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  • すべての国民のために間もなく行なわれる公正
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 3/1 24–29ページ

すべての国民のために間もなく行なわれる公正

「公正,公正こそあなたの追い求めるべきものである。それはあなたが生きつづけるため,あなたの神エホバが与えてくださる土地を実際に取得するためである」― 申命記 16:20。

1 人間に対する神の当初の目的は何でしたか。人間はどのようにしてのみその目的を果たすことができましたか。

エホバ神が男と女を創造された目的は,地を完全な被造物で満たすことでした。すべての男女はエホバを賛美し,地を従わせるという分を果たすことになっていました。(創世記 1:26-28)人間は神の像と様に造られたので,知恵と公正と愛と力という特質を付与されていました。人間はそれらの特質を釣り合いを保ちながら働かせることによってのみ,人間に対する造り主の目的を十分に果たすことができました。

2 イスラエルの子らにとって,公正を追い求めるのはどれほど重要なことでしたか。

2 前の記事に示されていたとおり,人間は物事の行ない方に関する神の道に反逆し,死を宣告されました。人間は不完全であるために,人類に対する神の当初の目的を遂行できなくなったのです。この失敗の一つの重要な要因となってきたのは,人間には完全な公正を発揮する力がないということです。ですから,モーセがイスラエルの子らに,「公正,公正こそあなたの追い求めるべきものである」ということを思い起こさせたのも不思議ではありません。彼らの命と,約束の地を所有するための能力は,彼らが公正を追い求めることに依存していたのです。―申命記 16:20。

来たるべき良い事柄の影

3 エホバがイスラエルを扱われた方法を調べることが,今日のわたしたちにとって重要なのはなぜですか。

3 エホバがイスラエル国民を扱われた方法は,エホバがご自分の選んだ僕イエス・キリストを通して,ご自分の公正をすべての国民に実際に明らかにされるという確信を強めます。使徒パウロは問題を次のように説明します。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)神は「義と公正を愛される方」なので,イスラエル人が互いを扱うどんな場合においても,ご自分に見倣うことを求められました。(詩編 33:5)このことは,イスラエルに与えられた600の律法を少し調べるだけで,はっきり分かります。

4 モーセの律法のもとでは,市民権の問題はどのように扱われましたか。

4 モーセの律法に従うとき,市民権の問題は起こりませんでした。レビ記 19章34節は,その土地に住むようになった非イスラエル人の例を挙げ,「あなた方のもとに外国人として住む外人居留者は,あなた方の土地に生まれた者のようにされるべきである。あなたはこれを自分自身のように愛さねばならない」と述べています。何と公正で愛のある取り決めでしょう。さらに,裁き人にも証人にも,等しく次のような訓戒が与えられました。「論争に関する証言に際し,群衆と共にそれて行って公正を曲げようとしてはならない。立場の低い者に関しては,その者の論争のさいに偏った好意を示してはならない」。(出エジプト記 23:2,3)考えてみてください。富んだ人にも貧しい人にも等しく公正が施行されたのです。

5 モーセの律法下における刑法と今日の刑法とを比較してください。

5 モーセの律法体系のもとにあった刑法は,今日の諸国家の法令集にある法律よりはるかに優れていました。例えば,窃盗犯は刑務所に入れられなかったので,律法を守っている勤勉な人々には負担がかかりませんでした。窃盗犯は働いて,盗んだ物の2倍以上のものを支払わねばなりませんでした。ですから,被害者は全く損失を被りませんでした。窃盗犯が働こうとせず,支払いを拒むならどうでしょうか。そのような場合,その者は損害賠償がなされるまで売られて奴隷にされました。かたくなな態度を取り続けるなら,死刑になりました。そのようにして,公正は被害者のために施行されただけでなく,盗みをしそうな傾向のある他の人たちを思いとどまらせる強い抑制力にもなりました。(出エジプト記 22:1,3,4,7。申命記 17:12)さらに,命は神の目に神聖ですから,殺人者はすべて死刑になりました。こうして邪悪な殺人者は国民の中から除かれましたが,意図せずに人を殺してしまった人には憐れみが示されました。―民数記 35:9-15,22-29,33。

6 イスラエルの律法を調べることによって,どんな結論に達しますか。

6 それで,イスラエル国民に対する神の司法上の扱いすべてに公正という特色が見られたことを,だれが否定できるでしょうか。ですから,イザヤ 42章1節の神の約束をキリスト・イエスがどのように実施されるかを熟考するとき,わたしたちは大きな慰めと希望に満たされます。その聖句は,「彼は諸国の民への公正をもたらすであろう」という保証を与えているのです。

憐れみと釣り合っている公正

7 イスラエルに対するエホバの憐れみ深い扱い方について説明してください。

7 神の公正は憐れみと釣り合っています。このことは,イスラエル人が神の義の道に反逆し始めた時にはっきり実証されました。エホバが荒野で40年にわたって民を憐れみ深く世話されたことに関するモーセの言葉に耳を傾けてください。「これを荒野の地に見いだしてくださった。人のいない,遠ぼえのする砂漠に。彼を囲み,これを顧み,ご自分のひとみのようにこれを守ってゆかれた。鷲がその巣をかき立て,巣立ちびなの上を舞い駆けり,翼を広げてこれを受け,羽翼に乗せて運ぶように,ただエホバだけが終始彼を導(い)た」。(申命記 32:10-12)後にその国民が背教した時エホバは,「どうか,あなた方の悪い道から,あなた方の悪い行ないから立ち返るように」と懇願なさいました。―ゼカリヤ 1:4前半。

8,9 (イ)神はユダヤ人に,憐れみの伴った公正をどの程度示されましたか。(ロ)ユダヤ人は最終的にどんな災いに見舞われましたか。しかし,彼らに対する神の扱い方については,何と言えますか。

8 エホバは憐れみを差し伸べられましたが,耳を傾ける者はいませんでした。神は預言者ゼカリヤを通して,「彼らは聴かず,わたしに少しも注意を払わなかった」と言われました。(ゼカリヤ 1:4後半)そのため神は憐れみの伴った公正という特質に促され,人々がご自分のもとに立ち返るよう助けるためにご自分の独り子を遣わされました。バプテスマを施す人ヨハネは,「見なさい,世の罪を取り去る,神の子羊です!」と言って,神のみ子を紹介しました。(ヨハネ 1:29)イエスは数年の間,うまずたゆまず神の正しい道をユダヤ人に教え,数多くの奇跡を行ない,ご自分が予告されていた救出者であることを証明されました。(ルカ 24:27。ヨハネ 5:36)しかし,民が耳を傾けず信じなかったため,イエスは声を大にしてこう言われました。「エルサレム,エルサレム,預言者たちを殺し,自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ ― わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように。しかし,あなた方はそれを望みませんでした。見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています」― マタイ 23:37,38。

9 神はさらに37年間,不利な裁きの執行を差し控えましたが,ついに西暦70年,ローマ人がエルサレムを滅ぼし,幾万人ものユダヤ人が捕虜になることを許されました。幾世紀にもわたるエホバの辛抱強さと忍耐を考えるとき,イスラエルの家に対する神の扱いすべてに公正という特色が見られたことを,だれが見逃せるでしょうか。

すべての国民のための公正

10 神の公正はどのようにすべての国民に差し伸べられましたか。

10 ヤコブは,イスラエルがイエスを退けた後,「神(は)初めて諸国民に注意を向け,その中からご自分のみ名のための民を取り出された」と述べました。(使徒 15:14)イエスをメシアとして受け入れたそれら少数のユダヤ人を含むこの「民」は,集合的に「神の[霊的]イスラエル」を構成し,霊によって生み出された14万4,000人のキリスト・イエスの追随者たちで成っています。(ガラテア 6:16。啓示 7:1-8; 14:1-5)無割礼の異邦人で最初の信者になったコルネリオとその家の者たちが,救いに関する神の道を受け入れた時,ペテロは,「わたしは,神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」と述べました。(使徒 10:34,35)パウロは,エホバが公正で偏り見られないことについてさらに詳しく述べ,こう言っています。「ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の人となっているからです。さらに,キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人です」― ガラテア 3:28,29。

11 アブラハムにどんな約束がなされましたか。それはどのように果たされますか。

11 ここでわたしたちが思い起こすのは,エホバがアブラハムになさったすばらしい約束です。その族長が自分の愛する息子イサクを進んで犠牲にしようとした態度に基づいて,神はアブラハムにこう言われました。「あなたがこのことを行ない,あなたの子,あなたのひとり子をさえ与えることを差し控えなかったゆえに,わたしは確かにあなたを祝福(する。)そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」。(創世記 22:16-18)この約束はどのように果たされますか。イエス・キリストと,死に至るまで忠実さを証明する14万4,000人の油そそがれた仲間によって構成される「アブラハムの胤」は,1,000年の間,天から人間を支配します。(啓示 2:10,26; 20:6)その祝福された時代に関してエホバは,「君としてのその豊かな支配と平和に終わりはない」と保証しておられます。なぜでしょうか。なぜなら,そのメシアの王国の『君としての支配』は,『定めのない時に至るまで,公正と義とによって支えられる』からです。―イザヤ 9:7。

12 人々はアブラハム契約の祝福をすでにどの程度経験していますか。

12 しかし,アブラハム契約の祝福を享受するのに,イエス・キリストの千年統治が始まるまで待つ必要はありません。「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」人々の「大群衆」はすでにその祝福を経験しているのです。彼らは,象徴的に『自分の長い衣を子羊[イエス・キリスト]の血で洗って白くすること』によって,エホバのみ前に義なる立場を得るようになりました。アブラハムのように,エホバの友となったのです。確かに,公正は,すべての国民の中から来た幾百万という人々のためのエホバの救いの道に見られる特色です。―啓示 7:9,14。

あなたは神の公正の道にこたえ応じていますか

13,14 (イ)わたしたちは皆,個人的にどのように心を調べてみるべきですか。(ロ)わたしたちはエホバへの感謝をどのように表わせますか。

13 神がご自分の独り子をあなたのために贖いとして与えてくださるという,神の公正と愛の道にあなたは心を動かされ,深い感動を覚えておられますか。自分の息子を,しかも大変深く愛していた息子を犠牲にするようエホバから求められた時のアブラハムの気持ちを想像してください。しかし,神の感情はもっと深いのです。ご自分の慈しむ子が侮辱され,通りがかりの者からあしざまに言われ,苦しみの杭にかけられて激しい痛みを感じていた時のエホバのお気持ちを考えてください。「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」というイエスの叫びに,神がどう反応されたか想像してください。(マタイ 27:39,46)それでもエホバ神は,公正の観点に立って,み子が忠誠を証明して神の義を立証するような仕方で死ぬのを許さなければなりませんでした。さらに,エホバはみ子の死を許すことにより,人間のために救いの道を開いてくださいました。

14 ですから,エホバとみ子に感謝しているなら,『救いはわたしたちの神と子羊とによる』ということを公に認めるよう動かされるはずです。(啓示 7:10)わたしたちはそのように積極的にこたえ応じることにより,「[エホバの]すべての道は公正である」というモーセの言葉を信じていることを示すのです。(申命記 32:4)人間を救うための神の公正の道を認め,その道を追い求めるとき,それはエホバとみ子の心に大きな幸福感をもたらすに違いありません。

15 イエスがニコデモに語られた言葉は,わたしたちにとってどんな意味がありますか。

15 わたしたちは,1870年代に仲間の信者が贖いの犠牲に関する論争において確固とした態度を取ったことを喜ばしく思うのではないでしょうか。いま自分たちが,人間の救いのための神の公正と愛の道を同じように固守する決意を抱いている組織に属していることを,うれしく思うのではないでしょうか。もしそうであれば,イエスがニコデモに告げた事柄に特別な注意を払うべきです。「神はご自分の子を世に遣わされましたが,それは,彼が世を裁くためではなく,世が彼を通して救われるためなのです。彼に信仰を働かせる者は裁かれません。……真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。わたしたちは神による不利な裁きを逃れるため,『神に従って業』を行なうことにより,み子に対する自分の信仰を証明しなければなりません。―ヨハネ 3:17,18,21。

16 イエスの弟子たちは,どうすれば天の父の栄光をたたえることができますか。

16 イエスは言われました。「あなた方が多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです。わたしのおきてを守り行なうなら,あなた方はわたしの愛のうちにとどまることになります。わたしが父のおきてを守り行なってその愛のうちにとどまっているのと同じです」。(ヨハネ 15:8,10)そのおきてとはどんなものですか。その一つがヨハネ 13章34節と35節に記されています。イエスは弟子たちに,「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。……あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」と言われました。エホバの証人の間では愛という実が明らかに見られます。イエスはこのようにも命令されました。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」。(マタイ 28:19,20)あなたご自身は『神に従って[それらの]業』を行なっていますか。

17 宣べ伝えて教える業がエホバの公正を実証していることを,どんな結果が示していますか。

17 イエスの追随者たちにそうした宣べ伝えて教える業を許したことがエホバの公正の道であることは,エホバの証人がわずか1年で成し遂げた事柄を考えるとき,明らかになります。1988年には,新しく23万9,268人の弟子たちがバプテスマを受けました。これはあなたの心に喜びをもたらすことではないでしょうか。

公正の神は速やかに行動される

18 エホバの民に対する迫害を考えると,どんな疑問が生じるかもしれませんか。

18 証しの業は反対を受けずに行なわれたのではありません。イエスは追随者たちに,「彼らがわたしを迫害したのであれば,あなた方をも迫害するでしょう」と言われました。(ヨハネ 15:20)エホバの証人の現代の歴史は,この言葉の真実性を実証しています。エホバの証人は次から次へと様々な国で,禁令,投獄,殴打,それに拷問をさえ経験してきました。ここでもまた,「律法は鈍くなり,公正が施行されることは全くありません」というハバククの預言的な言葉が思い出されます。ですから,エホバの民でさえ,時には『不実に振る舞う者たちを,エホバが見ておられるのはどうしてか。邪悪な者が自分より義にかなった者を呑み込んでいるのに,エホバがただ沈黙しておられるのはどうしてか』と尋ねたい気持ちになるかもしれません。―ハバクク 1:4,13。

19 イエスは,神の見地に立って物事を理解するようわたしたちを助けるどんな例えを示されましたか。

19 イエスは,そのような疑問に答えるための助けとなり,神の見地から物事を見ることを可能にする一つの例えを示されました。ルカ 17章22節から37節で,イエスはこの事物の体制の終わりをしるしづける暴力的な状態について語り,それは洪水前のノアの日や,ソドムとゴモラが滅んだロトの日の状態に似ていると述べてから,ルカ 18章1節から5節に描写されているように,弟子たちの方を向き,「彼らが常に祈り,かつあきらめてはならないことについて,さらに例えを話して」ゆかれました。イエスは,非常に困窮していたやもめと,その必要を満たせる立場にあった「ある裁き人」について話されました。そのやもめは,「わたしが自分の訴訟の相手に対して公正な裁きを得られるようにしてください」と懇願し続けます。裁き人はやもめの粘り強さゆえに,ついに「彼女が公正な裁きを得られるようにし」ました。

20 イエスの例えには,わたしたちのためのどんな教訓が含まれていますか。

20 今日のわたしたちはこれからどんな教訓を得られますか。イエスは不義な裁き人とエホバとを対比して,「不義な者ではあるが,この裁き人の言ったことを聞きなさい! では,神は,日夜ご自分に向かって叫ぶその選ばれた者たちのためには,たとえ彼らに対して長く忍んでおられるとしても,必ず公正が行なわれるようにしてくださらないでしょうか。あなた方に言いますが,彼らのため速やかに公正が行なわれるようにしてくださるのです」と言われました。―ルカ 18:6-8前半。

21 わたしたちは自分の個人的な問題をどのように見,どのように扱うべきですか。

21 個人的な問題の場合,わたしたちの請願に対する答えが遅れているように思えても,神の側にそうする気持ちがないために遅れているのではないことを,いつも忘れないようにしましょう。(ペテロ第二 3:9)あのやもめのように何らかの迫害や不公正に苦しむことがあるとしても,わたしたちは最終的に公正が行なわれるよう神が取り計らってくださるという信仰を抱けます。そのような信仰をどのように示せますか。常に祈り,その祈りに調和して忠実な歩みを続けるのです。(マタイ 10:22。テサロニケ第一 5:17)わたしたちは自分の忠実さにより,地上に信仰のあること,公正を本当に愛する者がいること,自分がその中の一人であることを証明するのです。―ルカ 18:8後半。

「諸国民よ,神の民と共に喜べ」

22 モーセはどんな勝利の響きをこめて自分の歌を結びましたか。

22 幾世紀も前,モーセは次のような勝利の響きをこめて自分の歌を結びました。「諸国民よ,神の民と共に喜べ。神はその僕たちの血の復しゅうをされるからである。ご自分の敵対者たちに報復し,ご自分の民の地のために贖罪を行なわれるのである」。(申命記 32:43)エホバの復しゅうの日はいよいよ間近に迫っています。エホバが今なお公正と共に忍耐を示しておられることを,わたしたちは深く感謝します。

23 神の民の喜びにあずかる人々には,どんな幸福な結末が待ち受けていますか。

23 すべての国民が「悔い改めに至る」道はまだ開かれていますが,無為に過ごす時間はありません。ペテロは,「エホバの日は盗人のように来ます」と警告しました。(ペテロ第二 3:9,10)神の公正の観点に立つと,この邪悪な体制は間もなく滅ぼされなければなりません。その時,わたしたちは,「諸国民よ,神の民と共に喜べ」という喜ばしい叫びにこたえ応じてきた者たちの中に見いだされるようでありたいものです。そうです,公正が神の道すべてに見られる特色であることを見た幸福な人々の一人に数えられますように。

どのように答えますか

□ モーセの律法が神の公正に対するわたしたちの信仰を強めるのはなぜですか

□ どんな事柄は,神の公正な道にこたえ応じるようわたしたちを促すはずですか

□ どうすればエホバの栄光をたたえることができますか

□ 今日,真の喜びはどこにのみ見いだせますか

[25ページの図版]

「神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられるのだということがはっきり分かります」― 使徒 10:34,35。

[28ページの図版]

神はご自分に向かって叫ぶその選ばれた者たちのために,公正が行なわれるようにしてくださる

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