-
ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
-
-
とはいえ,1920年代以降は,さらに勝った自由がラトビアの人々に差し伸べられてきました。それは聖書の真理を知ることから来る自由です。この霊的な自由について,当時,このように報告されました。「世間一般の人々は……男性も女性も,喜びの涙と共にこの音信を受け入れています」。
-
-
ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
-
-
では,その良いたよりはどのようにしてラトビアに達したのでしょうか。話は,船乗りアンス・インスベルグの祈りで始まります。
アンスはこう書いています。「星の輝くある夜の海で,わたしは主に心を注ぎ出し,霊と真理をもってあなたを崇拝する民のもとに導いてください,と祈りました。(ヨハ 4:24)故郷ラトビアの教会員の偽善をいやというほど見ており,そうしたこととはかかわりを持ちたくないと思っていました。その後,1914年に米国オハイオ州クリーブランドで,『創造の写真劇』という,聖書に基づく作品を見ました。それはエホバの証人の前身である国際聖書研究者が製作したものでした。わたしの祈りは聞かれました。ついに真理を見いだしたのです。わたしは1916年1月9日にバプテスマを受け,宣べ伝える業を開始しました。いつでも蓄えが乏しくなった時には海に戻って働きました」。
第一次世界大戦の少し後,アンスはラトビアで王国の音信を大々的に広めました。自費で,ラトビアの新聞各紙に神の王国について知らせる告知を出したのです。学校の教師を退職したクラスティニュシュはそうした告知から真理を学びました。ラトビアに住んでいる人で,聖書研究者となってエホバに献身したのは,この人が最初だったようです。
-