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試練のもとでの忍耐はエホバの賛美となるものみの塔 2003 | 10月1日
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例えば1960年代には,マラウイのエホバの証人がひどく迫害されました。王国会館,住居,食糧,事業など,所有物のほとんどすべてが破壊されました。証人たちは殴打その他の悲痛な目に遭わされました。兄弟たちはどう反応したでしょうか。村から逃げなければならなかった人が何千人もいました。多くの人は奥地に避難しましたが,隣国のモザンビークへ一時的に逃れた人たちもいました。忠実な人たちで命を失った人も少なくありませんが,その危険地域から逃げることにした人たちもいました。その状況下ではそうするのが道理にかなったことであったと思われます。そのようにした兄弟たちは,イエスやパウロの残した前例に倣っていたのです。
6 マラウイのエホバの証人は,猛烈な迫害を受けても,何を放棄しませんでしたか。
6 マラウイの兄弟たちは,逃げるか隠れるかしなければなりませんでしたが,神権的な指示を求めてそれに従い,目立たないかたちで可能なかぎりクリスチャン活動を続行しました。どんな結果になったでしょうか。王国伝道者の数は,1967年,禁令が始まる少し前に,それまでで最高の1万8,519人になっていました。禁令がなおも続き,多くの奉仕者がモザンビークに逃れていたのに,1972年には2万3,398人という伝道者の新最高数が報告されました。一人当たり毎月16時間余りを宣教奉仕に充てていました。その極めて難しい時期の間ずっと,そうした行ないがエホバの賛美となり,エホバの祝福がそれら忠実な兄弟たちの上にあったことは疑いありません。a
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試練のもとでの忍耐はエホバの賛美となるものみの塔 2003 | 10月1日
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a 1960年代の出来事は,マラウイのエホバの証人がほぼ30年にわたって耐え忍ばなければならなかった過酷で残忍な迫害の序盤にすぎませんでした。すべてを網羅した記述については,「1999 エホバの証人の年鑑」の171-212ページをご覧ください。
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