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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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バートに代わってマラウイに派遣されたのは,マクラッキー家のもう一人の成員である弟のビルでした。
ビル・マクラッキーはそれまで南アフリカで開拓奉仕をしていました。といっても,バプテスマはまだ受けていませんでした。南アフリカ支部の僕のジョージ・フィリップスから,マラウイでの割り当てを受け入れる意志があるかどうか尋ねられました。承諾すると,こう言われました。「言うまでもありませんが,まずバプテスマを受けなくてはなりませんね」。ビルはバプテスマを受け,1935年3月,ゾンバ文書集積所に到着しました。26歳の時のことです。忠実なビル兄弟は,1972年に国外追放になるまで,マラウイにおいて非常な逆境を経験しながら,自らの忠誠を証明しました。
初期のころの状況はどのようなものだったのでしょうか。1998年に89歳になったビル・マクラッキーは,南アフリカで家族と一緒に暮らしていますが,ゾンバにあったその文書集積所の狭苦しい環境のことを今でも覚えています。こう語りました。「寝室の幅は,暖炉ほど[1.4㍍]しかありませんでした。かなり風通しが悪かったので,夜は窓を開けておくことにしていたのですが,ある晩,警察官がやって来て,頭をぬっと入れてのぞくと,『“ブワナ”[だんな],窓は閉めたほうがいいですよ。この通りは夜,ヒョウがうろつくんです』と言いました。それで窓は閉めました」。
快適な条件ではありませんでしたが,首都に文書集積所があるというのは非常に好都合でした。官庁と警察本部が近くにあったので,マクラッキー兄弟は,偽りの“ものみの塔運動”とエホバの証人が相変わらず混同されて何らかの非難を浴びた場合でも即座に対応できました。ビル・マクラッキーも兄と同様,辛抱強さを示しながら役人と共に働き,あらゆる誤解を解いてゆきました。こうしてエホバの証人の評判は良くなりました。
組織を清める
ビル・マクラッキーは,兄弟たちが聖書に述べられているエホバの規準に対して認識を築くよう懸命に努力しました。その一つとして,エホバの証人の生活には,性の不道徳や心霊術やアルコールの誤用などの非聖書的な習慣が占める場は全くない,ということを理解するよう兄弟たちを助けました。(コリ一 6:9,10。啓 22:15)
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マラウイ1999 エホバの証人の年鑑
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[157ページの写真]
ビル・マクラッキー,協会のゾンバ事務所にて
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