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マレーシア1993 エホバの証人の年鑑
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その後数年の間にフィリピンから,兄弟たちやその家族が世俗の仕事のためにさらにやって来ました。彼らは他の人々に証言を始め,やがて会衆が設立されました。その結果,1963年にはタワウの伝道者は28人になりました。
20年余りの間その会衆は,フィリピンから最初にやって来た兄弟たちの家の1軒を王国会館として使用していました。その後1983年に,貸ビルの2階に別の集会場所が見つかりました。新しい集会場所は,特にモンスーンの季節には交通の便がはるかによかったのですが,風通しが悪かったのでとても蒸し暑くなりました。さらに,下の階にはタイヤや車の修理工場があったので,ひどくやかましく,ほこりっぽい場所でした。幸いにも,大きな2階建ての建物を1985年1月から借りることができました。長年の間タワウ会衆は霊的にも数の面でも成長し,現在伝道者は62人になっています。
1984年のこと,マラッカで特別開拓者として奉仕していたルア兄弟姉妹が,タワウ会衆に割り当てられました。二人が野外奉仕の面でどんどん率先したこともあって,二人がいることは,会衆にとって大きな刺激となりました。ルア兄弟はいろいろな機会にサバ州で代理の巡回監督としても奉仕してきました。
しかしタワウ会衆は,二人の献身的な開拓者の姉妹たちからも大きな励みを得てきました。その一人は開拓者として1985年に半島マレーシアから来たガン・ヤム・ワ姉妹です。もう一人は,フィリピンで1947年にバプテスマを受けたビクトリア・イコ姉妹です。1988年にイコ姉妹はタワウから田舎のケニンガウに移動しました。そこは,兄弟たちが自分たちの王国会館を建てた場所の一つです。この新しく建てられた会館は1989年の記念式の時に初めて使用され,その年の6月1日に献堂されました。
サバ州で2番目に設立された会衆はコタキナバルにあります。その地でのエホバの証人の業が始まったのは1950年代の初めごろで,それは小さな始まりでした。現在そこの会衆では71人の伝道者と6人の開拓者が奉仕しています。それで,これら二つの会衆に加えて,五つの孤立した群れがケニンガウ,ラハドダトゥ,サンダカン,コタベルード,ラブアン島にあるため,サバ州の業には堅固な土台が据えられています。開拓者を含めて伝道者の最高数は180人に達しました。
隣のサラワク州はいろいろな点でサバ州と似ています。ここにも孤立した群れが五つありますが,会衆は三つあります。そのうちの一つは自分たちの王国会館を建てています。
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マレーシア1993 エホバの証人の年鑑
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とはいえ,クチンに2年いた間に,二人は会衆の中核となるものを残すことができました。宣教者の家で定期的に開かれていた集会には25人が出席し,研究生のうちの数人は定期的に野外奉仕に参加していました。
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マレーシア1993 エホバの証人の年鑑
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エリアブ・バヤンが亡くなった時,遺言には立派な土地を一区画クチン会衆に遺贈することが指示してありました。現在その土地には美しい王国会館が建っています。
それで王国の業はサラワク州でも着実に成長しています。サラワク州にはクチンとミリとシブに会衆があり,孤立した群れはビントゥル,スリアマン,サリケイ,カピト,ナンガメダミトの五つです。
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