻訳者をサポートすることになりました。仕事はたくさんありましたが,私には翻訳の経験がありませんでした。でもエホバが助けてくださったおかげで,その奉仕が大好きになりました。
ところが2年もしないうちに翻訳の仕事が調整され,私はベテルを出て開拓者として奉仕することになりました。
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エホバからたくさんの「良い贈り物」をもらいましたエホバの証人のライフ・ストーリー
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うれしいサプライズ
クレモナに来て2年もしないうちに,支部から電話がありました。1961年7月に開かれる「一致した崇拝者」という6日間の大会のために,たくさんの翻訳作業があるということでした。それで私は再びベテルで奉仕するよう招待されました。もう跳び上がって喜びました! 1961年2月1日,私はベテルに帰ってきました。
ベテルでは毎日長時間働きました。でも,聖書を学ぶのに役立つものを準備するために一生懸命働くことができてうれしかったです。月日はあっという間に流れ,大会の日がやって来ました。
その大会では「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」がイタリア語に翻訳されるという発表がありました。私はそれを聞いて,「これからたくさんの仕事があるはずだ」と思いました。その予想は当たりました。私は引き続きベテルで奉仕することになりました。それから60年以上がたちましたが,今でもベテルで奉仕しています。
翻訳部門にて,1965年
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エホバからたくさんの「良い贈り物」をもらいましたエホバの証人のライフ・ストーリー
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これまで長年にわたって,私は翻訳の仕事がいろいろと変化していく様子を見てきました。エホバの組織は「国々の乳を飲」むとある通り,新しいテクノロジーを積極的に活用してきました。(イザヤ 60:16)それにより,世界中の兄弟たちがより歩調を合わせられるようになりました。例えば,1985年にはイタリア語の「ものみの塔」誌が英語と同時に発行されるようになりました。今ではjw.orgでさまざまな言語の記事やビデオを,ほとんどの場合英語と同時に見ることができます。確かにエホバはご自分の民を一つにし,みんながぴったりのタイミングで信仰を強める食物を受け取れるようにしています。
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