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    ものみの塔(研究用)2021 | 12月
    • 研究記事50

      立派な羊飼いの声を聞く

      「その羊たち[は]私の声を聞きます」。ヨハネ 10:16

      3番の歌 私たちの力,希望,確信

      何を学ぶかa

      1. イエスが自分の弟子たちを羊に例えたのはなぜですか。

      イエスは,自分と弟子たちとの関係を羊飼いと羊の間の強い絆に例えました。(ヨハ 10:14)これはぴったりの例えです。羊は羊飼いのことを知っていて,羊飼いの声に従うからです。ある人は,旅先での経験についてこう述べました。「羊の写真を撮りたいと思い,近くに来させようとしましたが,その羊はわたしたちの声を知らないのでついて来ませんでした。ところが一人の羊飼いの少年がやって来て,羊を呼ぶや否や,彼の後について行くのです」。

      2-3. (ア)どうすればイエスの声を聞くことができますか。(イ)この記事と次の記事ではどんなことを考えますか。

      2 羊飼いであるイエスも,羊である弟子たちについて,「その羊たち[は]私の声を聞きます」と言いました。(ヨハ 10:16)でも,私たちはどうすれば,今は天にいるイエスの声を聞けるのでしょうか。1つの方法は,イエスの教えの通りにすることです。(マタ 7:24,25)

      3 この記事と次の記事では,立派な羊飼いであるイエスの教えについて取り上げます。イエスは,私たちがやめるべきことと行うべきことについて教えました。まずは,やめるべき2つの点を考えてみましょう。

      「心配して気をもむのをやめなさい」

      4. ルカ 12章29節によると,どんなことが原因で「心配して気をもむ」ことがありますか。

      4 ルカ 12:29を読む。イエスは弟子たちに,生きていくのに必要な物について「心配して気をもむのをやめなさい」と言いました。私たちは,イエスの教えが正しく,良い結果をもたらすことを知っているので,その通りにしたいと思っています。でも,時にはそうするのがとても難しいことがあります。なぜでしょうか。

      5. どんな場合に,生きていくのに必要な物について心配になるかもしれませんか。

      5 衣食住など,生きていくのに必要な物について心配になることがあるかもしれません。経済状況が厳しい国に住んでいる場合,家族を養っていくのは大変なこともあります。また,一家の稼ぎ手の死によって,残された家族がお金に困るということもあります。新型コロナウイルスが流行したせいで,失業したり収入を得られなくなったりしたかもしれません。(伝 9:11)こうした難しい状況の中で,どうすればイエスの教えに従って,心配するのをやめることができるでしょうか。

      1人の兄弟が水に沈みかけている。1. 兄弟が職場で自分の荷物をまとめている。2. 兄弟が子供たちと買い物をしているが,食料品を買うためのお金が足りない。3. 兄弟と家族が,家を出なければならなくなっている。

      生きていくのに必要な物について心配し過ぎるのではなく,エホバへの信頼を強める。(6-8節を参照。)b

      6. ある時,ペテロはどんなことを経験しましたか。

      6 ある時,ペテロとほかの使徒たちは暴風で荒れるガリラヤ湖を舟で渡ろうとしていました。その時,イエスが湖の上を歩いているのを見ました。そこでペテロは,「主よ,あなたでしたら,水の上を歩いてそちらに行くよう私に命令してください」と言いました。イエスから「来なさい!」と言われると,ペテロは舟から出て,「水の上を歩いてイエスの方に向か」いました。しかし,その後何が起きたでしょうか。ペテロは「暴風を見て怖くなり,沈み始めた時,『主よ,助けてください!』と叫」びました。そこで,イエスは手を伸ばしてペテロを助けました。注目すべきなのは,ペテロがイエスに目を向けていた間は大荒れの水の上を歩けた,ということです。しかし,嵐を見た時,恐れと疑いに負けて沈み始めました。(マタ 14:24-31)

      7. ペテロの例からどんなことを学べますか。

      7 私たちは,ペテロの例から大切な点を学ぶことができます。ペテロは舟から出て水の上に立った時,自分が嵐に気を取られて沈み始めるとは考えもしなかったでしょう。水の上を歩いてイエスの所まで行きたい,と思っていました。でも,ペテロはイエスに目を向け続けることができませんでした。ペテロが水の上を歩くには信仰が必要でした。同じように,私たちが問題に立ち向かうためにも信仰が必要です。エホバやエホバの約束から目をそらしてしまうなら,私たちも“沈み”始めてしまうでしょう。どんな嵐が生じるとしても,エホバが必ず助けてくださるということを忘れてはいけません。そのために何ができるでしょうか。

      8. どうすれば必要な物について心配し過ぎないでいられますか。

      8 問題について心配するのではなく,エホバを信頼することが大切です。愛情深いお父さんエホバは,私たちがエホバに仕えることを第一にするなら,生きていくのに必要な物を与える,と約束しています。(マタ 6:32,33)そして,その約束をこれまでずっと守ってきました。(申 8:4,15,16。詩 37:25)エホバは,鳥や花をさえ世話しています。そうであれば,私たちは食べる物や着る物について心配する必要はないはずです。(マタ 6:26-30。フィリ 4:6,7)親は子供を愛しているので,子供に必要な物を与えます。同じように,お父さんエホバは私たちを愛しているので,私たちに生きていくのに必要な物を与えてくださいます。エホバは私たちを必ず支えてくださるのです。

      9. ある夫婦の経験からどんなことを学べますか。

      9 エホバが私たちに必要な物を与えてくださることを示す経験を考えてみましょう。全時間奉仕を行っている1組の夫婦は,古い車で1時間余りかけて,難民センターにいる姉妹たちを迎えに行き,集会に行きました。兄弟はこう言います。「集会後,姉妹たちを食事に招待しました。でも誘った後になって,出してあげる物が何もないことに気付きました」。その後,どうなったでしょうか。「家に帰ると,ドアの前に食べ物がたくさん入った袋が2つ置いてありました。誰が置いてくれたのかは分かりませんでした。エホバの助けを感じました」。別の時のことですが,その古い車が故障してしまいました。奉仕を行うために,2人には車がどうしても必要でしたが,修理するためのお金はありませんでした。修理工場に車を持っていくと,1人の男性がやって来て,この車は誰のですか,と尋ねてきました。兄弟は,自分の車であること,そして修理が必要であることを伝えました。すると,男性はこう言いました。「壊れていても構いません。この車は,妻が欲しいと思っていた車なんです。しかも,この色を探していました。いくらで譲ってもらえますか」。こうして兄弟は,別の車を買えるだけのお金を手に入れることができました。兄弟はこう言います。「その日の終わりにどんな気持ちだったかは,想像していただけると思います。これは決して偶然ではありません。エホバが助けてくださったんです」。

      10. 詩編 37編5節からすると,必要な物について心配しなくてよいのはどうしてですか。

      10 立派な羊飼いであるイエスの言うことに従い,生きていくのに必要な物について心配し過ぎるのをやめ,エホバが支えてくださることを確信しましょう。(詩編 37:5を読む。ペテ一 5:7)5節で取り上げた状況について考えてみてください。エホバはこれまで,家族の頭や雇い主を通して,私たちが毎日必要な物を得られるように助けてくれたことでしょう。家族の頭が亡くなったり,失業したりした場合には,ほかの方法で助けてくださいます。たとえ方法が変わるとしても,エホバは必ず助けてくださるのです。では次に,立派な羊飼いがやめるよう教えている別の点について考えてみましょう。

      「裁くのをやめなさい」

      加工されていないダイヤモンド。集会に遅刻してきた若い兄弟を,年長の兄弟が冷ややかな目で見ている。カットされ,磨かれたダイヤモンド。若い兄弟の良いところを示す3つの場面。1. 公園のベンチに座り,1人の男性にコンタクトカードを渡している。2. 年長の女性のために食料品を運んであげている。3. 王国会館の植物の手入れをしている。

      人の良いところに注目することは,裁くのをやめる上で役立つ。(11,14-16節を参照。)c

      11. マタイ 7章1,2節によると,イエスはどんなことをやめるよう教えましたか。そうするのが簡単でないのはなぜですか。

      11 マタイ 7:1,2を読む。イエスは,不完全な人間が人の欠点に注目しがちであることを知っていました。それで,「裁くのをやめなさい」と教えました。私たちは,仲間の兄弟姉妹を裁かないようにする必要がありますが,完全ではないので,欠点に目が向いてしまうことがあります。では,どうすればよいでしょうか。イエスの言うことに従い,人を裁くのをやめるよう真剣に努力することです。

      12-13. ダビデに対するエホバの見方について考えることは,人を裁くのをやめる上でどのように役立ちますか。

      12 エホバの手本について考えるのは良いことです。エホバは人の良いところに注目しています。ダビデの場合がそうでした。ダビデは重大な間違いを犯しました。例えば,バテ・シバと姦淫を犯し,バテ・シバの夫であるウリヤが死ぬように仕組みました。(サム二 11:2-4,14,15,24)その結果,自分だけでなく,ほかの妻たちや家の者たちも傷つけました。(サム二 12:10,11)また別の時には,エホバから命じられていなかったにもかかわらず,兵士たちの数を数えました。そのようにして,軍隊の大きさに誇りを抱き,エホバよりも軍隊を信頼していることを示してしまったのです。その結果,7万人ものイスラエル人が伝染病で死にました。(サム二 24:1-4,10-15)

      13 もし,あなたがその時イスラエルにいたら,ダビデのことをどう思ったでしょうか。エホバの憐れみを受けるには値しない,と考えたでしょうか。エホバはそのようには考えませんでした。ダビデがそれまで示してきた忠実さや,本当に悔い改めている様子に目を向けました。そして,重大な罪を犯したダビデを許したのです。エホバは,ダビデがご自分を深く愛していることや,正しいことを行いたいと思っていることを知っていました。エホバは,私たちの良いところに目を留めてくださるのです。そのことを本当に感謝できるのではないでしょうか。(王一 9:4。代一 29:10,17)

      14. 人を裁くのをやめる上で,どんな見方をすることが助けになりますか。

      14 エホバが私たちに完全さを期待していないのですから,私たちも他の人に完全さを期待するのではなく,良いところに目を向けるべきです。誰かのできていないところに注目して,あれこれ言うのは簡単かもしれません。でも,エホバと同じ考え方をする人は,人の不完全さに気付いていても仲良くやっていくことができます。加工されていないダイヤモンドは美しくありませんが,カットして磨くとどれほど美しくなるかが分かっている人には,とても貴重なものです。私たちはエホバとイエスに倣って,人のできていないところではなく,良いところに注目する必要があります。

      15. どんな生活を送っているかを想像することは,人を裁かないようにする上で,どのように役立ちますか。

      15 人を裁くのをやめるために,人の良いところに注目することに加えて,ほかにもできることがあるでしょうか。どんな生活を送っているかを想像してみることです。ある時,神殿にいたイエスは,貧しいやもめが小額の硬貨2枚を寄付箱に入れるのを目にしました。イエスは,「どうしてもっと多く寄付しなかったのか」とは言いませんでした。寄付の額に注目するのではなく,やもめがどんな気持ちで寄付をしたか,普段どんな生活をしているかに目を向けたのです。そして,できる限りのことをしたこのやもめを褒めました。(ルカ 21:1-4)

      16. ベロニカ姉妹の経験からどんなことを学べますか。

      16 人を裁くのをやめる上で,どんな生活を送っているかを考えることがとても大切であることは,ベロニカ姉妹の経験からも分かります。姉妹の会衆には,1人で息子を育てている姉妹がいました。ベロニカ姉妹はこう言っています。「その親子は集会や奉仕にいつも参加しているわけではなかったので,私はあまり良い印象を持っていませんでした。でも,その姉妹と一緒に奉仕をした時,息子が自閉症で,いろいろ大変であることを話してくれました。生活していく面でも,2人でエホバに仕える面でも,一生懸命頑張っているようでした。息子の調子によっては,別の会衆の集会に行かなければならないこともあったようです。姉妹がそんな苦労をしているとは知りませんでした。姉妹がエホバに仕えるために本当によくやっていることを知って,偉いな,と思いました」。

      17. ヤコブ 2章8節はどんなことを教えていますか。どうすればその言葉の通りにできますか。

      17 もし自分が仲間の誰かを裁いていることに気付いたなら,どうしたらよいでしょうか。私たちは兄弟姉妹を愛さなければならない,ということを思い起こしましょう。(ヤコブ 2:8を読む。)裁くのをやめることができるよう助けてください,と真剣にエホバに祈ることもできます。そのように祈ることに加えて,自分の方から近づいてその人に話し掛けるようにしましょう。そうすれば,相手のことをもっとよく知ることができます。奉仕に誘ったり食事に招待したりするのも良いことです。相手のことが一層よく分かるようになると,エホバやイエスに倣ってその人の良いところに目を向けることができるようになります。そうするなら,裁くのをやめるように,という立派な羊飼いの教えに従っていることになります。

      18. 立派な羊飼いの声を聞いていることをどのように示せますか。

      18 羊が羊飼いの声を聞くのと同じように,イエスの弟子たちはイエスの声を聞きます。生きていくのに必要な物について心配することや,人を裁くことをやめるよう努力するなら,エホバとイエスは良い結果になるよう助けてくれます。私たちは,「小さな群れ」の羊であれ,「ほかの羊」であれ,これからも立派な羊飼いの声を聞き,それに従っていきましょう。(ルカ 12:32。ヨハ 10:11,14,16)次の記事では,イエスが弟子たちに行うよう教えた,2つの点について考えます。

  • 「彼の言うことを聞きなさい」
    ものみの塔(研究用)2021 | 12月
    • 研究記事51

      「彼の言うことを聞きなさい」

      「これは私の愛する子,私はこの子のことを喜んでいる。彼の言うことを聞きなさい」。マタイ 17:5

      54番の歌 「これが道である」

      何を学ぶかa

      1-2. (ア)神は,イエスの3人の使徒たちにどんなことを命じましたか。3人はどうしましたか。(イ)この記事ではどんなことを考えますか。

      西暦32年の過ぎ越しの後,ペテロとヤコブとヨハネは,高い山(ヘルモン山の尾根と思われる)で驚くような幻を見ました。イエスの姿が変わり,「顔は太陽のように輝き,外衣は光のように明るく輝いた」のです。(マタ 17:1-4)そして,3人の使徒たちは,幻の終わりの方で,神がこう言うのを聞きました。「これは私の愛する子,私はこの子のことを喜んでいる。彼の言うことを聞きなさい」。(マタ 17:5)3人は,その後ずっと,この命令の通り,イエスの教えに従って生きました。私たちはぜひ,その手本に倣いたいと思います。

      2 前の記事では,イエスの声を聞くには,あることをやめる必要がある,という点を考えました。この記事では,イエスが行うようにと教えた2つの点を考えます。

      「狭い門を通って入りなさい」

      3. マタイ 7章13,14節によると,私たちは何をする必要がありますか。

      3 マタイ 7:13,14を読む。イエスは,2つの門があると言いました。1つは「広々とし」た道につながっていて,もう1つは「狭められ」た道につながっています。この2つ以外に道はありません。私たちは,どちらの道を行くかを自分で決めなければなりません。これ以上に重要な決定はありません。永遠の命を得られるかどうかが懸かっているからです。

      4. 「広々とし」た道とは,どんな道ですか。

      4 この2つの道には,どんな違いがあるでしょうか。「広々とし」た道は歩きやすいので人気があります。多くの人がこの道を選ぶのは,非常に大勢の人が歩んでいるからです。しかし,そうした人たちは,この道を歩むよう唆しているのが悪魔サタンであり,「広々とし」た道の先には死が待ち受けている,ということに気付いていません。(コリ一 6:9,10。ヨハ一 5:19)

      5. ある人たちは,「狭められ」た道を見つけてその道を歩むためにどんな努力を払ってきましたか。

      5 「狭められ」た道は,「広々とし」た道とは対照的です。イエスは,「狭められ」た道を見つける人は少ないと言いました。どんな理由が考えられるでしょうか。イエスは次の節で,偽預言者に注意するようにと言っています。(マタ 7:15)世界には非常に多くの宗教があります。そのほとんどは,自分たちが正しいと主張しています。それで,大勢の人たちは困惑し,命に至る道を探すことを諦めてしまっています。それでも,命に至る道を見つけることは可能です。イエスは,「私の教えを常に守るなら,あなた方は本当に私の弟子であり,真理を知り,真理によって自由になります」と言いました。(ヨハ 8:31,32)素晴らしいことに,あなたは大勢の人たちのように諦めてしまうのではなく,真理を探しました。聖書をよく調べ,神が私たちにどんなことを願っているかを知りました。そして,イエスの教えに従いました。それだけでなく,聖書に沿わない教えや異教に基づく祝祭日などを退けるようエホバが願っていることも学びました。こうしたことを実際に行うのは簡単ではなかったことでしょう。(マタ 10:34-36)それでも,エホバへの愛や,エホバに喜んでいただきたいという気持ちに動かされて努力を続けてきました。エホバは,そうしたあなたの姿を見て喜んでいるに違いありません。(格 27:11)

      狭められた道を歩み続けるためには

      車が道を外れて落ちてしまわないよう,狭い山道の際にガードレールが設置されている。1. 1人の若い兄弟が聖書を読んでいる。2. 1人の兄弟がスマートフォンから目を背けている。3. 1人の姉妹が学校で男子からの誘いを断っている。4. 1人の姉妹が大学に関する資料を見せられている。

      神の教えや基準は,「狭められ」た道を進み続ける上で助けになる。(6-8節を参照。)d

      6. 詩編 119編9,10,45,133節からすると,狭められた道を歩み続ける上で,何が助けになりますか。

      6 狭められた道を歩み続ける上で,何が助けになるでしょうか。例えで考えてみましょう。狭い山道の際にはガードレールが設置されていることがあります。それは,車が道を外れて落ちてしまわないようにするためのものです。こうしたガードレールを運転の邪魔だと考えるドライバーはいないことでしょう。聖書に載せられているエホバの基準は,このガードレールのようなものです。私たちが狭められた道を歩み続ける上で助けになります。(詩編 119:9,10,45,133を読む。)

      7. 若い人は,狭められた道をどのように見ることができますか。

      7 若い皆さん,エホバの基準は厳し過ぎる,と感じることがありますか。サタンはまさにそう感じさせたいと思っています。広々とした道を進んでいる人が楽しそうな生活を送っていることに目を向けさせようとしています。学校の友達やインターネットで目にする人たちがしていることに注目させて,自分は良いものを得損なっている,と感じさせようとします。エホバの基準に従うと楽しいことができない,と思わせようとしているのです。b でもサタンは,広々とした道の行く先に何が待ち受けているかを隠そうとしています。それとは対照的にエホバは,命に至る道を歩み続ける人にどんな素晴らしい将来があるかをはっきり教えています。(詩 37:29。イザ 35:5,6; 65:21-23)

      8. 若い人は,オラフ兄弟の経験から何を学べますか。

      8 若いオラフ兄弟の経験を考えてみましょう。c 兄弟はクラスメートから不道徳なことをするよう圧力を受けました。兄弟は,エホバの証人は聖書の高い基準に従って生きていると説明しました。すると,クラスの数人の女子たちはむきになって,自分たちとセックスさせようとしてきました。それでもオラフ兄弟は誘惑に負けませんでした。兄弟が経験した圧力は,それだけではありません。兄弟はこう言います。「先生たちは,人から一目置かれるために大学に進学するようにと言ってきました。進学しなければいい生活は送れないとも言われました」。兄弟はどうしたでしょうか。「会衆の兄弟姉妹といっそう親しくするようにしました。そうした仲間のことを家族のように感じられるようになりました。また,聖書をもっと真剣に勉強するようになったので,聖書が真理だという確信を強めることができました。こうして,エホバに仕えることを決意できました」。

      9. 狭められた道を歩み続けるためには,どんなことをする必要がありますか。

      9 サタンは,あなたが狭められた道を歩むのをやめて,ほかの大勢の人たちと同じように,「滅びに至る」広々とした道を歩むようになることを願っています。(マタ 7:13)しかし,これからもイエスに従い,狭められた道を歩むことを保護と考えるなら,この道を歩み続けることができます。では次に,イエスが行うよう命じた別の点を考えてみましょう。

      仲間と仲直りする

      10. マタイ 5章23,24節によると,イエスはどんなことを行うよう私たちに教えていますか。

      10 マタイ 5:23,24を読む。イエスは,自分の話を聞いていたユダヤ人たちが大切にしていたことを引き合いに出して,次の点を教えました。犠牲として捧げるために動物を神殿の祭司の所に持ってきた人は,仲間が自分に対して反感を抱いていることを思い出したなら,捧げ物をその場に残して「出掛けてい」く必要がある,と教えたのです。なぜでしょうか。エホバに捧げ物をすることよりも大切なことがあるのでしょうか。イエスは,はっきりとこう言いました。「まず仲間と仲直りし……なさい」。

      あなたも,謙遜に兄と仲直りしたヤコブに倣うことができますか。(11-12節を参照。)e

      11. ヤコブはエサウと仲直りするためにどんなことをしましたか。

      11 仲直りすることについて,族長ヤコブから大切な点を学べます。生まれ故郷を離れてからおよそ20年たった頃,ヤコブは天使を通して,そこに帰るようにと神から命じられました。(創 31:11,13,38)でも問題がありました。兄のエサウは以前,ヤコブを殺そうとしていたのです。(創 27:41)ヤコブは,エサウが今でも自分に恨みを抱いているのではないかと思い,「非常に怖くなり,不安にな」りました。(創 32:7)ヤコブは仲直りするためにどんなことをしたでしょうか。まず,エホバに真剣に祈りました。また,エサウにたくさんの贈り物をしました。(創 32:9-15)そして,エサウに会った時には,自分の方から敬意を示してひれ伏しました。1回や2回ではなく,7回もそうしたのです。ヤコブは,謙遜さと敬意を示すことによって,エサウと仲直りすることができました。(創 33:3,4)

      12. ヤコブの手本からどんなことを学べますか。

      12 ヤコブがエサウに会うためにどのような準備をし,どのように近づいたか,という点から,大切なことを学べます。ヤコブは謙遜にエホバに助けを求めました。そして,祈りに沿った行動をし,2人の再会ができるだけ良い雰囲気になるようにしました。実際に会った時には,どちらが正しいかということを持ち出したりしませんでした。ヤコブが目指していたのは仲直りすることでした。私たちは,どうすればヤコブの手本に倣えるでしょうか。

      仲直りするためには

      13-14. 誰かを傷つけてしまったなら,どうしたらよいですか。

      13 私たちは,命に至る道を歩み続けるために,仲間の兄弟姉妹との良い関係を保つ必要があります。(ロマ 12:18)では,仲間の誰かを傷つけてしまったことに気付いた場合は,どうしたらよいでしょうか。ヤコブに倣って,助けを求めて真剣にエホバに祈りましょう。仲直りするための努力を祝福してくださるよう祈ることができます。

      14 時間を取って自分を分析してみることも大切です。次のように考えてみることができます。「私は進んで間違いを認め,謙遜に謝り,仲直りしようとするだろうか。自分の方から仲直りしようとするなら,エホバとイエスはどう感じるだろうか」。こうした点を考えるなら,イエスに従い,自分の方から謙遜に仲直りしよう,という気持ちになるでしょう。この点についても,ヤコブの手本から学べます。

      15. エフェソス 4章2,3節にあるアドバイスの通りにすることは,仲直りする上でどのように助けとなりますか。

      15 ヤコブがエサウと会った時に,どちらが正しいかを問題にしていたなら,どうなっていたでしょうか。結果は全く違っていたことでしょう。ですから,私たちは仲間の兄弟姉妹と仲直りをする際に,謙遜さを示すことが大切です。(エフェソス 4:2,3を読む。)格言 18章19節にはこうあります。「気分を害された友人の頑固さは防備された町をしのぐ。かんぬきの掛かった城門のように互いを隔てる論争もある」。謙遜に謝るなら,閉ざされた「城門」を開いてもらうことができるかもしれません。

      16. どんな点について考えることは大切ですか。なぜですか。

      16 何をどのように話すかについてよく考えることも大切です。準備が整ったなら,良い関係を取り戻すことを目指して近づきましょう。初めはきついことを言われるかもしれません。そういう時には,腹を立てたり,自分を正当化したりしたくなるものです。でも,そのようなことをしても,良い結果にはならないでしょう。どちらが正しいかをはっきりさせることよりも,仲直りすることの方が重要なのです。(コリ一 6:7)

      17. ジルベール兄弟の手本からどんなことを学べますか。

      17 ジルベール兄弟は,仲直りするために大きな努力を払いました。こう言っています。「娘との関係がとても悪い時期がありました。私は2年余りにわたって,良い関係を取り戻すことを目指して誠実に穏やかに話すことを心掛けました」。ほかにもどんなことをしたでしょうか。「娘に話す前にエホバに祈り,ひどいことを言われても穏やかさを保てるよう心を整えました。娘から傷つけられても,進んで許すようにしました。自分が正しいことを示そうとするのではなく,とにかく仲直りすることを目指しました」。どんな結果になったでしょうか。「今では家族みんなと良い関係を持つことができているので,穏やかに過ごすことができています」。

      18-19. 誰かを傷つけてしまったなら,どうしたいと思いますか。なぜですか。

      18 では,仲間の兄弟姉妹を傷つけてしまったことに気付いたなら,どうしたいと思いますか。イエスの教えに従って仲直りするように努力しましょう。エホバに心からの祈りを捧げ,聖なる力に頼ることができます。そのようにするなら,幸福になることができ,イエスに従っていることを示すこともできるのです。(マタ 5:9)

      19 エホバは,「会衆……の頭」であるイエス・キリストを通して,愛情深い教えを与えてくださっています。そのことに本当に感謝できるのではないでしょうか。(エフェ 5:23)私たちはぜひ,ペテロやヤコブやヨハネに倣って,これからも「[イエス]の言うことを聞き」たいと思います。(マタ 17:5)この記事で考えた通り,そうする1つの方法は,傷つけてしまった仲間と仲直りすることです。それに加えて,命に至る狭められた道を歩み続けるよう努力することもできます。そうするなら,今たくさんの祝福を得ることができ,将来いつまでも幸せに暮らすことができるのです。

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