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目ざめよ! 1991
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言語の障壁を乗り越えて

国際結婚や外国人労働者の増加により,日本の各地で外国人と出会うことが多くなっています。言語は異なっていても,そうした人々と心を通わせることができるでしょうか。群馬県に住む,50代の一主婦は,日本人と結婚したフィリピン人の女性との交流について次のように語っています。

「1987年11月,小学3年生の女の子との聖書研究を司会していた長女に頼まれて,その子のお母さんを訪問しました。その方はオフィリアさんといい,10年ほど前に日本の男性と結婚して,フィリピンから来られた方でした。4人のお子さんがおり,そのうち2人は小児ぜん息を患っていました。その上,全時間の仕事を持つ大変忙しい方でした。

「オフィリアさんは,日本という異国に来て,言葉はもちろん,習慣,食事,考え方などがすべて違い,自分を理解してくれる人がいないため,孤独と悲嘆で毎晩涙に暮れて神に祈っておられたようです。私はオフィリアさんの話を聞き,真の友となり,力になってあげたいと思いました。オフィリアさんの抱える問題は,聖書の正確な知識を学び,エホバ神の目的を理解し,真の希望を持つことによってのみ解決できると考え,聖書の差し伸べる希望を伝えたいと心を促されました。

「お国柄,生まれた時からカトリック教徒として育てられ,小学校から大学まで必修科目に聖書の授業があったということで,日本人は“にわかクリスチャン”という偏見を抱いていたようです。しかし,子供の訓練には関心を持っておられたので,まず,『あなたの家族生活を幸福なものにする』a と題する本の9章を用い,幼い時から子供を訓練することの大切さについて話しました。オフィリアさんは,日本語の日常会話は何とか話せましたが,日本語を読むことができず,手ぶり身ぶりの伴った試行錯誤の話し合いになりました。それでも,神を認め信仰心があり,神に対する感謝の心があり,霊的な事柄を求めておられたので,『あなたは地上の楽園で永遠に生きられます』b という聖書研究の手引き書を用いるようになりました。最初の1節を日本語で説明するのに1時間かかるという状態で,1章を終えるのに1か月かかりました。

「それで英語の出版物を取り寄せ,英語での研究を始めました。私は30年前,看護学校で最後の英語の授業を受けて以来,英語とは全く無縁の生活を送っていましたから,英語での話し合いの準備をするためには,予習に二日間かかるという有様でした。それでもオフィリアさんの真摯な態度と信仰心に励まされ,ラジオ講座を聞いて英語と苦戦しつつ討議を続けました。オフィリアさんは英語の出版物をどんどん読まれ,すぐに4人のお子さんを連れてクリスチャンの集会に出席するようになりました。めきめき進歩してやがて集会の際に英語で話し合いに加わるようになって,本人はもとより,共に聖書を学ぶ人々から成る会衆全体の喜びとなりました。

「1989年4月にはクリスチャン会衆の監督の一人に研究に参加していただきました。エホバの証人の各会衆には,各人が聖書の音信を他の人々に教える技術を修得する助けとして神権宣教学校という学校が設けられていますが,それに入校し,聖書の音信を宣べ伝える奉仕者になるには,日本語の聖書が読めるようになることが必要だと励まされました。その結果,日本語の聖書を読む努力をされるようになり,エホバはその努力を祝福してくださいました。半年後には英語の聖書を使わなくなり,日本語で注解されるようになったのです。集会で討議される出版物の朗読を聞きながら,英語の単語の上にローマ字で日本語の単語を書き込むという“勘”と集中力のいる方法で学んでゆかれました。日本語の上達には目ざましいものがありました。

「オフィリアさんの誠実な努力は神の言葉を生活に生かす面にも表われています。箴言 31章10節から31節,またペテロ第一 3章1節から6節に示されている,クリスチャンの模範的な妻に求められる特質を生活の中で表わされ,神の言葉を学ぶことに反対していたご主人が好意的になるほどでした。

「1990年2月に,自らも神のみ言葉を宣べ伝える奉仕者になりましたが,熱意にあふれ,全時間の仕事を持ちながら,週末に戸別訪問をして聖書の音信を宣べ伝え,昼休みには職場の仲間に熱心に神の言葉について話しておられます。オフィリアさんは現在,日本人と結婚したフィリピン女性との研究をタガログ語版の出版物を使って司会しています。子供たちも母親によく教えられ,オフィリアさんの長女は1989年秋に神権宣教学校へ入校し,奉仕者になることを目指しています。長男も1990年5月に神権宣教学校で初めて,会衆の前で話をする割り当てを果たしました。そしてオフィリアさんは1990年夏のエホバの証人の『清い言語』地域大会でバプテスマを受け,叙任された奉仕者となりました」。

たとえ言語の障壁があっても,心を通わせることは可能です。そして,神の言葉を伝えることを目的として,あらゆる国の人々に近づくなら,足りない分をエホバ神が十分に補ってくださるでしょう。異国の地に住んで孤独な気持ちになっている人の心に聖書の真理が達するにつれて,その人が生き生きとした表情を見せ,喜びにあふれて生活するようになるのを目にするのは実に喜ばしいことです。

[脚注]

a ものみの塔聖書冊子協会発行。

b ものみの塔聖書冊子協会発行。

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