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クレニオ聖書に対する洞察,第1巻
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クレニオ
(Quirinius)
カエサル・アウグスツスの命令で「登録」が行なわれた時期にシリアの総督であったローマ人。その登録が行なわれた結果として,イエスはベツレヘムで生まれました。(ルカ 2:1,2)この人の正式な名前はプーブリウス・スルピキウス・クィリーニウスでした。
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クレニオ聖書に対する洞察,第1巻
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歴史上の事柄を扱うルカの正確さは証明されているので,イエスが生まれたころにクレニオがシリアの総督であったと述べているルカの記述を事実として受け入れるもっともな理由があります。事実上他の唯一の情報源であるヨセフスが生まれたのは西暦37年のことで,イエスが生まれてからほぼ40年後であったことも思い起こせるでしょう。一方,ヨセフスが12歳の少年にすぎなかった西暦49年ごろには,ルカはすでに医者になっており,使徒パウロと共に旅行をしていました。イエスの誕生直前のころシリアの総督の地位にあったのはだれかという問題に関しては,普通の見地からしても,この二人のうちルカのほうが信頼できる情報の提供者と言えそうです。西暦2世紀のパレスチナ人である殉教者ユスティヌスは,イエスの生まれた当時,クレニオがシリアの総督であったことに関するルカの記述の正確さを示す証拠として,ローマ人の記録を引き合いに出しています。(「カトリックの聖書注解」,B・オーチャード編,1953年,943ページ)ルカの記述が初期の歴史家たちから,しかもケルススのような初期の批評家たちから疑問視されたことを示すような証拠はありません。
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クレニオ聖書に対する洞察,第1巻
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アンティオキアで発掘された,クレニオの名が出て来る幾つかの碑文に基づいて,多くの歴史家はクレニオが西暦前の時期にもシリアの総督であったことを認めています。
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クレニオ聖書に対する洞察,第1巻
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ヨセフスはヘロデ大王が死んだ当時およびその後の時期のシリアの総督としてクィンティリウス・ウァルスを挙げています。(ユダヤ古代誌,XVII,89 [v,2]; XVII,221 [ix,3])また,タキツスも,ヘロデが死んだ時にウァルスが総督であったと述べています。(「歴史」,V,IX)ヨセフスはウァルスの前任者がサトゥルニヌス(C・センティウス・サトゥルニヌス)であったと述べています。
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クレニオ聖書に対する洞察,第1巻
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問題を理解する点でさらに助けになりそうな要素は,シリアで二人の支配者による支配が行なわれていたことをヨセフスがはっきり述べていることです。というのも,ヨセフスはその記録の中で,「シリアの総督」として同時に仕えていたサトゥルニヌスとウォルムニウスという二人の人物に言及しているからです。(ユダヤ古代誌,XVI,277,280 [ix,1]; XVI,344,[x,8])したがって,サトゥルニヌスとウァルスをシリアの相次ぐ長官として列挙した点でヨセフスが正しいとすれば,ヘロデの死(多分,西暦前1年の出来事と思われる)以前にクレニオがサトゥルニヌスと共に(ウォルムニウスがしたように),あるいはウァルスと共に同時に仕えていたというのはあり得ることです。新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典はこの見方を次のように示しています。「クレニオはシリアの総督であったウァルスに対し,後代にウェスパシアヌスがムキアヌスに対して立ったのと全く同じ関係に立った。
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