ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 日本
    1998 エホバの証人の年鑑
    • 特別開拓者が新たな畑を切り開く

      特別開拓者の活動は地の最も遠いところにまで王国の音信を広める点で重要な要素となってきました。これら特別開拓者の一部は宣教者から個人的に訓練を受け,エホバに対して同じような熱心さを示しました。これら日本人の特別開拓者たちは,宣教者たちが働いている場所とは別の,もっと小さな市や町に派遣されました。初期の特別開拓者たちの多くは,任命された時,バプテスマを受けてからまだ日の浅い人々でしたが,非常に優れた専心と忍耐を示しました。

      涌井ひさ子は,バプテスマからわずか1年4か月後に,任命を受けました。ひさ子とパートナーの佐藤孝子とは,1957年から一緒に特別開拓者として奉仕しています。二人が九つの任命地で,バプテスマを受けた証人となるよう援助してきた人は80人を超えました。

      ひさ子は,最初のころ司会した聖書研究の一つにエホバの祝福がそそがれた結果についてこう報告しています。「その女性は熱心な教会員でしたが,『聖書研究でしたら,毎日だっていいですよ』と言いました。神の名前がエホバであり,神がイエスの父であることを知るとすぐに教会を脱退し,やがて野外奉仕に出るようになりました」。会衆が一つもない,非常に寒い地域に引っ越しても,その熱意が冷めることはありませんでした。今日,彼女の夫と4人の子供たちは全員真理のうちにいます。3人の息子は長老として奉仕しており,娘は特別開拓者です。

      ひさ子と孝子は,山梨県の都留にいた時,増加のペースが非常に遅いことに気づきました。集会にはわずか四,五人しか出席していませんでした。巡回監督は,二人の任命地を別のもっと産出的な区域に変えてもらうほうがよいのではないかと考えましたが,姉妹たちは都留を離れることに乗り気ではありませんでした。エホバが自分たちを都留にお遣わしになった以上,ここにも羊がいるに違いないという気持ちが非常に強かったのです。そこで巡回監督は,「もし週末の公開講演に18名が出席するようであれば,この任命地にとどまりたいという姉妹たちの願いを協会に伝えましょう」と言いました。開拓者たちは,日曜日の集会に人々が来るよう,聖書的に行なえる事柄をすべて行ないました。驚いたことに,19人もの人が出席しました。次の週,出席者はまた四,五人に戻りましたが,開拓者たちは引き続きその区域で働くことができました。今日,都留会衆には,一群のすばらしい伝道者がおり,美しい王国会館もあります。

      小林計子も特別開拓者の一人で,新しい区域を開拓することに40年をささげてきました。京都にいた宣教者のポーリーン・グリーンが初めて彼女に会った時,計子は人生の目的を探し求めていました。ポーリーンは伝道の書 12章13節を見せ,計子はそれに満足しました。彼女は,クリスチャンの生き方に最もよく調和しているのは宣教者の生き方であると結論し,そのような人生を自分の目標としました。特別開拓者として任命された時は,バプテスマを受けてからわずか3年しかたっていませんでした。それでも,特別な奉仕においてエホバの愛情深い保護の手をすぐに経験するようになり,良い成果を見ました。さらに,計子は,田舎の村に住む人たちの感じ方,つまりほかの人がどう思うだろうかという恐れが人々の決定に影響を及ぼすということを理解しました。この問題にどのように対処したのでしょうか。姉妹はこう言います。「友達になるよう努力しました。人々を愛し,どこへ行っても,エホバもそこの人々を愛しておられるということを忘れないようにしました。そうすると,すぐに親しくなりました」。

      1971年3月,支部事務所は孤立した区域での伝道を目的に,さらに多くの新しい特別開拓者を派遣しました。その典型的な例は,出井みよの養女である出井あけみ(現在は小原)と,吉岡和子(現在は徳盛)です。二人は成人したばかりの若い姉妹で,日本の中央部にある加賀での奉仕を割り当てられました。それまで二人は,自分の親や会衆という保護の“傘”のもとで奉仕していました。「でも今度は全然違います」と和子は回想します。「割り当てられた区域の中で良いたよりを宣明していたのは私たちだけでした」。よそ者に懐疑心を抱く人たちと打ち解けるために,土地の方言で,しかも全く同じイントネーションで自己紹介ができるように練習しました。真理を受け入れた人たちの中には,陸上競技選手だった3人の青年がいました。この3人が野外宣教を始めた時,彼らについて行くのは大変だったと,和子は語ります。3人は長距離走者だったので,文字通り農家から農家まで走ったのです。

      熱心な特別開拓者たちが,それまで未割り当てだった区域で働くうちに,会衆や孤立した群れの数は増加し,1976年1月には1,000の大台に達しました。

  • 日本
    1998 エホバの証人の年鑑
    • 40年間奉仕してきた日本人の特別開拓者(左から右に): 佐藤孝子,涌井ひさ子,小林計子

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする