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  • 一生懸命に働く ― 美徳となる時
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目ざめよ! 1993
目93 6/22 8–11ページ

一生懸命に働く ― 美徳となる時

日本で制作された連続テレビドラマ「おしん」の時間になると,東南アジアの至る所で,大勢のお手伝いの少女たちが台所仕事そっちのけでテレビの前に座り込んでドラマに見入ってしまうということです。そのドラマは,長年苦労や苦難を忍び,無一文から金持ちになった一人の女性の成功の物語です。お手伝いの少女たちはヒロインのおしんの身の上を自分たちの境遇に重ね合わせ,目に涙を浮かべます。彼女たちはこのドラマを,多忙な一日を乗り越える原動力としているようです。

確かに,人々が健康を害したり命を危うくしたりするまで,来る日も来る日も奴隷のようにあくせく働くには,それなりの理由があるはずです。その理由とは何なのでしょうか。アジアのお手伝いの少女たちの場合と同様に,一生懸命に働くごく普通の,そして強い動機は,生活水準を上げることにあります。しかし,関係しているのは物質的な報いだけではなさそうです。

「金銭的な報いは望ましいとはいえ,付随的と言ってもよいような動機である」とスティーブン・D・コーエンは日本人の労働観について書いています。では,日本人はどんな動機からこれほど一生懸命に働くのでしょうか。「競争相手の会社より売り上げを伸ばせば大きな自信と自己満足を味わえる。そのために一生懸命に働くのであれば,それ自体が報いなのである」とコーエンは説明しています。会社に対する忠誠心は,社員たちが一生懸命に働く理由の一つとなります。そして仕事が,自分たちの価値を示す唯一の方法となるのです。また,出世の階段を昇りたいという衝動も見過ごせません。いつか頂点に立てるかもしれないという見込みが,一生懸命に働く強力な動機であることに変わりありません。

健康を損ねてもよいか

そのような理由で,自分の健康と命を損ねてもよいでしょうか。聖書は物質の富を得るために一生懸命に働く人について,「その目(は)富に満ち足りることがない」と述べています。そうした人はついには,「だれのためにわたしは骨折って働き,わたしの魂に良い物を得させないでいるのか」と疑問を抱くようになるでしょう。(伝道の書 4:8)金持ちになるために一生懸命に働く人たちはいつ,どこでやめてよいのか分からないようです。そして仕事,仕事,仕事の悪循環に陥ってしまうのです。聖書は端的に,「富を得ようと労してはならない」と警告しています。―箴言 23:4。

会社に対する忠誠心はどうでしょうか。美徳となる場合もあるとはいえ,働きすぎがもたらす影響を考慮に入れなければなりません。米国のある会社の代表取締役は,「燃えつき症候群が現われている人は,とにかく会社にいてほしくない」と言いました。過労のため40歳を待たずして死んだある“企業戦士”の妻は新聞に投書しました。「『とても貴重な人材を亡くしました』という会社の言葉がどんなお悔やみの言葉になるというのでしょう。会社のために犠牲になっても,死んでしまえばまるで『使い捨て商品』のように扱われます」。

燃えつき症候群や過労死を免れたとしても,定年に達したならどうなるでしょうか。テレビのアナウンサー山根基世さんはこう言います。「[サラリーマンは]一生懸命会社のために働いたのに,もはや会社からは自分が必要とされていない,無用の存在であることを思い知らされている」。人間味のない会社にとって,一生懸命に働く社員は会社という機械の中の歯車でしかなく,擦り切れたら取り替えられるだけなのです。会社に対する信頼を失いつつある日本人が少なくないのももっともなことです。彼らは,会社に尽くしても片思いに終わることに気づくようになりました。

出世街道を走ることについてはどんなことが言えるでしょうか。中間管理職に達した人たちは間もなく,だれもがトップに立てるわけではないことに気づきます。するとどうなるでしょうか。昇進の望みを絶たれ,職を転々とするようになります。忠誠心や美徳に対する報いは,結局その程度のものです。

一生懸命に働くことに対する平衡の取れた見方

お金欲しさ,会社への忠誠心,競争心などに動かされて一生懸命に働くと最後には欲求不満を感じて落胆することになるとはいえ,聖書は骨折って働くことの価値を軽視してはいません。「人はみな,食べ,まさしく飲み,そのすべての骨折りによって良いことを見るべきであるのを知るようになった。それは神の賜物なのである」。(伝道の書 3:13)聖書は,一生懸命に働いて得たものを楽しむよう勧めています。これは,一生懸命に働くことに対する正しい見方を知るうえでのヒントになります。

厚生省はかつて,「会社が終わったら仕事のことは忘れて,家族と一緒に食事をする」ようサラリーマンに忠告したことがあります。企業の重役たちの中には,これが賢明な忠告であることを認めている人もいるようです。例えば,バイオテクノロジーの分野で伸びているある企業の社長は,「まず家庭を大切にせよ。会社は,そのための手段にすぎない」と述べました。

確かに,家族の和合は,一生懸命に働くための価値ある目標です。仕事のせいで家庭の温かい雰囲気が脅かされたり,健康に悪影響が及んだりするようであれば,すべての骨折りによって良いことを見ていないことになります。

とはいえ,年功序列制度が中心となっている日本の社会では,「休まず,遅れず,働かず」という態度をとるようになる人もいます。遅くまで会社に残って勤勉に働いているふりをしながら,実は上司が退社するのを待っているだけなのです。広島のインテリア関係の会社で営業に携わっていた健二もそのような考えで,喫茶店に寄ったりパチンコに行ったりして仕事の手を抜いていました。

そのような態度は幸福につながるでしょうか。「緩慢な手は強制労働に服する」という聖書の格言があります。今日では,怠惰を理由に文字通りの強制労働に服させられることはないかもしれません。それでも,仕事が退屈でいやになり,強制労働のように思えてくることはあり得ます。一方,この格言は,「勤勉な者たちの手は支配を行な(う)」と述べ,勤勉に働くことの益に注目しています。(箴言 12:24)国を治めたり会社を経営したりとはゆかないまでも,少なくとも,家族から尊敬され,自分を十分に管理できるようになるでしょう。さらに,清い良心を保ち,雇い主からも信用されることでしょう。

健二もそのとおりであることに気づきました。健二は聖書を勉強することにしました。すると,生活の仕方が別人のように変化しました。「職場でも正直さの原則を適用することにより,陰ひなたなく働く者となりましたので,上司の信頼を得ることができました」と健二は言います。

一生懸命に働くことが美徳となる時

実際のところ,仕事が意味深いものとなるためには,他の人のためになるような仕事をしなければなりません。ビジネス関係のある著述家は,『いい仕事とは,多くの人に便利さ,快適さ,楽しさなどをもたらす仕事』であると定義しています。そのような仕事は,働く者の側に深い満足をもたらします。「受けるより与えるほうが幸福である」というイエス・キリストの言葉のとおりです。―使徒 20:35。

他の人のために働くことは称賛に値しますが,仕事と人生に満足を見いだすために大切な要素がもう一つあります。ソロモン王は生きている間に得られる限りの富とぜいたくを味わった後,次のような壮大な結論に至りました。「まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである」― 伝道の書 12:13。

何をするにしても,わたしたちが神のご意志を考慮に入れなければならないという点は明白です。わたしたちは神のご意志に調和して働いているでしょうか。それとも,ご意志に反して働いているでしょうか。神に喜ばれるよう努力しているでしょうか。それとも,自分のしたいことを行なっているでしょうか。神のご意志を行なうことを怠るなら,わたしたちはただの物質主義者また快楽主義者となり,ついには孤独,空しさ,絶望などに苦しむことになるでしょう。

ですから,エホバ神に仕え,わたしたちの創造者に喜ばれる仕事を行なえば,決して不満足を経験することがないという点を忘れないようにしましょう。エホバご自身が勤勉に働かれる方であり,ご自分に加わって「共に働く者」となるようわたしたちに勧めておられます。(コリント第一 3:9。ヨハネ 5:17)しかし,そのようにして一生懸命に働いて真の満足が本当に得られるのでしょうか。

ある印刷会社の専務が日本の「ものみの塔」の印刷工場のレイアウトを見に訪れたとき,機械以上にその人の注意を引いたものがありました。若者たちが楽しそうに仕事をしているところを目にしたのです。全員が自発的な奉仕者で,他にも大勢の若者から熱意にあふれた申し込みが来ていると聞いて驚きました。この人はなぜ驚いたのでしょうか。「うちの会社では10人就職しても,1年後にそのうちの4人が残っていれば良いほうです。ものみの塔さんのところのこのような若い働き手は貴重な財産ですね」とこの人は言いました。

これらの若者たちがとても楽しく,またこれほど一生懸命に働いているのはなぜでしょうか。自発奉仕なのですから,お金のために働いているのでないことは言うまでもありません。では,動機は何でしょうか。創造者であるエホバへの献身そして感謝,また隣人に対する愛です。彼らの態度を見れば,『人を喜ばせようとする者のようにではなく,キリストの奴隷として,神のご意志を,魂をこめて行なって』いることが分かります。―エフェソス 6:6。

こうした事柄はすべて,将来起ころうとしている出来事の予告編にすぎません。現在エホバに仕えるために一生懸命に働いている人々は,神がパラダイスを回復させて,地球全体でやりがいのある仕事が行なわれるようになる時代の到来を楽しみにして待つことができます。昔の神の預言者イザヤはその時の生活をこう予告しています。「彼らは必ず家を建てて住み,必ずぶどう園を設けてその実を食べる。彼らが建てて,だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて,だれかほかの者が食べることはない。……わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである」― イザヤ 65:21,22。

その時には,仕事は大きな喜びになります。神のご意志を学び,ご意志に調和して働くことにより,あなたも祝福された人々の中に数えられ,いつまでも『すべての骨折りによって良いことを見る』ことができますように。―伝道の書 3:13。

[9ページの囲み記事]

仕事に対する平衡の取れた見方によって救われた夫婦

北海道に住む安夫にとって,数年前までは仕事が生きがいでした。中間管理職として,安夫は売り上げを上げることしか考えていませんでした。休みも取らずに,毎日夜11時まで働きました。安夫は当時を振り返って,「いくら精力を注ぎ込んでも,仕事から喜びは得られませんでした」と語ります。そのうちに健康を害してしまいました。妻と語り合っているうちに,仕事よりももっと大切なものがあることに気づきました。家族です。安夫は生き方を変え,妻に加わって聖書を研究しました。そして今では,幸福な家族の頭として愛され,尊敬されています。

[9ページの図版]

仕事のために家庭内の人間関係を危険にさらしてはならない

[10ページの図版]

間もなく,地球を楽園に変える仕事をすべての人が楽しみながら行なう時が来る

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