感謝の手紙
去る1986年11月21日の夕刻,伊豆大島の三原山が大噴火を起こし,1万人を超える人々が着の身着のままで大島を脱出しました。それから1か月近く不自由な避難所暮らしを余儀なくされた島民は,都庁など関係当局をはじめ,大勢の人々によって示された親切に深く感謝しています。
エホバの証人の伊豆大島会衆の25人ほどの成員は,仲間の信者たちが「すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して」示した無私の愛に感謝しています。(ガラテア 6:10)エホバの証人は互いを「兄弟,姉妹」と呼びますが,その愛は言葉だけではなく,愛ある行為によって裏づけられています。―ヨハネ第一 3:17,18。
自分たちに差し伸べられた,兄弟愛に基づく心温まる援助について,大島会衆の長老は次のような手紙を寄せました。「近隣の諸会衆の兄弟たちはプラカードを掲げ,大島脱出の兄弟たちを徹夜で出迎えてくださいました。さらに引き続き1か月間,継続的に示してくださった親切と深い気遣いに心を打たれております。この貴重な経験を通して会衆の方々が,エホバ神の組織の一員であることを身をもって体験できました。この終わりの時にあって,こうした体験をさせてくださったことをエホバ神に感謝しております。受けるより与えるほうが一層幸いであると教えられているように,次は与える喜びを得たいと考えている人が増えたことは幸いです」。―使徒 20:35。
この手紙にもあるように,大島からの船が着く桟橋すべてに,エホバの証人が仲間の信者たちを気遣って迎えに出たことは大きな励みになりました。一人の姉妹は次のような手紙を寄せました。「日の出桟橋に着いた時,東京都職員の方が,『ご苦労さまでした』と迎えてくれました。その長い列を通り抜けた時,何かプラカードを持った人が立っているのが目に入りました。その言葉の初めに,『エホバ……』と書かれていました。あとの文字は……涙で目がかすんで読むことができませんでした。まさか兄弟たちが出迎えてくださるとは考えてもいませんでした」。
近隣の会衆の兄弟たちが夜を徹して連絡を取るよう努めた結果,翌日の午前中には大島会衆の成員と研究生ほとんどの所在が確かめられました。次いで,それぞれの避難所に落ち着いた仲間の信者たちに,「行ないと真実とをもって」愛が示されました。(ヨハネ第一 3:18)前述の姉妹はさらにこう述べています。「初めの1週間か十日ぐらいは食事をする間もない程の兄弟姉妹たちの訪問や電話で,楽しい交わりを持つことができました。[私たちが]食事の招待を受け,物質的にも余りにも援助されるので,周りの人々は本当に驚いたようです。私たちの周囲の方々にも,兄弟姉妹たちは愛を示してくださいました。……半月ほどたつと,少しも変わらない兄弟姉妹の愛ある親切を見て,周りの人々の中には,『にしら(あなた方の意)長いことやっていて良かったなあ』との言葉をかけてくださる方も出てきました。そんな時,主人と小さな声で,『これがわたしたちが真理を学んだ時,村八分にした人々の言葉かしら』と話したものでした。
「帰る間際になって,隣で生活していたおじさんは,『ずーっとお前たちのところに来る人を見てきた。やっている宗教が良いものか悪いものか,交わっている人を見るとよく分かる。りっぱな宗教だということがよく分かった。島に帰ってからも,年老いているから勉強はできないけど,話は聞きたいと思う。がんばってやれよ』と励ましてくれました」。
信者でない人々の目にも明らかなこうした愛の表われは,大島会衆の成員にどんな影響を与えましたか。一人の若い姉妹はこう書いています。「聖書には,『受けるより与えるほうが幸福』だと書かれていますが,私たち,受ける側がこんなに幸福な気持ちになれたのですから,次の機会には,与える側になって,私たちがしてもらったようにすることができればうれしいです。兄弟姉妹の援助を心から感謝します」。
親切な行為は親切な行為を生みます。伊豆大島会衆の成員は,「現在の邪悪な事物の体制」から避難するよう人々に呼びかけてゆくに違いありません。―ガラテア 1:4。