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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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定期的な“観光客”
1987年から,ザンビアの支部委員のエドワード・フィンチが,マラウイを定期的に訪問するようになりました。マラウイは観光客に人気のある国でしたし,フィンチ兄弟にはブランタイアに親戚がいたので,“休暇”のためにこの国へ入るのは容易なことでした。エド・フィンチは,まだ19歳のころ,故国のローデシアで開拓奉仕をしていた時に,マクラッキー家の秘密の地下室の在庫を補充するためマラウイへ行くギドー・オットーに何度か同行したことがありました。しかし,ギレアデ学校を卒業し,今やマラウイに関連してさらに重い任務を与えられました。
フィンチ兄弟の訪問が取り決められたのは,聖書文書がマラウイ国内に十分入っていないのではないかとザンビア支部が心配したためでした。国内委員たちはフィンチ兄弟と会って,外国からの客が,励ましや,さらなる指示を与えるために来てくれたことに感激しました。国内委員会,巡回監督と地域監督,運び役の人との一連の会合が秘密裏に行なわれました。会衆が必要としているものを備えるため自分の分を果たすことにだれもが熱意を示していました。マラウイとの国境近くに幾つかあったザンビアの文書集積所にたまっていた文書は,再び定期的にマラウイへ入っていくようになりました。
フィンチ兄弟は,たいてい妻のリンダを伴い,励ましとなる“観光”旅行を幾度も行ないました。兄弟は,見物のためではなく,できるだけ多くの兄弟たちに励ましや訓練を与えるため全国各地を旅行しました。その訪問は,禁令下で指導の任に当たっていた兄弟たちからとりわけ感謝されました。兄弟たちは,共に働いている時にフィンチ兄弟が示してくれた愛と忍耐に感謝しました。
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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1989年4月,エド・フィンチが運び役の人たちとひそかに会合を持ち,この新しい特別版の文書について話すと,運び役の人たちは感激の涙を流しました。
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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[204ページの写真]
禁令が課されていた間,エド・フィンチとリンダ・フィンチはマラウイを定期的に訪れた
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