ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「旧約聖書」はどれほど信じられますか
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • エリコの陥落

      24 エリコの陥落に関して聖書はどんなことを述べていますか。

      24 これは,どんな場合にも考古学と聖書とが一致するという意味ですか。そうではありません。多くの不一致点もあります。その一つは,この章の初めで述べた,エリコの劇的な征服に関する記述です。聖書によると,エリコは,ヨシュアがイスラエル人をカナンの地に導き入れたさい最初に征服された都市でした。聖書の年代記述によると,その都市が陥落したのは西暦前15世紀の前半です。征服された後,エリコは火で焼き尽くされ,そののち何百年ものあいだ人の住まないままに放置されました。―ヨシュア 6:1-26。列王第一 16:34。

      25,26 エリコの発掘の結果,考古学者たちはどんな二つの異なる結論に至りましたか。

      25 第二次世界大戦の前,エリコの遺跡とみなされていた場所がジョン・ガースタング教授によって発掘されました。同教授は,その都市が非常に古い時代からのものであり,破壊と再建を何度も繰り返してきたことを発見しました。ガースタングは,そのような破壊の一時期に城壁が地震によるかのようにして崩れ落ち,その都市が火で完全に焼き尽くされているのを見つけました。ガースタングは,そのことが西暦前1400年ごろ,すなわちヨシュアによるエリコの破壊の年代として聖書が示しているのとあまり隔たっていない時期に起きたものと考えました。15

      26 大戦後に別の考古学者キャスリーン・ケニヨンがエリコでさらに発掘を行ないました。ケニヨンは,ガースタングの判定した城壁の倒壊がガースタングの考えたよりも数百年早かったという結論に達しました。ケニヨンは,エリコの大々的な破壊を西暦前16世紀と判定し,前15世紀つまりヨシュアがその地に侵入したと聖書の述べている時期にエリコに都市は存在しなかった,と述べました。ケニヨンは,西暦前1325年にその地で起きたとみなし得る別の破壊に関する想定可能な形跡についても報告し,次のように述べました。「エリコの破壊とヨシュアの指揮下になされた侵攻とを結び付けるとすれば,これ[後のほうの年代]が考古学の示唆する年代である」。16

      27 聖書と考古学との食い違いのゆえに過度に当惑させられるべきでないのはなぜですか。

      27 これは,聖書に間違いがあるという意味でしょうか。決してそうではありません。考古学は過去への窓をのぞかせてはくれますが,それは必ずしもくもりのない窓ではないことを銘記しておかなければなりません。いたって不鮮明な場合もあるのです。一注解者はこう述べています。「考古学上の証跡は残念ながら断片的なものであり,それゆえに限界がある」。17 このことは,イスラエル史の初期について特に当てはまります。その時期の考古学上の証跡が明瞭でないためですが,エリコに関してはとりわけ明瞭さが欠けています。遺跡の侵食がひどく進んでいるためです。

  • 「旧約聖書」はどれほど信じられますか
    聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
    • 31 エリコの陥落に関して近年どんな新しい見解が提出されていますか。

      31 1981年,ジョン・J・ビムソン教授はエリコの破壊の跡について検討しなおしましたが,それには興味深いものがあります。ビムソンは,キャスリーン・ケニヨンによれば西暦前16世紀半ばに起きたとされる,火災によるエリコの破壊の跡についてつぶさに調べました。ビムソンによると,その破壊の形跡は聖書の記述するヨシュアによるその都市の破壊のさまと適合しているだけでなく,カナンの地の考古学的全体像がイスラエル人の侵入した時代のカナンに関する聖書の描写と完全に適合しています。そのためビムソンは,考古学的な年代判定に間違いがあるのではないかと考え,その破壊が実際には西暦前15世紀の中ごろ,ヨシュアの生存していた時代に起きたのではないか,という見方を提唱しました。21

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする