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聴け ― エホバの見張りの者が語るものみの塔 1988 | 9月15日
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『亜麻布をまとった人』が額に印を付けた人々は,神殿で行なわれていた忌むべき事柄に同調していなかったので,神の情けを経験することになります。
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聴け ― エホバの見張りの者が語るものみの塔 1988 | 9月15日
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18 (イ)現代の『亜麻布をまとった人』とはだれですか。(ロ)「印」とは何ですか。今それを持っているのはだれですか。印がある人々には,どんな結果が生じますか。
18 対型的な『亜麻布をまとった人』は,油そそがれたクリスチャンの級です。彼らは,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」の一部となる人々に象徴的な印を付けるため,家から家に訪問します。その「印」は,そのような羊が,キリストのような人格を備えた,献身しバプテスマを受けた人であることの証拠です。彼らはキリスト教世界で行なわれている「忌むべきことのために嘆息し,うめいて」います。そして,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンから出て来ました。(啓示 18:4,5)彼らの「印」は,彼らが「大患難」の際に命を救われるべき者であることを,神の刑執行隊に明らかにします。彼らは,油そそがれた者たちと共に他の人たちに印を付けることにより,その「印」を保持できます。ですから,もしあなたが『印を付けられている』なら,『印を付ける』業に熱心に参加してください。―エゼキエル 9:8-11。
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