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    1988 エホバの証人の年鑑
    • 今回の増築計画は以前になされた増築工事に比べると,大規模なものでした。今や支部では雑誌の印刷業務がなされようとしており,さらには,将来に向けて書籍を印刷する準備も行なわれていました。1982年5月8日は,興奮した熱気に包まれました。その日は,完成した建物が献堂され,世界本部から来たフランズ兄弟とバリー兄弟が特別の話を行なったのです。

      米国と日本の兄弟たちから寄せられた援助と,地元にある民間の印刷会社から協力が得られたおかげで,今や支部は独自の印刷施設を有するようになりました。ごく短期間のうちに雑誌の各号の印刷部数は20万部ほどに増えたため,どの機械も一日中フルに稼働しています。

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    1988 エホバの証人の年鑑
    • 大活躍する高速輪転機

      今からおよそ600年前に,朝鮮の人々は初の可動式印刷用金属活字を発明して,印刷技術を発展させました。今日,韓国の証人たちは王国の関心事を推し進めるために最新の印刷技術を駆使しています。コンピューターを用いた装置によって印刷前の多くの仕事がなされ,32ページから成る4色刷りの雑誌が新しい三菱オフセット輪転機から毎分500冊送り出されるようになったので,証人たちは十分な量の雑誌と文書を難なく生産することができています。このような大型印刷機を購入する計画が初めて考慮されたのは,1983年の夏のことでした。このとき,地帯監督として奉仕していたロイド・バリー兄弟は,印刷機にかなりの負担がかかっている様子を目にしました。

      当時の工場の収容能力は限界に達しており,重さ130㌧,長さ約25㍍の印刷機を床に設置するだけのスペースはとてもありませんでした。そのため,別の建物が必要となり,わずか4年にして,孔道<コンド>での2度目の拡大が見られることになりました。このころまで韓国語の雑誌は英語版より3か月遅れていたため,英語に合わせて雑誌を同時印刷できるという見込みは,すべての仕事をやりがいのあるものとしました。

      しかし,そのような印刷機を輸入することには幾多の問題が伴いました。政府の方針で定められたところによれば,輸入の許可が下りる前には,政府から推薦状を受け取っている必要がありました。これはほとんど不可能に近い事柄でした。ところが,1985年の夏に,その規定は解除されたのです。兄弟たちは時を移さず輸入認可を取得しました。その認可を得てから6週間もしないうちに,法律は再び変わり,政府の推薦状が求められるようになりました。聖霊が道を開いていたので,兄弟たちはすかさず行動しました。このようなわけで,今日,支部では印刷機が大活躍しており,伝道者たちは証言で用いる文書を手元に十分確保しておくことができます。

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    1988 エホバの証人の年鑑
    • 1986年に,全長約25㍍の4色刷り印刷機が孔道<コンド>の支部増築部分に設置された後,日本と韓国の支部の奉仕者たちは共に働いて訓練を受けた

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