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  • 「平和の神」に仕えるために組織される
    神の王国は支配している!
    • 3,4. 「ものみの塔」1895年11月15日号では,どんな問題が明らかにされましたか。どんな大きな変更について発表されましたか。

      3 「ものみの塔」(英語)1895年11月15日号に掲載された詳細な記事の中で,1つの問題が明らかにされました。嵐にも似たいざこざが,聖書研究者の組織における平和を乱していたのです。兄弟たちは,地元の会衆の中でだれが指導を行なうべきかに関して意見が割れるようになっていました。分裂をもたらす対抗心という問題を正さなければなりませんでした。この記事は組織を船になぞらえ,指導の任に当たる人たちが組織という船を嵐のような事態に備えさせていなかった,という点を率直に認めました。

      4 この記事によれば,有能な船長は,船に救命具が確実に積まれているよう見届け,嵐が近づいてきたらすぐにハッチを閉じられるよう船員に指示しておきます。同様に,組織の指導的立場にある人たちは,すべての会衆を嵐のような状況に備えさせる必要がありました。その目的で1つの大きな変更の加えられることが,この記事の中で発表されました。それは,「すべての会において……群れを……『監督する』長老たちが選ばれるべきである」という,直ちに有効な指示でした。―使徒 20:28。

      5. (イ)長老の取り決めの導入が時宜にかなった措置だったのはなぜですか。(ロ)これからどんな質問について考えますか。

      5 こうして長老の取り決めが導入され,会衆を安定させるための時宜にかなった措置が取られました。そのおかげで兄弟たちは,第一次世界大戦による荒波を切り抜けることができました。

  • 「平和の神」に仕えるために組織される
    神の王国は支配している!
    • キリストはどのように会衆を指導するか

      11. (イ)聖書の研究の結果,どんな点が明らかになりましたか。(ロ)統治体の兄弟たちは,どうすることを決意していましたか。

      11 統治体の監督のもと,1964年から1971年にかけて,広範に及ぶ聖書研究プロジェクトが行なわれました。様々な論題が調査されましたが,その中には,1世紀のクリスチャン会衆がどのように機能していたかという点も含まれていました。a 組織の構造について言えば,1世紀に会衆を監督していたのは,ただ一人の長老もしくは監督ではなく,長老たちの一団である,ということが明らかになりました。(フィリピ 1:1; テモテ第一 4:14を読む。)そのことを理解した統治体は,王イエスが神の民の組織上の構造を改善する点で自分たちを導いている,ということを認識しました。統治体の兄弟たちは,王のその導きに服することを決意していました。それで速やかに調整を行ない,組織を,聖書に示されている長老の取り決めにいっそう調和させました。

      謙遜に矯正を受け入れた人

      「ものみの塔」1916年4月1日号のフィンランド語版には,ラッセル兄弟の手紙が掲載されました。カールロ・ハルテバ兄弟を含むスカンディナビアの幾人かの兄弟たちに宛てた手紙です。ラッセル兄弟はこう書いています。「信仰を抱く親愛なる兄弟たち,真理と今の時代に属する業に戻るよう皆さん一人一人にお勧めします」。ラッセル兄弟はなぜこのように訴えたのでしょうか。

      カールロ・ハルテバ

      カールロ・ハルテバ

      1882年に生まれたハルテバ兄弟は,フィンランドの初期の聖書研究者の一人です。兄弟は1910年4月にバプテスマを受け,1912年の夏には,ラッセル兄弟からフィンランド語の「ものみの塔」誌を発行する許可を与えられました。第一次世界大戦が始まるまで,物事は順調に運んでいました。しかし,1914年12月1日号の「ものみの塔」誌に,ハルテバ兄弟はこう書いています。「厳しい経済事情のため,……『ものみの塔』を今後も同じページ数で発行できるか,また今年と同じ頻度で発行できるか,確かなことは言えません」。1915年,ハルテバ兄弟と他の幾人かの兄弟は,資金を集めるためにアララトと呼ばれる協同組合を結成しました。その組合は,アララト(フィンランド語)という雑誌を発行し始めます。

      ハルテバ兄弟がこの新しい協同組合と雑誌に注意を向けるようになったため,別の兄弟がフィンランド語の「ものみの塔」誌の編集者になりました。アララト誌には聖書的な記事だけでなく,自然療法や,考案されて間もないエスペラント語に関する記事なども掲載されました。やがてこの新しい雑誌は,真理の明快な教えから兄弟たちの注意をそらすようになります。この時に,ラッセル兄弟はそれら兄弟たちの霊的福祉を気遣い,ハルテバ兄弟たちに「真理……に戻る」よう訴えたのです。

      ハルテバ兄弟はどのように反応しましたか。アララト誌にラッセル兄弟の手紙と自分の返信を掲載しました。ハルテバ兄弟は,自分の行動について謝罪し,「私に事態が正せるのであれば,できる限りのことを行なうつもりです」と述べました。その後まもなく,アララト誌の最後の号で,兄弟は自分が混乱を生じさせたことについて再び謝罪し,こう述べました。「現在の真理のあらゆる面に関して,もっと注意深くあるように努めます」。当時,選出された長老の中には誇りに負けた人たちもいましたが,ハルテバ兄弟は謙遜に矯正を受け入れました。

      後にハルテバ兄弟は,フィンランド語の「ものみの塔」誌の編集者また支部の監督に再び任命され,これらの責務を1950年まで果たしました。兄弟はエホバと真理に忠実であり続け,1957年に地上での歩みを終えました。王イエスの矯正を謙遜に受け入れる人たちは,精錬され,エホバの祝福を受けるのです。

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