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エストニア2011 エホバの証人の年鑑
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ロシアでの喜ばしい大会
神権的な歴史における別の重要な里程標となったのは,1992年6月にロシアのサンクトペテルブルクで開かれた国際大会です。エストニアからは1,000人が出席しましたが,ある人たちにとっては,シベリアへ流刑にされた時に同じ刑務所にいた人や,そのころに出会った他のエホバの証人との喜ばしい再会の時となりました。
代表者の一人はこう語ります。「大会のタイミングもまさに好都合でした。特別列車は,ロシアの通貨ルーブルで格安で手配することができました。さらに,大会のちょうど1週間前に,エストニアの通貨はルーブルからエストニア・クローンに変わりました。お金を交換する週に国外に出ていたなら,手持ちのお金を全く換えることができなかったでしょう。交換が行なわれる時にわたしたちはエストニアにいました。ですが,交換できる金額には上限がありました。交換できなかったルーブルはどうすればよいのでしょう。ルーブルはロシアで用いられていたため,兄弟たちはそれを大会に持って行って寄付に充てました。一方,大会がもう1週あとに行なわれていたなら,新たな規定が施行され,国境を越えるために高額のビザ申請料を支払わなければならなかったでしょう。ですから,大会は兄弟たちにとってちょうどよい時に開かれたのです」。
歴史に残るこの大会に出て感動した人の中に,関心を持つある女性がいます。その人は,大会のために他のエホバの証人と共にエストニアから旅行する手配をしていました。本人はこう言います。「わたしは出発時刻を勘違いし,駅に着いたのは列車が出発したあとでした。しかも,運賃はすでに払っていました。どうしたらいいのでしょう。エホバに祈り,助けてください,そこに行くために何でもします,と言いました。
「切符を買い直さなければ別の列車には乗れないと駅長に言われましたが,そんなお金などありませんでした。すると不意に,一群の人が駅にやって来ました。みな幸福そうで,きちんとした服装をしていました。サーレマー島から来たエホバの証人でした。その人たちの列車はまだ到着しておらず,わたしは持っていた切符で一緒に乗れることになったのです。とてもほっとしました。
「車中でエホバの証人は王国の歌を歌い,それが心に響きました。霊的な家族の一員として迎えられたような気持ちでした。大会中ずっと一緒に行動し,エホバの証人が誠実で愛情に富む人であることが見て取れました。迷いや不安はなくなりました。神が地上に組織をお持ちであることがはっきり分かったのです」。関心を持っていたこの女性は,今では夫と共に正規開拓者として奉仕しています。
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エストニア2011 エホバの証人の年鑑
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[238ページの図版]
ロシアのサンクトペテルブルクでの国際大会,1992年
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