ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目89 2/22 17–20ページ
  • 第4部 ― 西暦前1513年-607年 ― 他とは異なる取り分けられた国民

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 第4部 ― 西暦前1513年-607年 ― 他とは異なる取り分けられた国民
  • 目ざめよ! 1989
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • “教会と国家”― しかし相違がある
  • 信仰合同運動は許されなかった
  • 二つの意見の間でふらつく
  • 必要とされる有能な支配者
  • 偽りの宗教から逃れる
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
  • 偽りの宗教のない世界にかんする「福音」
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
  • 創造者はご自身について啓示される ― わたしたちの益のために!
    あなたのことを気づかう創造者がおられますか
  • 「エホバを自分たちの神とする国民」の幸福
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
もっと見る
目ざめよ! 1989
目89 2/22 17–20ページ

過去の歩みに照らして見た宗教の将来

第4部 ― 西暦前1513年-607年 ― 他とは異なる取り分けられた国民

それは雷鳴と稲妻が伴う,幸先のよい誕生でした。時は西暦前1513年,場所は,当時はアラビアにあって,現在はエジプトにあるシナイ山です。人が誕生したのではなく,国民が誕生したのです。

1年足らず前,彼らは世界強国エジプトに奴隷としてつながれていた,300万人ほどから成る族長社会を形作っていました。しかし今や彼らは自由の民でした。彼らの神は彼らを一つの国民に,しかもほかのどんな国民とも異なる国民に組織することを決意しておられました。彼らは,過去に存在したどんな国民とも,将来に存在するであろういかなる国民とも違う,取り分けられた国民となるのです。

“教会と国家”― しかし相違がある

宗教と政治を融合しようとしたニムロデの試みは破局に終わりました。この度シナイ山で起きていたことは,幾つかの点で同様の融合でした。その融合は多少とも良い成果を収めるのでしょうか。

国家には法律が必要です。それでイスラエル人には,一般に十戒として知られる十の基本的律法と,付加的な600ほどの規定が与えられました。(出エジプト記 20:1-17)それは,これまで常に真の宗教に当てはまってきた,またこの20世紀の今も当てはまる基本的な真理に基づいた法典でした。

それらの律法は,すでに存在していたハンムラビ法典に基づくものでしたか。そう考える人もいるかもしれません。バビロンの第一王朝の王ハンムラビは,イスラエルが国家になる優に150年以上も前に支配していたからです。1902年,もともとはバビロンのマルドゥク神殿にあった石柱に刻まれたハンムラビ法典が発見されました。しかし,「旧約時代の文献」という本は,「類似点は多いが,ヘブライ人がバビロニア人から直接借用したと考えられる根拠はない。これら二組の法律が文字の上であまり異なっていない場合でも,精神は大いに異なる」と結論しています。

この国民が他と異なることになっていたのは,その点だけではありませんでした。その点に加え,本来この国民は人間の支配者を持たないことになっていました。この国民は天におられる目に見えない王の指示を受けることにより,他のすべての国民とは全く異質のものとなるのです。その後ほぼ400年間は,人間の王による王朝は導入されませんでしたが,そのようになった時でもこの国民は他に例を見ない国民でした。例えばエジプトのファラオがしたように,この国の王が自分は神であるとか,神の子孫であると主張することは決してありませんでした。イスラエルの王たちは,代表的な仕方で「エホバの王座」に座していたに過ぎません。―歴代第一 29:23。

立法,司法,行政の機構を持つイスラエルの統治機能は,今日存在する特定の政府を思い起こさせるかもしれません。しかしこの点でも,非常に大きな違いがあるのです。イザヤ 33章22節はこう説明しています。「エホバはわたしたちの裁き主 [司法機関],エホバはわたしたちの法令授与者 [立法権],エホバはわたしたちの王 [行政官] だからである」。三つの統治機能すべてがイスラエルの神のもとに統合されていました。国家の王も,裁判官も,祭司たちも,決して専制君主になれませんでした。彼らはすべて,自分たちが代表する神の律法と指令に拘束されていました。今日の政治家や宗教家の独裁支配とは全くかけ離れています。

このようなわけで,ニムロデの時代の教会と国家の融合が人間の政府と偽りの宗教との融合であったのに対して,シナイ山で起きたことは,神の政府と真の宗教との合体でした。これはより良い結果を保証するものでした。

信仰合同運動は許されなかった

信仰の欠如のため,イスラエル人は40年間荒野を放浪しなければなりませんでした。西暦前1473年,彼らは神から約束された土地,カナンについに入ろうとしていた時,神への奉仕のために取り分けられた国民として神の栄光を反映する責務があることを思い起こさせられました。カナン人と親しく交わるべきではありませんでした。ある参考文献は,「ヤーウェ信仰を持たない隣人に対する彼らの敵意,およびヤーウェは唯一無二であるという主張」という表現を用いていますが,そうしたものの存在した理由も,これで理解できます。

『でもちょっと待ってください。あの偏狭さはどういう訳ですか。カナン人は全く誠実だったかもしれません。それに,すべての宗教は,近づき方こそ違え,どれも同じ神に到達するのではないでしょうか』と,異議を唱える人がいるかもしれません。これに同意する前に,大洪水前の暴虐に満ちた地において,またニムロデがジッグラトを建設した時代に,さらにはエジプトの多神教的な環境の中で,ある人々が被った悪影響を思い起こしてください。そうした人の中には誠実な人もいたかもしれませんが,そのような誠実さによって,創造者に決して受け入れられない宗教を実践した結果を刈り取ることから救われたわけではありません。カナン人の宗教は,これら他の宗教と同じほど悪かったのですか。20ページの囲み記事「カナンの宗教 ― 真実か偽りか」の中で明らかにされている事実をよく考慮した上で,あなたご自身で判断してください。

二つの意見の間でふらつく

約束の地に入ってのち,モーセの後継者ヨシュアは先頭に立って偽りの宗教と戦いました。しかし彼の死後,イスラエル人はその業を進めて約束の地を獲得することを怠りました。共存という寛大な手段を取り始めたのです。これは彼らの益になりませんでした。カナン人は彼らの脇腹にいばらのようになり,絶えず彼らを悩ませ,繰り返し彼らを真の宗教から逸脱させました。―民数記 33:55。裁き人 2:20-22。

その後およそ300年間,神により任命された12人の裁き人が周期的に登場して,堕落していたイスラエル人を偽りの宗教の束縛から解放しました。その中には,バラク,ギデオン,エフタそれにサムソンといった非常に有名な男子が含まれています。

その後の西暦前1117年,サウルがイスラエルの最初の人間の王として即位した時,統治機構に大きな変化が生じました。サウルの後に王座についたダビデは,ついに約束の地のイスラエルの敵すべてを征服し,神によって定められた境界にまで国を広げました。息子のソロモンの統治期間中,イスラエルは栄光の極みに達して繁栄を享受しました。その繁栄は,その国民を他のすべての隣国から取り分けるものでした。

しかし,西暦前998年あるいは997年のソロモンの死に際して,災いが臨みました。国家が分裂したのです。北の十部族はその後イスラエルとして,ユダとベニヤミンから成る南の二部族はユダとして知られるようになりました。相次いで興った,ティブニ以外の北王国の19人の王は,まことの神を代表していると主張しましたが,だれも真の宗教を実践しませんでした。(列王第一 16:21,22)彼らは言わば二つの意見の間でふらついていました。この事態はアハブ王の時代に,深刻な結果を生じさせました。(列王第一 18:19-40をご覧ください。)さらに深刻だったのは,西暦前740年に生じた結果でした。その時イスラエルは,アッシリア人に倒されてしまったのです。

その間,ソロモンの息子レハベアムから始まるユダの19人の王のうち,真の崇拝を実践したのはわずか一握りの人たちでした。国家が良い王と悪い王との間で揺れ動くと,民もまた真の宗教と偽りの宗教の間で動揺しました。偽りの宗教の教理と,バアル崇拝を含む,隣国の堕落した習慣が,民の家庭で次第に明らかになってゆきました。こうした要素が「イスラエル人の信仰の中にさらに確立されてゆく」につれて,「民は,自分たちの排他性と,諸国民への証人となる自分たちの使命に関する概念を失い始めた」と,新ブリタニカ百科事典は述べています。これが国家の崩壊を引き起こしたのです。

カナン人から離れているようにという命令が,イスラエル人を保護し,イスラエル人の崇拝の清さを維持することを意図して与えられたことは明らかです。イスラエル人は真の宗教を実践する国民として,そうしない人々と明白な対照をなす際立った存在となるはずでした。しかし彼らは,目にあまるほど頻繁にぐらつきました。ついに西暦前607年,エルサレムはバビロニア人によって滅ぼされ,生き残った住民は捕らわれの身となりました。70年の間,彼らは真の宗教を捨てた悲しい結果に苦しみました。洪水後の偽りの宗教の発祥地であるバビロンが,他のすべてと異なる,取り分けられた国民を打ち負かしたのです。

必要とされる有能な支配者

イスラエル人は真の宗教を実践している限り,平和と安全を享受しました。神の統治と真の宗教が結び合わされたことにより,あらゆる種類の益がもたらされました。しかし成功は限られたものでした。一つの国民が限られた期間だけ経験した平和と安全を,あらゆる国で完全に達成しようとするなら,それ以上のものが必要でした。支配者,つまり完全な成功をもたらすため,義なる統治と真の宗教を備えることのできる人が切に必要でした。それは一体だれでしょうか。

エルサレム倒壊の約250年後,短い人生にもかかわらず,自分の名と自分の属する国民の名を揚げるであろう一人の男子が誕生しました。その足はバビロンとエジプトの地を踏み,その地で彼は偉大な解放者として歓呼して迎えられることになっていました。新ブリタニカ百科事典はその者について,事後という有利な立場から,およそ23世紀後に次のように語ることになります。「ローマ帝国,[および]世界的宗教としてのキリスト教の普及……はすべて,ある程度[彼の]業績の実であったと言って間違いではない」。

この傑出した世界支配者は,必要とされる者となりましたか。答えは次号の記事,「価値のない,神話上の神々」から分かります。

[19ページの囲み記事]

「国の滅びは民の家から始まる」。アシャンティ(ガーナ)のことわざ

[20ページの囲み記事]

カナンの宗教 ― 真実か偽りか

「パレスチナを発掘したところ,あらゆる形態のア[スタルテ]の像が多量に出土した。……大部分は小さく粗末な像で,この神が主として家庭内での崇拝に使用され,恐らく女性が身に着けたり,家の中の小部屋に安置されたりしたであろうことを示している。……ア[スタルテ]やバアルの官能的性質を帯びた宗教は一般民衆に受けた。当然ながら,深刻で有害な影響は避けられなかった。その神を崇める性の倒錯,みだらな欲情,制御されない興奮が崇拝の一部となり,やがて家庭に浸透していった」― カルワー聖書辞典。

「宗教的な祝祭は,人間性の獣的な面を祝う堕落した儀式となった。ギリシャとローマの著述家たちでさえ,宗教の名のもとにカナン人たちが行なった事柄に衝撃を受けた」― リオン聖書百科事典。

「カナン人の宗教上の慣行について,ここではただ,子供たちを犠牲としてささげたことにだけ言及する。発掘によってこの事実が直接に実証されたからである。メギドでもゲゼルでも,子供たちの死骸の閉じ込め方が……明確に……この慣行について物語っている」―「旧約聖書学」。

「明らかにみだらなものを含む,これほどまでに多くの豊穣の女神の裸の小立像が発見された国はほかにない。蛇崇拝がこれほど強烈に示されている所もない。……神殿娼婦と宦官の祭司が甚だしくはびこっていた。人身御供がよく知られていた。……したがって,カナン人の偶像礼拝に直面した時,ヤーウェ神の信奉者たちが抱いた嫌悪の情はいとも容易に理解できる」―「聖書の地の最近の発見」。

[18ページの図版]

バアルの神を表わすもの。この神に崇敬の念を抱いたため,イスラエル人は真の崇拝からそれた

[クレジット]

Louvre Museum, Paris

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする