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日本1998 エホバの証人の年鑑
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名古屋に宣教者の家が開設された時,グレース・グレゴリーとグラディス・グレゴリーもそこにいました。二人はその区域が収穫を待って色づいていることを知りました。1951年4月にグレースは,ピアノ販売店で働いていた18歳の杉浦 勇に会いました。グラディスは昔を振り返って語ります。「母親は勇を神道の一派の信者となるよう育てました。それで勇は,日本は神州(神国)なので,神風が日本を守り,戦争に勝つよう助けてくれると聞かされていました。しかし,日本が降伏し,戦争によって生じたひどい経済状態と食糧不足を経験するようになった時,日本の神々に対する勇の信仰は崩れ去りました。父親は終戦の翌年に栄養失調で亡くなりました。若い勇は地球が楽園になるという希望に良い反応を示し,1951年10月の巡回大会でバプテスマを受けました」。
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日本1998 エホバの証人の年鑑
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グラディス・グレゴリーは,ある女性を訪問した時のことを覚えています。その女性は元は名目だけの仏教徒でしたが,後にキリスト教世界のいろいろな教会に行ってみました。しかし,幻滅を感じて教会を離れていました。自分の聖書(文語)には7,000回近くも神ご自身の名前が出ているのに,牧師が神とはだれなのか,神の名前をなぜ使わないのかをはっきり説明できなかったことにその女性はがっかりしました。牧師は彼女のたくさんの質問に答える代わりに,「ただ信じなさい」と言いました。彼女は隣の家の人にグラディスが配布していた「ものみの塔」誌(1951年5月から月1回,日本語で発行されていた)を入手し,読んだことに感銘を受けて,グラディスを捜し出したのでした。この経験について,グラディスは後にこう語りました。「彼女は自分の質問に対する聖書の答えを見て感動し,早速,会衆の書籍研究にやって来ました。その場で行なわれた次の日の奉仕に関する発表を聞くと,私も行きたいと言いました。私たちは,その前にまず少し勉強する必要があるんですよと言って,彼女のはやる気持ちを静めようとしました。すると,『分かりました。勉強しますが,奉仕にも行きたいんです』と言いました。彼女は確かにやって来て,最初の月に50時間以上奉仕しました。1年もたたないうちにこの女性はバプテスマを受け,開拓奉仕を始め,後に産出的な特別開拓者として奉仕しました。80歳になった今でも,開拓奉仕にとどまっています」。
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日本1998 エホバの証人の年鑑
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ギレアデ学校第11期生のグレース・グレゴリー(上)とグラディス・グレゴリー
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