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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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その後,兄弟たちは警察の許可を得て,リガ,リエパヤ,イェルガバで公の集会を開き,合計975名が聖書講演を聴きました。それらの講演は多くのラトビア人にとって第二の言語であったドイツ語で行なわれました。これからも集会を開いてほしい,という人は少なくありませんでした。
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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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それに先立つ1927年には,フェルディナンド・フルックという青年とその母親エミリーがバプテスマを受けました。その4年後,フェルディナンドは郷里のリエパヤのパン屋で証言していた時,後に開拓奉仕のパートナーになる男性と出会いました。パン屋は自分の兄ハインリッヒが営む隣の理髪店に駆け込んで言いました。「兄さん,すぐに来てくれ。店に来た男が信じられないようなことを言っているんだ」。しかし,ハインリッヒ・ツェッヘは,聖書の真理を信じられないようなこととは思いませんでした。ハインリッヒは程なくしてバプテスマを受け,フェルディナンドと組んで自転車で多くの町を訪れ,王国の音信を広めました。
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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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リエパヤの僧職者たちはパンフレットを作製して,聖書研究者はイエス・キリストを信じていないと非難し,その出版物を受け取ってはならないと警告しました。主要な教会新聞を使って聖書研究者を中傷することもしました。
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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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[180ページの図版]
ハインリッヒ・ツェッヘと妻エルサ,リエパヤの店の前にて
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