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    1988 エホバの証人の年鑑
    • そのあとすぐに,私の夫である崔性圭<チョイ スンキュ>がソウルの東大門<トンデムン>警察署の警官に逮捕されました。警察は,神社での参拝を拒否したという理由で夫を非難しました。夫は刑務所に二十日間いましたが,その間に腸チフスにかかり,病院へ移されました。病院で40日を過ごした後,夫は釈放されましたが,1939年6月に生じた兄弟たちの一斉検挙でまた捕まりました。

      「夫の義理の兄弟は,日本政府のもとで高い地位を得ていたため,夫が首尾よく刑務所から出られるよう一人の弁護士を遣わしました。その弁護士は夫に,釈放の手だてを可能にする唯一の方法は,夫が神社で参拝することだと言いました。夫は弁護士の申し出をその場で退け,二度と自分には会いに来ないようにと言いました。それから夫は私にあてた手紙の中で,『だれがあの弁護士をよこしたのか』と尋ね,『目覚めていなさい! ローマ 8章35節から39節を読みなさい』と述べました。この手紙は刑務所の外にいた私たち全員を大いに励ますものとなり,新しい人たちはエホバを引き続き賛美することを決意しました。

      「その後,私は1941年9月に再び逮捕されましたが,15日間拘留されただけですみました。私は,夫が刑務所から釈放されるので500ウォン(250米㌦)を持って来るようにと言われました。私はお金を工面して,刑務所に向かいました。暗くて,寒い夜でした。夫は床に横たわり白いシーツをかけられていましたが,生きているというよりはほとんど死んだような状態でした。警察は夫を2年半も投獄したうえ,今度はこんな状態になった夫を釈放するために500ウォンを持って来いと言うのです! 42歳だった夫は,それから8時間後に亡くなりました。

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    1988 エホバの証人の年鑑
    • [153ページの図版]

      崔性圭<チョイ スンキュ>は自分が抱いていた信仰のゆえにひどい虐待を受け,1941年に亡くなったが,その信仰は兄弟たちを大いに励ますものとなった

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