-
どれほど長生きできるか目ざめよ! 1990 | 4月22日
-
-
「現存する万民は決して死することなし」。
-
-
どれほど長生きできるか目ざめよ! 1990 | 4月22日
-
-
他方,J・F・ラザフォードの場合は,科学や医学に基づいて予測していたのではありません。それは聖書に基づく話でした。人類の世が「終わりの時」に入っていることを,成就した聖書預言を示して論証したのです。(ダニエル 12:4)そしてラザフォードは,ノアとその家族が当時の世の終わりを生き残ったのと同じように,幾百万もの人々がこの世の滅びを生き残って義の宿る新しい世に入り,楽園の地で永遠の命を享受する,という聖書に基づく希望を指摘しました。―マタイ 24:37-39。啓示 21:3,4。
聴衆の多くはラザフォードの話に驚きました。今日でさえ,多くの人は,神の王国の支配する地上で永久に生きるということを非現実的で信じ難い話と考えます。(詩編 37:10,11,29)しかし,わたしたちが年老いて死ぬ理由について聖書が述べている事柄は本当に信じ難いことなのでしょうか。聖書はその問題について実際に何と述べていますか。
死ぬようにではなく,生きるように造られた
聖書の記述が人間の命の始まりを説明することで始まっているのは当然のことです。創世記 1章には,神が最初の人間の男女を創造された後のことが次のように述べられています。「神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,『子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ』」― 創世記 1:28。
最初の人間の男女,アダムとエバがその任務を果たすには,当然のこととして,彼らも彼らの子孫も非常に長生きしなければならないでしょう。それにしても,どれほど長く生きることになっていたのでしょうか。聖書の創世記をずっと読んでいっても,アダムとエバの寿命が明確に定められている箇所はどこにも見当たりません。それでも,二人が生き続けるためには満たさなければならない一つの条件がありました。神はアダムにこう言われました。「善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」― 創世記 2:17。
ですから,彼らに死が臨むのは,彼らが神のおきてに不従順になった場合だけです。もし不従順にならなければ,二人にはエデンと呼ばれるその地的楽園で限り無く生き続ける見込みがありました。明らかに人間は死ぬように造られたのではなく,生きるように造られたのです。
しかし創世記は続けて,最初の人間の男女が,明確に述べられた神のおきてを無視する道を選んで罪を犯したことを説明しています。その不従順な行ないのために彼らは死の宣告を受け,彼らの子孫も死の宣告を受ける結果になったのです。何世紀も後に使徒パウロは,「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」と説明しました。―ローマ 5:12。
遺伝の法則が働いているので,アダムとエバは自分たちが持っているものしか子孫に受け継がせることができません。創造された時の二人には,将来の世代に完全な,終わりのない命を受け継がせる能力がありましたが,今や自分たちの命は罪と死によって損なわれ,もはやそのすばらしい遺産を将来の世代に伝えることはできなくなりました。それ以来,人間の寿命を延ばすための様々な努力が払われたにもかかわらず,罪,不完全さ,それに死があらゆる人の受ける分となっています。
ある意味でこれは,誤りすなわちバグのあるコンピューター・プログラムになぞらえることができます。もしこのバグを突き止めて修正しないなら,プログラムは正しく作動せず,結果はでたらめなものになるかもしれません。人体に機能不全を起こさせ,老化と死という結果をもたらす受け継いだ欠陥を人間は修正することはおろか,突き止めることもできずにいます。しかし人間の創造者エホバ神は,それを正す手はずを整えてくださいました。その解決策はどのようなものでしょうか。
神はご自分の子である「最後のアダム」,イエス・キリストという完全な人間の命を備えてくださいました。この「最後のアダム」が,事実上最初のアダムに代わってわたしたちの父また命の与え主となってくださいます。したがって,従順な人は罪人アダムの子供として死の宣告を受ける代わりに,「とこしえの父」イエス・キリストの子供として永遠の命を受けるにふさわしい者と認めてもらえる可能性があるのです。イエスご自身,「子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志(なの)です」と説明されました。―コリント第一 15:45。イザヤ 9:6。ヨハネ 3:16; 6:40。
イエス・キリストは,地上における宣教の終わりごろ,天の父への祈りの中で,「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」と述べて,命というこのすばらしい報いを得るための基本的な条件を示されました。―ヨハネ 17:3。
「木の日数のように」
セコイアの種を植え,それが生長して百数十メートルもの高さにそびえるのを見,その木の一生を見守ることができるとしたらどうでしょう。しかも,その木より長生きして何千年か後に別の種を植え,もう一度その生長と美を楽しむ自分を想像してみてください。
そのような考えは現実的でしょうか。確かに現実的です。それは人間の創造者,エホバ神の約束に基づいた考えだからです。神は,『わたしの民の日数は木の日数のようになる』と言っておられるのです。(イザヤ 65:22)この約束は,人はどれほど長生きできるか,という質問に答える助けになります。人は定めのない将来まで,そうです,実際に永久に生きることができる,というのが答えです。―詩編 133:3。
今差し伸べられている招待は,「『来なさい!』……そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」というものです。(啓示 22:17)これはエホバ神が心の正直な人すべてに差し伸べておられる招待であり,楽園となる地上で永遠の命を享受できるよう神が設けておられる霊的な備えを活用するようにという招待です。
-