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諸国民はメギドに集合するものみの塔 1989 | 1月1日
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後にファラオ・ネコは,兵士たちと戦車から成るエジプトの強力な軍隊を率いて海岸道路(したがってその名はビア・マリス,つまり海の道)を北上し,ユーフラテスのほとりでアッシリア人に加勢しました。ユダの王ヨシヤは何らかの理由でネコとの国際的な対決を決意しました。どこでですか。ヨシヤは,エルサレムからおよそ90㌔も北になるにもかかわらず,メギドの近くの平原を選びました。―歴代第二 35:20-22。エレミヤ 46:2。
彼はエジプト人がそこを通らざるを得ないことを知っていました。そして,自分はイスラエルの要塞の近くにいられるので有利だろう,と感じたのかもしれません。
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諸国民はメギドに集合するものみの塔 1989 | 1月1日
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メギド付近の決定的な戦いでヨシヤは致命的な傷を負い,エルサレムに帰る途上で死にました。(列王第二 23:28-30)ゼカリヤ 12章11節に述べられている『メギドの谷あい平原での泣き叫び』の原因はこのことだったのかもしれません。ヨシヤの敗北後間もなく,バビロンは弱体化したユダヤに対する軍事的な影響力を拡大してゆきました。―列王第二 24:1,2,12-14。歴代第二 36:1-6。
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