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  • 霊的な酔いどれたち ― それはだれか
    ものみの塔 1991 | 6月1日
    • 10,11 ユダには,嫌悪すべきどんな状況が存在していましたか。

      10 イザヤは続けてこう述べています。「これらの者たち[つまり,エルサレムの祭司たちと預言者たち]もまた ― 彼らはぶどう酒のゆえに迷い出,酔わせる酒のゆえにさまよった。祭司と預言者 ― 彼らは酔わせる酒のゆえに迷い出(た)」。(イザヤ 28:7,前半)ユダの宗教指導者たちも酔っていたようです。イスラエルの場合と同じく,恐らく文字通りの意味の酔いどれもいたのでしょう。もしそうであれば,それは不名誉なことでした。神の律法は,祭司たちが神殿での奉仕を行なう際に飲酒することを明確に禁じていました。(レビ記 10:8-11)神の家で文字通り酩酊することは,神の律法に違反する衝撃的な行為だったことでしょう。

      11 しかし,それよりも重大なこととして,ユダには霊的な酩酊が見られました。ちょうどイスラエルがユダに対抗してシリアと提携したように,ユダもアッシリアとの同盟を通して安全を得ようとしました。(列王第二 16:5-9)ユダは,神の神殿や神の預言者たちが存在していたにもかかわらず,エホバを信頼すべき時に人間に信仰を置いたのです。さらに,そうした無分別な同盟を結んでいたユダの指導者たちは,霊的に酔っていた北の隣国と同じように,心配は無用だと思っていました。彼らの無責任な態度はエホバにとって嫌悪すべきものでした。

      12 ユダの霊的な酩酊は,どんな結果を招くことになりましたか。

      12 イザヤはさらにこう述べています。「彼らは……ぶどう酒のために混乱し,酔わせる酒のためにさまよった。彼らはその見ることにおいて迷い出,決定に関してふらついた。食卓もみな汚れたへどで満ちた ― それのない所はない」。(イザヤ 28:7後半,8)ある者たちは酩酊の状態に陥り,神殿で文字通りへどを吐いたようです。しかしさらに悪いことに,宗教的な導きを与えるべき立場にあった祭司や預言者たちは,霊的に汚れたものを吐き出していました。それに加え,忠実な幾人かの人たちを除いて,預言者たちの判断はゆがめられ,彼らは自国民に関して偽った事柄を予見していました。エホバはこの霊的な汚れのゆえに,ユダを処罰しようとしておられました。

      今日の霊的な酔いどれ

      13 西暦1世紀には,イスラエルとユダの状況に類似したどんな状況が存在していましたか。現代では,どんな類似した状況が存在していますか。

      13 イザヤの預言は古代のイスラエルとユダにおいてのみ成就したのでしょうか。決してそうではありません。イエスも使徒パウロも霊的な酩酊に関するイザヤの言葉を引用し,それを当時の宗教指導者たちに当てはめました。(イザヤ 29:10,13。マタイ 15:8,9。ローマ 11:8)今日でも,イザヤの時代と同じような状況が生じています。現代の場合はキリスト教世界で,つまり神を代表すると主張する世界的な宗教組織でそれが生じているのです。カトリックであれプロテスタントであれ,キリスト教世界は,真理の側に堅く立ってエホバに頼るというよりも,世に信仰を置いています。そのようにして同世界はイスラエルとユダの酔いどれのように,ふらふらとよろめいています。それら古代の国々の霊的な酔いどれたちは,現代におけるキリスト教世界の霊的な指導者たちをみごとに予示しています。では,その点を詳しく調べてみましょう。

      14 キリスト教世界の宗教指導者たちは古代のサマリアとエルサレムの指導者たちと同様,どのように酔っていますか。

      14 キリスト教世界はサマリアやエルサレムのように,政治同盟というぶどう酒にひどく酔っています。1919年に同世界は,国際連盟の主要な推進者の中に含まれていました。クリスチャンは世のものではないとイエスが言われたにもかかわらず,キリスト教世界の指導者たちは政治指導者たちとの関係を培っています。(ヨハネ 17:14-16)そのような活動という象徴的なぶどう酒は,僧職者に刺激を与えています。(啓示 17:4と比較してください。)僧職者たちは政治家から相談を受けたり,この世の著名人と交わったりすることに喜びを感じています。その結果として僧職者たちのもとには,与えるべき真の霊的な導きがありません。彼らは真理の清い音信を話すよりも,汚れたものを吐き出しています。(ゼパニヤ 3:9)彼らの視界はぼやけて乱れているので,僧職者は人類にとって安全な導きではありません。―マタイ 15:14。

      「命令に命令」

      15,16 イザヤと同時代の人たちは,イザヤの警告に対してどんな反応を示しましたか。

      15 イザヤは西暦前8世紀に,特にユダの霊的な指導者たちの間違った歩みを暴露しました。彼らはどんな反応を示したでしょうか。それらの指導者たちは暴露されることを嫌いました。イザヤが神の警告をねばり強くふれ告げた時,宗教指導者たちは,「人はだれに知識を教え諭し,聞いたことをだれに理解させるのか。乳から離された者たちにか,乳房から離された者たちにか」と応酬しました。(イザヤ 28:9)そうです,イザヤは自分が小さな赤子に話しかけていると思ったのでしょうか。エルサレムにいた宗教指導者たちは自分たちのことを,自分で物事の判断が十分にできる,れっきとした大人だと思っていました。イザヤの口やかましい諭しに耳を傾ける必要などないというわけです。

      16 これらの偽宗教家たちは,イザヤの宣べ伝える業を物笑いの種にさえしました。彼らはイザヤに次のような単調な言葉を繰り返して浴びせました。「それは,『命令に命令,命令に命令,測り綱に測り綱,測り綱に測り綱,ここに少し,そこに少し』だからである」。(イザヤ 28:10)彼らの主張はこうでした。『イザヤは同じことを繰り返して,こう言い続けている。「これはエホバが命令されたことである。これはエホバが命令されたことである。これがエホバの規準である。これがエホバの規準である」と』。元のヘブライ語では,イザヤ 28章10節は繰り返し韻を踏んでおり,どちらかと言えばわらべ歌のようでした。つまり,宗教指導者にしてみれば,イザヤはくどくて子供じみた者のように思われたのです。

      17 現代の多くの人は,エホバの証人がふれ告げている警告の音信に対してどのような反応を示しますか。

      17 西暦1世紀にイエスとイエスの弟子たちが行なった宣べ伝える業も,くどくて洗練されていないと思われました。イエスに従った人たちは,始末におえず洗練されていない田舎者,無学な普通の人とユダヤ人の宗教指導者たちからみなされました。(ヨハネ 7:47-49。使徒 4:13)現代のエホバの証人も,同じようにみなされる場合が少なくありません。エホバの証人はキリスト教世界の神学校に通ったことはなく,僧職者のように仰々しい称号や神学用語を用いることはありません。ですからキリスト教世界の有力者たちは,エホバの証人が身のほどをわきまえ,それらの宗教指導者たちにもっと敬意を払うべきであると考え,エホバの証人を見下します。

      18 今日の宗教指導者たちは何を見過ごしていますか。

      18 しかし,それらの宗教指導者たちの見過ごしている点があります。イザヤの時代の有力者たちがイザヤの音信を退けたとしても,イザヤは真理を語っており,彼の警告は実現しました。同様に,エホバの証人が今日語っている警告の言葉は真実であり,神の真理のみ言葉 聖書にしっかりと根ざしています。(ヨハネ 17:17)したがって,その警告の言葉は必ず実現します。

      清算

      19 どもっているような言語を外国人たちが話すことに対して,ユダは,どのようにいやおうなく注意を払うことになりましたか。

      19 イザヤ 28章11節には,「唇のどもる者たちと,異なった舌とによって神はこの民に語る」と記されています。ユダにとって,イザヤの教えはわけの分からない外国語のように聞こえました。ユダは,イスラエルを圧倒したアッシリア人による脅威を生き残りましたが,エホバはほどなくして別の外国人,ネブカドネザルを用いてユダに対する行動を起こされました。(エレミヤ 5:15-17)バビロニア人の言語はそれらのヘブライ人にとっては荒々しく,どもっているように聞こえました。しかし彼らは西暦前607年,エルサレムとそこにある神殿が滅ぼされた時にそれをいやおうなく聞かされました。また,住民は引いてゆかれ,バビロンで捕囚にされました。今日でも同様に,キリスト教世界はやがて必ず罰せられます。昔のユダのようにエホバの勧めを無視しているからです。

      20,21 エホバの証人は何を絶えずふれ告げますか。しかしキリスト教世界の指導者たちは,何をしようとしませんか。

      20 この預言はそのような者たちについてこう述べています。「その民は,『これが休み場である。うみ疲れている者に休息を与えよ。そしてこれが安らぎの場所である』と神が言われたのに,聞こうとはしなかった者たちである。それで,彼らにとってエホバの言葉は必ず,『命令に命令,命令に命令,測り綱に測り綱,測り綱に測り綱,ここに少し,そこに少し』となる。それは,彼らが行って,必ず後ろ向きにつまずき,実際に砕かれ,わなに掛かり,捕らえられるためである」― イザヤ 28:12,13。

      21 エホバの証人は,イザヤが神の音信を語ったように,キリスト教世界がエホバの言葉に希望を託すよう絶えず同世界に告げています。しかし同世界は聴こうとしません。同世界にしてみれば,証人たちはわけの分からない外国語を話しているように思えるのです。証人たちはキリスト教世界が理解できない言語を話しています。キリスト教世界は,神の王国と来たるべき新しい世について告げてうみ疲れた者たちに安らぎを与えることを拒んでいます。むしろ同世界は,この世との関係というぶどう酒に酔っており,人類の諸問題の政治的な解決策を支援することを好みます。イエスの時代のユダヤ人のように,同世界自身,王国という休み場を求めてきませんでした。また,そうした休み場について他の人に告げることもしないでしょう。―マタイ 23:13。

      22 エホバはキリスト教世界の指導者たちに,何に関する通告を与えておられますか。

      22 したがって,イザヤの預言の言葉は,エホバがいつまでもご自分の穏やかな証人たちによって語られるわけではないことを僧職者に通告しています。間もなくエホバは,ご自分の「命令に命令,測り綱に測り綱」を実行に移されるでしょう。それはキリスト教世界にとって大災厄となります。同世界の宗教指導者や信者たちは,「砕かれ,わなに掛かり,捕らえられ」ます。そうです,昔のエルサレムと同様,キリスト教世界の宗教制度は完全に滅ぼされるのです。実に衝撃的で思いも寄らない事態の進展です。僧職者はエホバの諭しよりも霊的な酩酊を好んできたために,何と恐るべき結末を迎えるのでしょう。

  • 彼らの避難所 ― それは偽り!
    ものみの塔 1991 | 6月1日
    • 彼らの避難所 ― それは偽り!

      「我々はうそを避難所とし,偽りの中に身を覆い隠した」― イザヤ 28:15。

      1,2 (イ)今日において,どんな組織は,昔のユダ王国に起きた事柄に注目すべきですか。(ロ)ユダはどのような誤った確信を抱いていましたか。

      この言葉は,古代の二部族から成るユダ王国に当てはまったように,今日のキリスト教世界にも当てはまるのでしょうか。確かに当てはまります。そしてその類似点は,現代のキリスト教世界に不吉なことが起きる前兆であり,その背教した宗教組織に間もなく破局が臨むことを意味しているのです。

      2 ユダの北方には,十部族から成るイスラエル王国がありました。イスラエルが不忠実になった時,エホバはイスラエルが西暦前740年にアッシリアによって征服されることをお許しになりました。イスラエルの姉妹王国であったユダはこの悲惨な出来事を目撃したものの,明らかに,そのようなことは決して自分たちには起きないと考えていました。ユダの指導者たちは誇らしげにこう言いました。『エホバの神殿はエルサレムにあるではないか。我々は神の恵みを受けた民ではないか。我々の祭司と預言者たちはエホバの名によって語っているではないか』。(エレミヤ 7:4,8-11と比較してください。)自分たちは安全である,とそれらの宗教指導者たちは確信していました。しかし彼らは間違っていました。彼らは,北にいる彼らの同民族と同じほど不忠実でした。ですから,サマリアに起きた事柄はエルサレムにも起きることになっていたのです。

      3 キリスト教世界が将来に関する確信を抱いているのはなぜですか。しかし,同世界の確信には正当な理由がありますか。

      3 同様にキリスト教世界は,神と特別な関係にあると主張しています。そして誇らしげにこう言います。『我々には幾万もの教会があり,専門の聖職者がいる。信者も何億人といる。聖書もあるし,崇拝においてイエスの名を用いている。確かに我々は神の恵みを受けている!』しかし,古代のエルサレムで起きた事柄は厳しい警告となっています。最近になって政治上の異例な進展が見られたとはいえ,わたしたちは,エホバが間もなくキリスト教世界および他の偽りの宗教すべてに対して決定的な行動を起こされることを理解しています。

      『死との契約』

      4 ユダは,自分がどんな契約を結んでいると考えましたか。

      4 古代において,不忠実なエルサレムは神の真の預言者たちを通して多くの警告を受けましたが,それを信じませんでした。むしろエルサレムは,自分が北のイスラエル王国のように死によってシェオルすなわち墓に送り込まれることはない,と自慢しました。預言者イザヤは霊感を受け,ユダに次のように述べました。「それゆえ,自慢する者たちよ,エルサレムにいるこの民を支配する者たちよ,エホバの言葉を聞け。あなた方は言ったからだ,『我々は死と契約を結び,シェオルと幻を実施した。あふれ出る鉄砲水も,たとえそれが通り過ぎて行こうとも,我々のところに来ることはない。我々はうそを避難所とし,偽りの中に身を覆い隠したからだ』と」― イザヤ 28:14,15。

      5 (イ)ユダが死と結んだ想像上の契約とは何でしたか。(ロ)ユダは,アサ王に与えられたどんな警告を忘れていましたか。

      5 そうです,エルサレムの指導者たちは,彼らの都市が保護されるように,言わば死およびシェオルと契約を結んでいると考えました。しかし,エルサレムが死と結んだ想像上の契約は,同市が自分の罪を悔い改め,今やエホバに救いを仰ぐことを意味していたのでしょうか。(エレミヤ 8:6,7)決してそうではありません! むしろエルサレムは人間の政治支配者たちに助けを仰ぎました。しかし,この世の同盟に対する同市の信頼は幻想であり,うそでした。エルサレムが頼りにした俗人たちは同市を救うことができませんでした。そして,エルサレムがエホバを捨てたため,エホバもエルサレムを捨てられました。預言者アザリヤがアサ王に警告したとおりになったのです。「あなた方がエホバと共にいる限り,神はあなた方と共におられます。もしあなた方が神を求めるなら,神はあなた方に見いだされるようにされますが,もしあなた方が神を捨てるなら,神もあなた方を捨てられるでしょう」― 歴代第二 15:2。

      6,7 ユダは自分の安全を確保するためにどんな措置を講じましたか。しかし,最終的にはどんな結果になりましたか。

      6 エルサレムの指導者たちは政治的な同盟を信頼し,彼らの平和と安全をかき乱すような,侵入する軍隊という「あふれ出る鉄砲水」は自分たちの近くに来ないと確信していました。ユダはイスラエルとシリアの同盟によって脅かされた時,アッシリアに助けを仰ぎました。(列王第二 16:5-9)後に,バビロンの軍勢によって脅かされた時はエジプトに支援を要請しました。ファラオはそれにこたえて援軍を送りました。―エレミヤ 37:5-8。エゼキエル 17:11-15。

      7 しかしバビロンの軍隊は余りにも強力だったため,エジプト軍は撤退せざるを得ませんでした。エルサレムがエジプトに信頼を置いたことは間違いであることが分かり,西暦前607年にエホバは予告通り同市を捨て,滅ぼされました。ですから,エルサレムの支配者たちや祭司たちは間違っていました。彼らが平和と安全を求めてこの世の同盟を信頼したことは「うそ」であり,その「うそ」はバビロンの軍隊という鉄砲水によって洗い流されてしまいました。

      「試みを経た石」を退ける

      8 キリスト教世界は古代のユダが取った立場によく似たどんな立場を取ってきましたか。

      8 今日,これに類似した状況が存在するでしょうか。確かにあります。キリスト教世界の僧職者も,自分たちが災厄に見舞われることはないと思っています。彼らは事実上,イザヤが予告したとおりのことを述べているのです。「我々は死と契約を結び,シェオルと幻を実施した。あふれ出る鉄砲水も,たとえそれが通り過ぎて行こうとも,我々のところに来ることはない。我々はうそを避難所とし,偽りの中に身を覆い隠したからだ」。(イザヤ 28:15)キリスト教世界は古代エルサレムと同様,安全を求めてこの世との同盟に頼り,同世界の僧職者はエホバのもとに避難することを拒みます。彼らは神のみ名を用いることもせず,そのみ名を敬う人々をあざけり,迫害します。キリスト教世界の僧職者が行なってきた事柄は,1世紀のユダヤ人の祭司長たちがキリストを退けた時に行なった事柄と同じです。彼らは事実上,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」と言ってきたのです。―ヨハネ 19:15。

      9 (イ)今日,イザヤがユダに警告したのと同じ方法で,キリスト教世界に警告しているのは,だれですか。(ロ)キリスト教世界はだれに頼るべきですか。

      9 今日,エホバの証人は,洪水のように押し寄せてくる処刑隊が間もなくキリスト教世界を押し流すという警告を発しています。さらには,その洪水から逃れるための真の避難所をも指摘しています。彼らはまた,次のように述べるイザヤ 28章16節を引用します。「主権者なる主エホバはこのように言われた。『いまわたしはシオンにひとつの石を基として据える。それは試みを経た石,確かな基の貴重な隅石である。信仰を働かせる者はだれも恐れ慌てることはない』」。この「貴重な隅石」とはだれのことでしょうか。使徒ペテロはこの言葉を引用して,イエス・キリストに当てはめました。(ペテロ第一 2:6)もしキリスト教世界が,エホバに属する王イエス・キリストとの平和を求めてきたのであれば,同世界は来たるべき鉄砲水を避けることができるはずです。―ルカ 19:42-44と比較してください。

      10 キリスト教世界は何に深く関与してきましたか。

      10 しかしキリスト教世界はそうしませんでした。その代わりに,平和と安全を求めて巧みに取り入り,諸国家の政治指導者の好意を得ています。世との交友は神との敵対であると聖書が警告しているにもかかわらず,そうしているのです。(ヤコブ 4:4)さらに1919年に同世界は,平和のための人間の最良の希望として国際連盟を強力に支持しました。1945年以降は国際連合に希望を託してきました。(啓示 17:3,11と比較してください。)キリスト教世界はこの機構にどの程度関与しているのでしょうか。

      11 宗教は国連にどのように代表者を送り出していますか。

      11 最近発行されたある本は次のように述べて,一つの手がかりを与えています。「24ものカトリックの組織が国連に代表者を送り出している。世界の宗教指導者の幾人かは,この国際的な組織を訪れている。非常に際立っていたのは,1965年の国連総会の際にあった法王パウロ6世聖下の訪問と,1979年の法王ヨハネ・パウロ2世の訪問であった。多くの宗教団体が国際連合のために特別な祈願や祈りをささげ,賛歌を歌い,礼拝を行なった。最も重要な例としては,カトリック,ユニテリアン派,バプテスト派,およびバハーイ教の信者が行なったものがある」。

      平和のためのむなしい希望

      12,13 平和のきざしが見えているという希望が広がっているとしても,エホバの証人が自分たちの警告は真実なものだと確信しているのはなぜですか。

      12 世界でも最も有力な政治指導者の一人は多くの人が抱いている希望に共鳴し,「地上の人々のこの世代は,後戻りすることのない平和な時代が文明の歴史に登場するのを目撃するかもしれない」と述べました。この指導者は正しかったでしょうか。最近の進展からすると,エホバの証人が諸国民に対するエホバの裁きの執行に関して発してきた警告は実現しないということになるでしょうか。エホバの証人は間違っていますか。

      13 いいえ,エホバの証人は間違っていません。証人たちは自分たちが,エホバおよび神ご自身の真理のみ言葉である聖書に信頼を置くゆえに,真理を語っていることを知っています。テトス 1章2節には,『神は偽ることができない』とあります。ですから証人たちには,ある事柄が起きると聖書預言が述べているのであれば,それは必ず起きるという十分な確信があります。エホバご自身こう述べておられます。「わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行な(う)」― イザヤ 55:11。

      14,15 (イ)西暦前607年のエルサレムの滅びの少し前に,ユダの指導者たちはどんなことを宣言していましたか。(ロ)パウロは,この世界に突然の滅びが臨む前に,どんな宣言が行なわれると予告しましたか。(ハ)テサロニケ第一 5章3節に預言されている宣言が頂点に達する時,わたしたちは何を予期できますか。

      14 エレミヤは,それらの指導者たちが西暦前607年のエルサレムの滅びに先立つ期間,「平和だ! 平和だ!」と叫んでいたことを伝えています。(エレミヤ 8:11)しかし,それはうそでした。エホバの真の預言者たちの霊感による警告の成就として,エルサレムは滅ぼされました。使徒パウロは,同様な事柄が現代にも起きると警告しています。人々が「平和だ,安全だ」と叫ぶようになると同使徒は述べました。しかし,パウロの言葉によると,その時,「突然の滅び」が『彼らに突如として臨む』ことになっています。―テサロニケ第一 5:3。

      15 1990年代に入ってから各地の新聞や雑誌は,冷戦が終わり,世界平和がついに見えてきたと述べていました。しかしその時に中東で熱い戦争がぼっ発したのです。とはいえ,遅かれ早かれ世界情勢は進展し,テサロニケ第一 5章2節と3節で預言されていた「平和だ,安全だ」という叫びは頂点に達することでしょう。わたしたちの希望は神の言葉にしっかりとつながれているので,わたしたちはそうした頂点となる出来事が生じる時,神の裁きが速やかに,かつ誤ることなく執行されることを知っています。わたしたちは,平和と安全に関する間に合わせの発表を聞いても,神によって予告されたその滅びが到来しないと考えるべきではありません。エホバの裁きは神のみ言葉 聖書の中に,不変のものとして記されています。キリスト教世界は他のすべての偽りの宗教共々滅ぼされるでしょう。また,その時,エホバからの滅びをもたらす裁きは,サタンの世の残りの部分に表明されるでしょう。(テサロニケ第二 1:6-8; 2:8。啓示 18:21; 19:19-21)エホバの証人はエホバがご自分の約束を果たされることを確信しているので,今後も忠実で思慮深い奴隷級の導きのもとに見張り続け,世界の出来事がどのように展開するかを注意深く見守り続けます。(マタイ 24:45-47)確かにわたしたちは,平和を実現しようとする人間の努力を見ても,エホバは,罪を負ったキリスト教世界に鉄砲水のような滅びをもたらすというご自身の目的を放棄されたと考えるべきではありません。

      『神はわたしたちの避難所』

      16,17 もしある人々が,エホバの証人の率直な音信に腹を立てるなら,証人たちはどのような反応を示しますか。

      16 ある人々は,エホバの証人がこうしたことを率直にふれ告げていることに腹を立てるかもしれません。しかしエホバの証人が,キリスト教世界の宗教上の支配者はうその取り決めのもとに避難してきたと言う時,証人たちは聖書が述べていることを語っているに過ぎません。また,キリスト教世界は世のものとなってきたために処罰に値すると言う時,証人たちは神ご自身が聖書の中で述べておられる事柄を伝えているに過ぎません。(フィリピ 3:18,19)その上,キリスト教世界はこの世がもくろんだ計画に信頼を置いているため,実際には,この世の神である悪魔サタンを,つまりイエスが偽りの父と呼んだ悪魔サタンを支持しているのです。―ヨハネ 8:44。コリント第二 4:4。

      17 ですから,エホバの証人は次のように宣言します。わたしたちとしては,政治情勢が変化しているからといって,世界平和に関する偽りの希望を助長したりはしません。むしろわたしたちは,詩編作者の次の言葉に和するのです。「神はわたしたちのための避難所である。……地の人の子らは呼気であり,人間の子らは偽りである。はかりに掛けると,彼らを皆一緒にしても呼気より軽い」。(詩編 62:8,9)キリスト教世界およびこの事物の体制の残りの部分を支持し,保護しようとする人間の計画は偽りであり,うそなのです。それらの計画が皆一緒になったとしても,エホバの目的を妨げるには,一くさりの無駄話ほどの力もないのです。

      18 今日,詩編作者が述べたどんな警告は適切なものですか。

      18 さらにエホバの証人は詩編 33編17節から19節を引用します。その聖句はこう言明しています。「[戦闘を象徴する,エジプトの]馬は救いのためには欺まんであり,その活力が大いなることによって逃れの道を備えるのではない。見よ,エホバの目はご自分を恐れる者たちに,その愛ある親切を待ち望む者たちに向けられている。彼らの魂を死から救い出し,飢きんのときに彼らを生き続けさせるためである」。今日,真のクリスチャンはエホバとエホバの天の王国を信頼しています。天の王国は恒久平和をもたらすことのできる唯一の取り決めなのです。

      キリスト教世界,「踏みにじる場所」

      19 世界平和をもたらす点で政治組織に頼ることが幻想であるのはなぜですか。

      19 人間が作った,神の王国の何らかの代用物を信頼することは,その代用物を偶像,つまり崇拝の対象にするということです。(啓示 13:14,15)ですから,平和と安全を求めて国際連合などの政治機構に頼ることを奨励するのは,幻想であり,うそです。そうした偽りの希望の対象となっているものについて,エレミヤはこう言っています。「その鋳像は偽りであり,そのうちに霊はない(の)である。それらはむなしいもの,愚弄の業である。それらは注意を向けられる時,滅びうせるのである」。(エレミヤ 10:14,15)ですから,対型的なエジプトの軍馬,すなわち今日の諸国家の軍事および政治的な力をもってしても,キリスト教世界の宗教的な領域を同世界の危機の日に保護することはできません。キリスト教世界の諸宗教とこの世との同盟関係は,決してそれらの諸宗教を保護するものとはなりません。

      20,21 (イ)国際連盟はどうなりましたか。また,国際連合が国際連盟と大して変わらないのはなぜですか。(ロ)イザヤは,キリスト教世界とこの世との同盟が同世界を救うものとはならないことを,どのように示しましたか。

      20 キリスト教世界は国際連盟に自らの希望を託しましたが,ハルマゲドンが来たわけでもないのに,連盟は覆されてしまいました。同世界は今,忠誠を示す相手を国際連合に代えましたが,国連は間もなく「全能者なる神の大いなる日の戦争」に直面しなければならず,生き延びることはありません。(啓示 16:14)新たにされた国連でさえ,平和と安全をもたらすことはできません。神の預言的な言葉が次のことを示しています。国際連合機構とその加盟国は「子羊[王国の力を執ったキリスト]と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する」。―啓示 17:14。

      21 エホバの証人は確信をもって,サタンの世と同盟するキリスト教世界には救いがないと言います。そして,そのように言う時にも,証人たちは聖書そのものが述べている事柄を指摘しているに過ぎません。イザヤ 28章17節と18節は,次のようなエホバの言葉を引用しています。「わたしは公正を測り綱とし,義を水準器とする。雹は必ず偽りの避難所を一掃し,水も激しい勢いで隠れ場所を押し流す。そしてあなた方の死との契約は必ず解消され,あなた方のシェオルとのかの幻は立つことがない。あふれ出る鉄砲水,それが通り過ぎるとき ― あなた方はまた,必ずそれが踏みにじる場所となる」。

      22 キリスト教世界に完全な公正が実施される時,どんな結果が生じますか。

      22 エホバの司法上の決定が実施される時,それは完全な公正に従って行なわれるでしょう。また,キリスト教世界の確信のより所,つまり「死との契約」は,あたかも鉄砲水によるかのように,完全に拭い去られるでしょう。イザヤは続けてこう述べています。「それは朝ごとに,昼間も夜の間も通り過ぎて行く(の)である。それは聞いたことを他の者に理解させるための身震いの理由となるだけである」。(イザヤ 28:19)傍観者にとって,エホバの裁きの十分な力を目撃するのは,何と恐るべきことでしょう。キリスト教世界の僧職者とその追随者にとって,遅まきながら,自分たちが偽りを信頼してきたことに気づくのは,何と恐ろしいことでしょう。

      エホバのみ名,「強固な塔」

      23,24 エホバの証人はこの世での安全を求めるよりも,何を行ないますか。

      23 しかし,エホバの証人についてはどうでしょうか。たとえ国際的な規模の憎しみや迫害に直面したとしても,証人たちは世から離れた状態をあくまでも堅持します。イエスがご自分の追随者に関して,「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」と言われたことを決して忘れません。(ヨハネ 17:16)彼らはこの終わりの日の期間中,人間の計画ではなくエホバの王国に信頼を置いてきました。ですから,キリスト教世界に災厄が臨むとしても,エホバの証人は恐れません。イザヤが予告していたとおり,「信仰を働かせる者はだれも恐れ慌てることはない」のです。―イザヤ 28:16。

      24 箴言 18章10節には,「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」と記されています。それでわたしたちは,エホバと,キリストによるエホバの王国のもとに避難するよう,羊のような人々すべてを招待いたします。隠れ場としてのエホバは偽りではありません。キリストによるエホバの王国はうそではありません。キリスト教世界の避難所は偽りですが,真のクリスチャンの避難所は真実なのです。

  • エホバの異常な業について警告し続けなさい
    ものみの塔 1991 | 6月1日
    • エホバの異常な業について警告し続けなさい

      「エホバはペラツィム山のときのように立ち上がり,ギベオンの近くの低地平原のときのようにかき立てられる」― イザヤ 28:21。

      1,2 エホバはダビデの時代のご自分の民のために,どんな異常な業を行なわれましたか。

      不思議な行ない! 極めて異常な業! エホバが西暦前11世紀の昔にご自分の民のために行なわれたのは,まさしくそれでした。そしてこの不思議な行ないは,エホバが近い将来に行なおうとしておられる,それ以上に異常な業の型となりました。古代におけるその行ないとは何でしたか。ダビデがエルサレムで王位に就いて間もなく,近くに住むフィリスティア人が攻撃を仕掛けてきました。エホバの不思議な行ないを誘発したのはこの攻撃でした。フィリスティア人はまずレファイムの低地平原に侵入し始めます。ダビデは自分がなすべき事柄をエホバに伺い,攻勢に出るようにとの指令を受けます。ダビデはエホバの言葉に従い,バアル・ペラツィムでフィリスティア人の強力な軍隊に圧勝しますが,フィリスティア人は敗北を認めず,レファイムの低地平原でさらに破壊と略奪を行なうため,すぐに戻ってきます。そこでダビデは再びエホバからの指示を求めます。

      2 この時ダビデは,軍隊を率いてフィリスティア人の後ろに回るようにと告げられます。エホバはこう言われました。「バカの茂みのてっぺんで行進の音が聞こえたなら,そのとき,あなたは果敢に行動するように。そのとき,エホバは,フィリスティア人の陣営の者を討ち倒すため,あなたより先に出ているからである」。実際そのとおりになりました。ダビデが待っていると,エホバはバカの茂みのてっぺんで ― 恐らくは強風によって ― 行進の音を生じさせました。直ちにダビデとその軍隊は隠れ場から飛び出して,混乱に陥ったフィリスティア人を攻撃し,大々的な殺りくによって彼らを打ち負かします。フィリスティア人が戦場に残していった宗教的な偶像は,集められて破壊されました。―サムエル第二 5:17-25。歴代第一 14:8-17。

      3 エホバの不思議な行ないがイザヤの時代のユダヤ人にとって重大な事柄であったのはなぜですか。また,それは今日のキリスト教世界にとって重大な事柄であるはずですが,それはなぜですか。

      3 これは,エホバがフィリスティア人に対抗して,またご自分に属する油そそがれた王のために遂行された異常な業であり,不思議な行ないでした。預言者イザヤは,エホバがこれに匹敵するほど不思議で強力な事柄を,ユダの霊的な酔いどれたちに対して行なわれると警告していますから,この際立った行ないは特に重大な事柄です。したがって,イザヤの時代の不忠実な宗教指導者たちは注意を払うべきでした。今日のキリスト教世界も注意を払うべきです。ユダに生じた事柄は,キリスト教世界の最終的な定めを表わす型となっているからです。

      『寝いすは短すぎた』

      4,5 (イ)イザヤは当時の宗教指導者たちの不快な状況をどのように写実的に示していますか。(ロ)今日のキリスト教世界の不快な状態は何に起因していますか。

      4 まずイザヤは,それら古代の霊的な酔いどれたちが信頼していた政治条約は欺まん,つまり偽りであるという事実を暴露しました。それから,そのような偽りに望みをかけていた人々の不快な状況を写実的に示しました。イザヤはこう述べました。「寝いすはその上に身を伸べるには短すぎたし,織った敷布も身を包むには狭すぎる」。(イザヤ 28:20)短すぎるベッドの上に身を伸べる人は,足が冷たいところに突き出ることに気づきます。他方,短いベッドに合わせるためにひざを折ったとしても,ベッドの覆いは狭すぎて,体の多くの部分がやはり外に出てしまいます。どのようにしても,その人の一部分は冷たいところに出るのです。

      5 象徴的に言って,これがイザヤの時代に偽りの避難所に信頼を置いた人々の状況でした。またそれは,今日キリスト教世界の偽りの避難所に信頼を置く人々の不快な状況でもあります。彼らは言わば,冷たいところにはみ出ているのです。今は平和と安全のためのこの世の取り決めの中に慰めを求めるような時ではありません。神による裁きの行動が間近に迫っている現在,政治支配者との同盟はキリスト教世界に温かい慰めをもたらしません。

      エホバの不思議な行ない

      6 エホバはどのようにユダに敵対して行動することになっていましたか。また,どのようにキリスト教世界に敵対して行動されますか。

      6 イザヤは当時の不忠実なエルサレムと,現代の不忠実なキリスト教世界の不快な状況を写実的に描写してから,さらにこう述べます。『エホバはペラツィム山のときのように立ち上がり,ギベオンの近くの低地平原のときのようにかき立てられる。それはご自分の行ない ― その行ないは不思議なもの ― をするため,ご自分の業 ― その業は異常なもの ― を行なうためである』。(イザヤ 28:21)そうです,エホバはバアル・ペラツィムでなさったように間もなく立ち上がられる,とイザヤは警告しました。しかし神はこの度,ご自分の不信仰な民に敵対して行動されます。そして決壊したダムの裂け目から,歯止めのきかない水が激しく流れ出るように行動されるのです。エルサレムが死と結んだ契約は無意味かつ無駄なものであることが示されるでしょう。エホバは同じような方法で,近い将来キリスト教世界に敵対して行動され,同世界はこの世との陶酔させる協定すべてが無意味であることに気づくでしょう。キリスト教世界の巨大な組織は解体され,同世界の信者たちは離散します。キリスト教世界の偽りの神々は完全に焼き尽くされるでしょう。

      7 ユダに関するエホバの目的が「不思議」で「異常」なものと呼ばれたのはなぜですか。

      7 イザヤが,エルサレムに敵対するエホバの行動を,不思議で異常な業と呼んでいるのはなぜですか。エルサレムはエホバの崇拝の中心地であり,エホバに属する油そそがれた王の都市でした。(詩編 132:11-18)そのような場所として,それまで同市が滅ぼされたことは一度もありませんでした。そこにある神殿が焼かれたことも,かつてエルサレムに設立されたダビデの王家が覆されたことも,全くありませんでした。そのようなことは考えられませんでした。そうしたことが生じてもよいとエホバがお考えになるとしたら,それは極めて異常なことでした。

      8 エホバは,来たるべき異常な行動について,どんな警告をお与えになりましたか。

      8 しかしエホバはご自分の預言者たちを通して,衝撃的な出来事がこれから生じるという正当な警告をお与えになりました。(ミカ 3:9-12)例えば,西暦前7世紀に生きていた預言者ハバククは,こう言いました。「あなた方は諸国民の中で見よ。眺めよ。驚き惑って互いを見つめよ。驚き惑うがよい。あなた方の日になされる業があるからである。それが細かに話されたとしてもあなた方は信じないであろう。今わたしは,カルデア人を,無情で血気にはやる国民を起こすからである。それは地の広く開けた所に行って,自分のものではない住みかを手に入れようとする。それは恐るべき国民であり,畏怖の念を抱かせる」― ハバクク 1:5-7。

      9 エホバはどんな方法で,エルサレムに敵対するご自分の警告の言葉を成就されましたか。

      9 西暦前607年にエホバはその警告の言葉を成就されました。エホバは,バビロニアの軍隊がエルサレムを攻め,都市と神殿の両方を破壊することをお許しになったのです。(哀歌 2:7-9)さらに神は,エルサレムが二度目の滅びを経験することを許されました。なぜでしょうか。70年の捕囚の後,悔い改めたユダヤ人は故国に帰還し,やがてもう一つの神殿がエルサレムに建てられましたが,またもやユダヤ人はエホバからそれてゆきました。パウロは西暦1世紀にハバククの言葉を引用して当時のユダヤ人に当てはめ,そのようにして,この預言には将来の適用があるという警告を与えました。(使徒 13:40,41)イエスご自身,ユダヤ人の側の信仰の欠如のゆえにエルサレムとその神殿は滅ぼされるという,明確な警告を与えておられました。(マタイ 23:37-24:2)それら1世紀のユダヤ人は注意を払ったでしょうか。いいえ,払いませんでした。彼らの先祖と同様,エホバの警告を完全に退けました。したがってエホバは,ご自分の不思議な業を繰り返されました。エルサレムとその神殿は西暦70年にローマ軍によって滅ぼされました。

      10 エホバは近い将来に,キリスト教世界に敵対するどんな行動をお取りになりますか。

      10 ではだれが,現代においてエホバは同じことはなさらないと考えるべきでしょうか。事実からすると,神は,たとえ疑いを抱く人の目には不思議で異常なことに思えるとしても,ご自分の目的を果たされます。このたび神の行動の標的となるのは,キリスト教世界です。同世界は古代のユダのように,神を崇拝していると主張しますが,どうしようもないほどに腐敗しています。エホバは,大いなるダビデつまりキリスト・イエスによって,キリスト教世界という“フィリスティア人”を,彼らが予期せぬ時に襲うでしょう。そして,キリスト教世界の宗教体制に関係した最後の痕跡さえも除き去るほどに,ご自分の異常な業を行なわれるでしょう。―マタイ 13:36-43。テサロニケ第二 1:6-10。

      エホバの行動に関する警告

      11,12 エホバの証人は,来たるべきエホバの裁きについて,どのような警告を与えてきましたか。

      11 エホバの証人はこれまで長年にわたり,エホバによる来たるべきこの裁きの行動について警告してきました。また,西暦前607年に,そして西暦70年にもエルサレムとその神殿が滅びたことは,キリスト教世界に起きる事柄に関する預言的な警告であるということも指摘してきました。さらに彼らは,キリスト教世界は背教したために,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの一部になったということも明示してきました。そのような理由で,大いなるバビロンに対する神の裁きは,特にキリスト教世界の上にもたらされるのです。同世界はそのサタン的な集合体の中でも最も罪の重い部分だからです。―啓示 19:1-3。

      12 エホバの証人は,大いなるバビロンの政治的な愛人が,エホバのご予定の時に大いなるバビロンに襲いかかるという,聖書の預言的な警告を指摘してきました。啓示の書は,この愛人たちを緋色の野獣の十本の角として象徴的に示し,こう警告しています。「あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦[大いなるバビロン]を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼き尽くすであろう」。(啓示 17:16)宗教的なキリスト教世界は,他のすべての偽りの宗教もろとも焼かれて滅ぼされるのです。これは,この時代のためのエホバの不思議な行ない,異常な業となるでしょう。

      13 エホバの警告に対する今日の反応は,イザヤが直面した反応とどのように類似していますか。

      13 エホバの証人は,来たるべきこの破局に関する警告を伝えるとき,嘲笑の的になることが少なくありません。そのようなことを言うとは,エホバの証人は自分たちのことを何者だと思っているのか,と人々は首をかしげます。キリスト教世界は非常に安定していて,押しも押されもしないように見えます。ある人々は,キリスト教世界の立場はよくなっているとさえ考えています。以前はキリスト教世界を抑圧していた幾つかの政府も,最近は一層大きな行動の自由を与えています。しかし実際のところ,キリスト教世界はイザヤの次の諭しに注意を払うべきです。「あなた方は嘲笑する者となってはならない。あなた方の縛り縄が強くならないためである。主権者なる主,万軍のエホバからわたしが聞いた全土に関する絶滅が,すなわち定め置かれたものがあるからである」― イザヤ 28:22。ペテロ第二 3:3,4。

      14 キリスト教世界の縛り縄はどのように一層強く,一層きつくなりますか。

      14 大抵の場合キリスト教世界は,王と王国に敵がい心を示し続けるでしょう。(テサロニケ第二 2:3,4,8)しかし同時に,その縛り縄は一層強く,一層きつくなるのです。言い換えれば,同世界の滅びはますます確実になるということです。エホバはキリスト教世界を滅ぼすという決定を覆されません。それは,西暦前607年にエルサレムとその神殿の滅びを許すという決定を覆されなかったのと同じです。

      「彼女から出なさい」

      15 正しい心を持った人々には,逃れるためのどんな道が開かれていますか。

      15 人はどうすれば,キリスト教世界の定めから逃れられるでしょうか。昔のイスラエルの時代,エホバは心の正しい人々を清い崇拝に呼び戻すため,忠実な預言者たちを遣わされました。今日,神は同様の目的のために,今や数百万を数えるご自分の証人たちを起こされました。証人たちはキリスト教世界の霊的に死んだ状態を恐れずに暴露しています。そうすることによって,啓示 8章と9章に出てくるみ使いのラッパの吹奏による災厄の宣告を忠実に鳴り響かせるのです。さらに彼らは,啓示 18章4節に記されている,「わたしの民よ,……彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」という勧めを勤勉に言い広めてきました。ここで言われている「彼女」とは,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国です。その帝国の主要な成員は,キリスト教世界です。

      16 幾百万という人々は,どのようにして偽りの宗教から逃れてきましたか。

      16 1919年以来,そして特に1922年以来,柔和な人たちの増大する群衆がその勧めにこたえ応じ,大いなるバビロンを捨ててきました。最初は幾千人が,次いで幾十万人が,そして今では幾百万もの人々が偽りの宗教,特にキリスト教世界から離れ,清い崇拝のもとに逃れてきました。(イザヤ 2:2-4)そのように大いなるバビロンを去って初めて,大いなるバビロンに臨む災厄が避けられることを彼らは知っているのです。その災厄は,エホバの異常な業が成し遂げられる時が来て大いなるバビロンが滅ぼされる際に頂点に達します。

      17,18 エホバはどのようにご自分の民にとって,飾りの冠,また美の花輪となってこられましたか。

      17 預言者イザヤは,清い崇拝の側に立場を定める人々の幸福な状況を描写しています。イザヤはこう述べています。「その日,万軍のエホバはその民の残っている者たちにとっての飾りの冠,また美の花輪となり,裁きのために座す者にとっての公正の霊となり,門から戦闘を退ける者たちにとっての力強さとなられる」― イザヤ 28:5,6。

      18 エホバは,忠実で思慮深い奴隷級の成員の,真理に対する忠節ゆえに,彼らのために朽ちない栄光の冠となっておられます。このことは特に1926年以来,真実となってきました。その年の「ものみの塔」誌1月1日号は,「エホバを敬うのはだれか」と題する感動的な記事の中で,エホバのみ名をたたえることがどうしても必要であることを強調しました。その時以来,油そそがれたクリスチャンは空前の規模で世界中にそのみ名を言い広めてきました。1931年にはエホバの証人という名称を採用することにより,エホバと一層親密に結びつくことを明らかにしました。さらに,ほかの羊の大群衆も,キリスト教世界と大いなるバビロンの残りの部分から出て来るようになりました。それらの人々も神のみ名を受け入れてきました。その結果どうなりましたか。国家としての何らかの一時的な独立というよりも,エホバご自身が,212ほどの国や地域および海洋の島々にいる400万人余りの人々のために飾りの冠,また美の花輪となってこられました。生ける唯一まことの神のみ名をいただくのは,それらの人々にとって何という誉れでしょう。―啓示 7:3,4,9,10; 15:4。

      「彼の上にエホバの霊が必ずとどまる」

      19 裁きのために座す者とはだれですか。エホバはその者に対して,どのように公正の霊となってこられましたか。

      19 エホバは,「裁きのために座す者」であるイエスに対して,「公正の霊」となってこられました。イエスは地上におられた時に,この世との同盟という,人を陶酔させる精神に打ち負かされることを拒みました。今日イエスは,エホバに属する即位した王として聖霊に満たされており,この聖霊による指示を受けて,釣り合いの取れた明快な決定を下されます。次の預言はイエスのうちに成就してきました。「彼の上にエホバの霊が必ずとどまる。それは知恵と理解の霊,計り事と力強さの霊,知識とエホバへの恐れの霊である」。(イザヤ 11:2)確かにエホバは,イエスを通して,「公正を測り綱とし,義を水準器と」されます。(イザヤ 28:17)霊的に酔いしれている敵たちは滅びの際に打ちのめされますが,エホバの聖なるみ名と宇宙主権に対しては公正が行なわれます。

      20,21 イザヤ 28章1-22節の言葉は,どのようにあなたに影響を及ぼしますか。

      20 それで,イザヤ 28章のこの預言は,今日のわたしたちにとって何とすばらしい意味を持っているのでしょう。もしわたしたちが,キリスト教世界の霊的な酔いどれたちから遠ざかり,清い崇拝にしっかり付き従っているなら,エホバが不思議な行ないと異常な業を行なわれる時に保護されるのです。このことを知るのは実に喜ばしいことです。そして,これらの事柄が過ぎ行く時に,万軍のエホバがご自分の忠実な民のために,そしてイエス・キリストによるご自身の正しさの立証のために行動されたことを,すべての人がいや応なく知るようになるのです。このことを考えると,わたしたちは本当に幸福になります。―詩編 83:17,18。

      21 では,真のクリスチャンすべては,エホバの不思議な行ないについて今後も恐れず警告を続けたいものです。これからも神の異常な業について告げましょう。その際,真のクリスチャンの揺るがぬ希望は,即位した王が支配する神の王国にあることを,すべての人にふれ告げましょう。彼らの熱心さが,決意が,そして忠節が,わたしたちの全能の神エホバの永遠の賛美に寄与するものとなりますように。―詩編 146:1,2,10。

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