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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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気の張る配達を終えた時はいつも,お祝いをしました。その業を監督していたパーシー・ダナム兄弟がリガのレストランでごちそうしてくださったものです」。
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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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反対に遭っても前進する
先ほど述べた,スコットランド人のパーシー・ダナムは,1931年にラトビアの野外の業を監督するよう任命されました。パーシーは1914年よりも前から聖書研究者になっていたので,その経験はたいへん役に立ちました。
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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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同年,アイルランドで奉仕していたスコットランド人の開拓者で,1923年にバプテスマを受けたマーガレット(マッジ)・ブラウンがラトビアに移動し,パーシー・ダナムと結婚しました。そのころ,業に対する反対が激しくなりました。マッジはこう書いています。「1933年2月9日,リガのある新聞がわたしたちを共産主義者呼ばわりしました。翌朝,玄関の呼び鈴が鳴ったので出てみると,警官たちがピストルを手に飛び込んで来て,『手を挙げろ!』と叫びました。そして7時間にわたって,禁書を捜しました。しかし,昼食時にお茶を勧めると,喜んでそれを飲みました。
「兄弟たちに配る主な出版物は屋根裏部屋に隠してありました。その少し前のことですが,係官は主人のポケットを調べて,鍵を数個見つけました。『何の鍵だ』と尋ねるので,『屋根裏部屋のです』とパーシーは答えました。そう聞いていたにもかかわらず,その係官は屋根裏部屋には上がって行きませんでした。それどころか,立ち去る直前にはパーシーに鍵を返してくれたのです。彼らは何冊かの出版物に目を通してから,没収する理由は見当たらないと言いました。
「それでも,出版物だけでなく,手紙類や現金,謄写版印刷機,タイプライターまで没収していきました。警察は同じようにラトビア人の証人たちの家6軒を家宅捜索しましたが,不正行為の証拠は何も得られず,告発もしませんでした」。
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ラトビア2007 エホバの証人の年鑑
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[183ページの図版]
パーシー・ダナムと妻マッジ
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