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劇的な増加目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ブダペスト,プラハ,ザグレブの大会は「国際大会」と呼ばれ,他の国々から来る何万人という出席者たちの宿泊施設に関する特別な取り決めが設けられました。
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劇的な増加目ざめよ! 1991 | 12月22日
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しかも,ブダペストやプラハの証人たちがしたように,何万人ものゲストをもてなすというのは,とてつもない大仕事でした。
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ブダペストのある警官は,大きな競技場に集まったエホバの証人と,サッカーの試合を見に来るいつもの観衆とを比べてどう思うかと尋ねられました。その警官はにっこりして空を見上げ,「天と地ほどの違いですよ」と言いました。
「それはどういう意味ですか」。
「いやあ,見ればすぐに分かります。だれもたばこを吸わないし,ごみも全く落ちていない。それに皆さんとても礼儀正しい人たちです。何かをお願いしたら,そのとおりにしてくれますよ」と,警官は答えました。
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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一般の人々も驚いた
ブダペストの新聞「ペシュティ・ヒルラプ」は,「4万人余りがネープ競技場でこの週末を過ごした。紙くずも,パンくずも,たばこの吸い殻も落ちていなかった」と伝えました。同市の別の新聞「フェヘルバル・ヒルラプ」はこう述べました。「7月26日から28日にかけて,たまたまネープ競技場に迷い込んだ人々は,快い驚きを感じたに違いない。……彼らは,めったにお目にかかれない模範的なクリスチャンの振る舞いと生き方を見ることができたのである」。
その週末,ブダペストは50㍉以上の大雨に見舞われました。しかし証人たちはひるみませんでした。「実にすばらしい。本当に驚くべきことです」という警官の言葉が聞こえてきました。「どんどんやって来ますね。……全くひるむということを知らない人たちです」。月曜日に,ある新聞は「雨の中の祈り」という見出しの記事を載せ,「わたしたちは雨にぬれているだけで,流されてはいませんよ」という出席者たちの言葉を引用していました。
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ブダペストには35か国からの訪問者があり,その大半はポーランドとドイツから来た人々でしたが,他の多くの国からも大きな代表団が訪れました。その中には,ソ連から来た500人ほどの人々も含まれています。
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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もちろんそれらの話は,三つの主要言語グループのために通訳されました。ブダペストとプラハでは,それ以外の多くの言語に通訳されました。
それらの言語セクションの通訳は,各言語グループのすぐ前に立ちました。スピーカーがそれぞれの言語セクションにきちんと向けられていたため,ほかのセクションのほかの言語の通訳にそれほど邪魔されずに自分の言語を聞くことができました。例えばブダペストでは,ハンガリー語,ポーランド語,ドイツ語という主要な言語のほかに,オランダ語,フィンランド語,フランス語,ギリシャ語,イタリア語,日本語,ノルウェー語,スペイン語,スウェーデン語で,統治体の成員の話が通訳されました。
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ブダペストでは,2,203人の出席者が個人の家に泊まりました。
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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そのほか,ブダペストとプラハでは,多くの学校や体育館を宿泊施設として使いました。ブダペストでは,40以上の学校に7,930人を収容し,
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ブダペスト大会の4万人の出席者たちは,雨が降っても陽が照ってもプログラムを楽しんだ
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ハンガリー(ブダペスト) 40,601 1,134
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彼らは自分の見たことに驚嘆した目ざめよ! 1991 | 12月22日
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ブダペストでは,ハンガリー語,ポーランド語,ドイツ語,
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