-
タイ1991 エホバの証人の年鑑
-
-
12月には二人の宣教者が首都ビエンチャンに到着し,1959年3月にはさらに4人がやって来ました。
-
-
タイ1991 エホバの証人の年鑑
-
-
ですから,1965年5月にカンボジアをやむなく離れたクロフォード夫妻がその後ビエンチャンに割り当てられたのは時宜を得たことでした。ジョージ・クロフォードはこう思い出を語りました。「私たちはビエンチャンでほんの数日過ごしただけで,集会やその司会方法に対する人々の見方がおかしいことに気づきました。群れの中のある人々は人間に追従し,物質上の利得のゆえに交わっている様子でした。私たちはエホバの組織に関して,またバンコクの支部事務所と密接な関係を保って働く必要があることに関して,正しい見方と認識を植え込むよう努力しました。ティモシー・ボーツ兄弟の助けを得て,協会によって提案された方法と予定にしたがって集会を司会するよう変更が加えられ,ラオ語が使用されるようになりました。人間に追従していた人々は,自分たちを霊的に励ますための集中的な努力が払われても,しだいに離れ去っていきました」。
-
-
タイ1991 エホバの証人の年鑑
-
-
1975年の末にラオスで新しい政権が誕生したころには,神権的な方法で機能する二つの立派な会衆が,一つはビエンチャンで,もう一つはサバナケットで活動していました。
-