ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 韓国
    1988 エホバの証人の年鑑
    • 次に,玉<オク>兄弟の兄である玉礼俊<オク リェジュン>は,父親の目が真理に対して開かれたいきさつをこのように語っています。

      「ある日,アドベンティスト派教会の牧師がやって来て,警務局の情報部から教会に対して,日本の神道の神社に行って日本の神を崇拝し,教会で日本国旗を掲揚して,その旗に敬礼し,礼拝の前には必ず国歌を歌うようにとの通達があった,と言いました。その牧師自身は,アドベンティスト派教会はその命令に従うしかなく,さもなければ教会は禁止され,アドベンティスト派の信者は消滅してしまうだろうと考えていました。牧師はその件に関して教会の本部に問い合わせをし,その後私たちを訪問して,返答を伝えました。本部からの回答は,大きな試練にはなるが警察の命令に従うように,というものでした。私たちの父はその決定にひどく落胆しました」。

      玉<オク>兄弟の父親は,この件に関する,ものみの塔協会の見解を知りたいと考え,その答えを得るために息子たちと聖書を学び始めました。結果として,父親はエホバの証人が全く正しかったことを認め,父親と母親,および四人の息子と二人の嫁から成る家族の全員が教会に行くのをやめました。

      玉礼俊<オク リェジュン>はさらに続けます。「その後1938年に,アドベンティスト派教会から一人の宣教師が私たちの家に遣わされて,同教会の宣教師たちは日本政府による反対のため朝鮮を去ることにした,と言いました。さらにその宣教師は,私たち家族が国旗敬礼の問題と神社における参拝を理由に教会を脱退したのはたいへん立派なことであると述べ,朝鮮のエホバの証人すべてと同様にエホバ神への強い信仰を保つよう私たちを励ましました」。

  • 韓国
    1988 エホバの証人の年鑑
    • [146ページの図版]

      玉應斗<オク ウンドゥ>,玉礼俊<オク リェジュン>,および玉智俊<オク ジジュン>(左から右へ)は第二次世界大戦中,厳しい試練に直面した

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする