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    2007 エホバの証人の年鑑
    • 1993年の初めに,翻訳チームはリガの宣教者の家の窮屈な部屋からブリービーバス通りのアパートに移りました。その後,1994年8月にはミエラ通り40番地にある改装された新しい事務所に移りました。兄弟たちはこの新しい物件をどのように手に入れたのでしょうか。

      寛大な贈り物

      ゴーリ・ハクマニスと妻ジグリドは,第二次世界大戦中に難民としてラトビアを離れました。二人は英国のロンドンで真理を学び,1951年にバプテスマを受けました。その翌年,米国に移住し,1992年にはラトビアに戻って,そこで5年間過ごしました。

      1991年にラトビアがソビエト連邦から離脱すると,国家によって没収されていた財産の所有権を取り戻せるようになりました。ジグリドと,やはり証人であるその姉は,50年余りにわたって家の書類を保管していたので,ミエラ通り40番地の物件を取り戻すことができました。その後,二人は親切にもそれをエホバの組織に寄付しました。そこで兄弟たちはそのビルを5階建ての翻訳センターに改装し,そこに20名を収容できる宿舎も備えました。

      1994年8月20日に行なわれた献堂式には,統治体のミルトン・G・ヘンシェルが出席しました。兄弟たちは滞在中のヘンシェル兄弟から,隣接したミエラ通り42番地の,6階建ての建物を含む物件も購入するよう勧められました。所有者は米国在住の人で,売却に同意しました。このビルにも全面的な改装が施され,ベテル家族は35名に増えました。その後,施設はさらに拡大して事務所や居室が増え,合計55名のベテル奉仕者を収容できるようになりました。

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    • ベテル家族の一員であるブヤツェスラブス・ザイツェブスは,その活動にあずかるために休暇を取りました。こう述べています。「他の兄弟姉妹ともっとよく知り合う素晴らしい機会となりました。奉仕を終えると,一緒に食事をし,経験を分かち合い,翌日の計画を立てました。それからサッカーをしたり,湖で水遊びをしたりしました。楽園が一足先にやって来たかのようでした」。

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