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目ざめよ! 1994
目94 2/8 19ページ

少数者の権利を尊重できますか

昨年,全国で9人の,まじめで,誠実な高校生が原級留置の扱いを受けたり,退学を余儀なくされたりしました。自分の宗教的信念のゆえに格技に加わらない,という理由で教育を受ける機会を奪われているのです。これらの生徒たちは,自分たちの信念のゆえに著しい不利益を被っている若者たちの系譜に加えられたに過ぎません。力によって力を制する技を身に付けることをよしとしない生徒が,そのために体育の単位を与えられなかったり,進級そのものさえ認められなかったりするケースは跡を絶ちません。

すでに1991年から,神戸市立工業高専の4人の学生がこの問題で裁判所に救済を求めていました。その訴えに対して,神戸地裁は,昨年2月に,その請求を棄却し,学生たちに対する進級拒否および退学処分を適法としました。(詳細は1993年4月8日号の「目ざめよ!」誌 27ページをご覧ください。)判決は,「学校が剣道実技の履修を求めたことで,原告らの信教の自由が制約を受けたことは否定できない」と認めながら,結論としては,「同校の処分は憲法に違反しない」としたのです。

神戸地裁の判決は新聞各紙で報道され,様々な反響を呼びました。毎日新聞の投書欄には,判決に対する賛否両論が掲載されました。興味深いことに,同紙に載せられた投書の中で,裁判所の判決を是認する意見はいずれも30代の男性からのもので,学生たちの信念よりも社会秩序や「和」を保つことに重きが置かれていました。一方,戦前及び戦時中の息苦しい時代を知っている世代の人々の反応は概して判決に批判的でした。京都市の74歳になるある大学名誉教授は,「今回の判決の中心は,『宗教的理由で剣道の授業の不参加を認めると宗教的中立性を損なう』という判断にあるが,しかし,中立とは,対立する両者のいずれにも偏しないことであり,とくに宗教的中立とは,多数者から少数者の信仰を守ることである。従って,この判決は実質的に信教の自由を否定しており,宗教的中立性を損なったのは裁判所自身である」と,述べました。

朝日新聞は,「剣道でなければならないか」と題する社説を掲げ,神戸地裁の判決は,「決まったことは守らせる,という制度至上主義ともいえそうな,わが国の学校の特性を象徴しているようだ」と論評しました。そして,剣道の実技を国民の大多数は殺人の訓練だとは思っていないにちがいないとした上で,「しかし,きわめて少数でも,格闘技は信教上,禁じられているとし,実技への参加を棄教と同じだと信じている生徒が,現実にいるのである」と,述べています。社説はそこで,「なぜ学校が彼らに苦渋を強いてまでも剣道に固執しなければならないのか」という,ごく自然な疑問を投げかけています。

これは,単に異端視された少数者の問題でしょうか。朝日新聞の社説は,この訴訟がさらに大きな問題を秘めていることを示唆して,次のように締めくくっています。「この社会は,さまざまな少数者,異端者を抱えている。そうした声に,どれほど耳をすませることができるか。それが,社会の雅量,寛容というものである。その意味で今度の判決は,教育の場における『信教の自由』についてだけでなく,日本の社会の質をも考えさせるものを含んでいる」。

確かに,少数者の権利を尊重できるかどうかは,その社会の成熟度を測るバロメーターになります。米国では,1930年代から40年代にかけて,エホバの証人の学童たちが国旗敬礼をしないために,公立学校から放校されました。エホバの証人は,この問題を法廷に持ち込みましたが,合衆国最高裁判所は1940年に,国旗に敬礼しない子供を公立学校から放校できるという判決を下しました。それでも,エホバの証人は,国旗敬礼と忠誠の誓いの強制は信教の自由を侵害するとの訴えをその後も起こし続けました。そしてついに1943年に,「ウェスト・バージニア州教育委員会対バーネット」事件で,合衆国最高裁判所から歴史的な判決を勝ち取りました。同裁判所は信教の自由を擁護する判決を下し,自らの以前の判決を覆したのです。この判決は,以後,少数者の信教の自由を擁護する判例として諸国で用いられています。このようにして,エホバの証人は,信教の自由という大義に貢献してきました。「合衆国における教会と国家」という本は次のように述べています。「近年,彼らは他のどんな宗教団体よりも多くの時間を法廷で費やし,偏狭な者たちという印象を一般の人々に与えてきた。しかし,彼らは自らの良心的な信念に対して忠実なのであり,その結果,連邦裁判所はアメリカ市民の信教の自由の保障を確保・拡大し,彼らの市民的自由を保護・拡張する一連の判決を下してきた」。

神戸地裁は4人の学生たちの受けた不利益の程度は少ないとして,その訴えを退けました。それに対して,4人は判決を不服として,大阪高裁に控訴しました。その裁判は今でも続いています。大阪高裁は,少数者の権利に対してどのような見解を示すでしょうか。エホバの証人は,米国でそうであったように,日本でも,自分たちの神を自由に崇拝する権利を法的に確立するために,法の下で認められているあらゆる手段を講じてゆくことでしょう。(フィリピ 1:7)ひいてはそれが,すべての少数者の権利を確立することにもつながるのです。

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