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悪いことなどしていないのに ― なぜ?ものみの塔 2014 | 7月1日
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苦難の原因は業にあるのか
もしヒンズー教や仏教の国で育った人に本誌の表紙の問いを投げかけてみれば,恐らく,「悪いことをしていなくても不幸な目に遭うのは,カルマの法則(因果応報)による。前世で行なったことの報いなのだ」という答えが返ってくるでしょう。c
カルマの教義に関しては,死についての聖書の教えに注目するとよいでしょう。創造者は,人類発祥のエデンの園で,最初の人間アダムにこうお告げになりました。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。(創世記 2:16,17)アダムは,神に不従順になって罪を犯すということがなかったなら,永久に生きたはずです。死は,神の命令に従わなかったことに対する罰として臨みました。その後,子どもたちが生まれて「死が……すべての人に広がった」のです。(ローマ 5:12)ですから,「罪の報いは死」と言えます。(ローマ 6:23)聖書にはまた,「死んだ者は自分の罪から放免されている」とも説明されています。(ローマ 6:7)つまり,人は死んだ後にも罪に対する“罰金”を払い続ける,ということはないのです。
今日,人間の苦難にはカルマが関係している,と説明する人の数は幾百幾千万にも上ります。それを信じる人は大抵,自分自身や他の人の苦難を,あまり心を乱されることなく甘受します。しかし,そういう思想を受け入れても,不幸な出来事がなくなるという希望は持てません。差し伸べられている唯一の救いは,『社会に受け入れられるように振る舞い,特別の知識を得ることにより,輪廻から解放されることだ』と信じられています。そうした観念は,聖書の教えとは相いれません。d
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悪いことなどしていないのに ― なぜ?ものみの塔 2014 | 7月1日
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c カルマの法則と呼ばれるものの起源については,エホバの証人の発行した「人は死ぬとどうなりますか」という冊子の8-12ページをご覧ください。
d 死者の状態や亡くなった人に関する希望について聖書が何と教えているかは,「聖書は実際に何を教えていますか」という本の第6章と第7章をご覧ください。
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