-
ヤコブの手紙聖書に対する洞察,第2巻
-
-
筆者 筆者は自分自身を単に「神および主イエス・キリストの奴隷ヤコブ」と呼んでいます。(ヤコ 1:1)イエスにはヤコブという名の使徒が二人いましたが(マタ 10:2,3),そのどちらかがこの手紙を書いた可能性はまずありません。一方の使徒,ゼベダイの子ヤコブは西暦44年に殉教しました。(使徒 12:1,2)手紙自体の内容が示唆しているとおり,クリスチャン会衆が形成されたすぐ後にこの手紙が書かれたとはまず考えられません。(ヤコ 1:1)アルパヨの子であった他方の使徒ヤコブは,聖書の記述において目立った存在ではなく,この使徒についてはほとんど何も知られていません。ヤコブの手紙に見られる率直な性格からすると,筆者がアルパヨの子ヤコブであるとする考えは不利になるでしょう。そのヤコブが筆者であるとしたら,自分の強力な言葉を使徒の権威をもって裏打ちするために,12使徒の一人としての自分の身分を明らかにするはずだからです。
むしろ証拠は,イエス・キリストの異父兄弟ヤコブを指し示しています。復活させられたキリストはこの人に特別に現われたと考えられており,このヤコブは弟子たちの中でも顕著な存在でした。(マタ 13:55; 使徒 21:15-25; コリ一 15:7; ガラ 2:9)ヤコブの手紙の筆者は自分の身分を,「神および主イエス・キリストの奴隷」としていますが,それは,手紙の書き出しの中で自分自身を「イエス・キリストの奴隷,しかしヤコブの兄弟」と呼んだユダの方法とほとんど同じです。(ヤコ 1:1; ユダ 1)さらに,ヤコブの手紙のあいさつの部分には,「あいさつを送ります」という表現が含まれていますが,割礼に関して諸会衆に送られた手紙の中でもこの同じ言い回しが用いられています。この後者の例において,エルサレムの「使徒や年長者たち」の集まりで目立った発言をしたのは,イエスの異父兄弟ヤコブだったようです。―使徒 15:13,22,23。
-