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貧しくても霊的には富んでいるものみの塔 2013 | 9月1日
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胸の躍るような進展
1991年3月27日,当時ソ連として知られていた全領域におけるわたしたちの活動が,法的に認可されました。それで直ちに,全国の7か所で2日間の特別大会が計画されました。わたしたちは8月24日から始まる,ウクライナのオデッサでの大会に出席することになりました。わたしは,大きなサッカー競技場で大会を開く準備を手伝うため,1か月前に到着しました。
わたしたちは,何日間も一生懸命働き,夜にはよく競技場のベンチで眠りました。エホバの証人の女性たちがチームを組んで競技場周辺の駐車場を清掃しました。運び去られたごみの量は70㌧にも上りました。宿舎部門で働いた人たちは,出席する予定の1万5,000人の宿を見つけるため,市内を探し回りました。ところが突然,ショッキングな知らせを受けます。
大会が始まるわずか5日前の8月19日,ヤルタの近くで休暇を過ごしていた,ソ連の当時の大統領ミハイル・ゴルバチョフが拘束され,大会の開催許可が取り消されてしまったのです。大会事務所には,出席する人たちから,「バスや列車の予約をどうすべきか」という電話がかかってき始めました。大会を組織する責任者たちは熱烈な祈りをささげた後,「取りあえず,来てください」と返答しました。
引き続き準備が進められ,祈りもささげられていました。輸送を担当した部門は,ソ連各地からやって来た出席者たちを出迎えて,それぞれの宿舎へ案内しました。大会委員たちは,市の役人たちと会うために毎朝,事務所を出て,毎晩,朗報もなく帰って来ました。
祈りが聞き届けられる
大会の二日前となった,8月22日,木曜日,大会委員たちが良い知らせを持って戻って来ました。そうです,大会が許可されたのです。わたしたちは皆で開会の歌と祈りに加わり,喜びにあふれました。そして,土曜日の結びの話が終わったあとも,夕方遅くまでそこにとどまり,会話して友情を新たにしました。そこにいたのは,非常に強い信仰ゆえに最も難しい試練にも耐えたクリスチャンたちでした。
オデッサでの大会。1991年
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