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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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総理府と接触したところ,1964年1月30日にバンダ博士と会見することが認められました。ジャック・ヨハンソンはその折,エホバの証人の中立の立場についてローマ 13章から明確に説明することができました。首相は話にかなり満足した様子でした。バンダ博士は,ヨハンソン兄弟が去る際に,大いに感謝していることを表明しました。
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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その結果,1964年2月11日,閣僚二人を含む,バンダ博士との会見が再度行なわれました。ジャック・ヨハンソンと一緒に,ハロルド・ガイとアレクサンダー・マファムバナも行きました。しかし今回の雰囲気は,前回とはだいぶ違っていました。バンダ博士は電報をひらひらさせながら,「ヨハンソンさん,こういう電報を打って何を言いたいというのですか」と言いました。兄弟たちは穏やかな態度で,自分たちが中立の立場を取っていることや国の法律を遵守していることを首相に納得してもらおうとしました。しかし,首相と閣僚たちは,エホバの証人が襲われるのは故意に人々を挑発しているからだと主張しました。この国における混乱した状況をエホバの証人のせいにされたまま,その会合は嫌な雰囲気で終わりました。ヨハンソン兄弟は即刻国外に追放するという脅しさえ受けました。しかし,バンダ博士がいっそう腹を立てていたのは二人の閣僚の無能ぶりのほうだったようです。二人は,エホバの証人が挑発したという確かな証拠を提出することができませんでした。
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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有権者登録の興奮が冷めてくると,首相は国内の平和と平穏を訴えました。「ヨーロッパ人や,警察やインド人,エホバの証人さえ困らせてはいけない」。そして「みんなを許せ」と言いました。
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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1966年の初頭,エホバの証人の中立の立場についてバンダ博士にもう一度説明する機会がありました。ものみの塔協会が,宣教者をさらに多く入国させてほしいと許可を求めると,ヨーロッパ人に対するマラウイ入国許可証の発行を取り仕切っていたバンダ博士は,宣教者がさらに必要な理由を聞いてきました。それで,バンダ博士と支部の僕だったマルコム・ビゴーとが会って話すことになったのです。バンダ博士は,政治に携わっている人間はだれも入れたくないと強調しました。ビゴー兄弟は,エホバの証人が国の法律を遵守していることや,政治問題において中立の立場を取っていることをバンダ博士に再度保証しました。―ロマ 13:1-7。
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